2022年9月30日金曜日

山背の摩崖仏

   秋の鳴く虫の中では後発部隊に属するアオマツムシが先日から主役級の鳴き声を響かせている。リーリーリーと正直に言ってウルサイぐらいである。

 アオマツムシは明治以降に日本に侵入してきたらしいが、そういえばその声は、日本的情趣というよりも良い意味でも悪い意味でも大陸の雰囲気を持っている。

 先日から、敦煌は莫高窟の本を読んでいるが、彼の地の秋の夜にはこのような声が満ちているのだろうか。

 写真は近所の雨風に摩耗した摩崖仏の影である。というのは真っ赤なジョーク。どちらかと言えばブロッケンの妖怪。

 秋と言えば金木犀が香り始めた。嗅覚は論理を超えて感情を揺さぶる。あれほど疎んでいた高気温が収まりつつあるというのに、何かうら寂しい秋である。

2022年9月29日木曜日

秋風に乗って

   夏の盛りは案外昆虫たちも見当たらないが、秋風と共に可愛い昆虫が増えてきて楽しいものだ。また、季節の変わり目は、昨日いっぱい舞っていたアキアカネ(赤とんぼ)がいっぺんに何処かにいってしまったりして、いろいろと味わい深い。

 上の写真の蝶が来た。一見モンシロチョウのようだが、紋様が少し異なる。また白い部分も少し透明感がある。

   そして、止まったところをよく見ると、下の写真のように薄いが黄色い。図鑑をめくると、「♀は翅が白いものが多い」とあった。モンキチョウだった。

 日光が透かして美しい。ただそれだけのことだが楽しい秋を感じた。

   おまけで3枚目の写真はキムネクマバチ。ゴールデンウィークの頃、藤棚に陣取ってまるで人間どもを威嚇するかのように飛んでいるあれである。

 秋風に乗っていると心なしか凶暴さが薄れて可愛く見える。


2022年9月28日水曜日

一汁一菜

   赤旗日曜版25日号に土井善晴さんが出られていた。
 テーマは新刊の『一汁一菜でよいと至るまで』だった。
 この本、私はすでに読了済みだった。それなのにこのブログの『乱読積んどく』にあげなかったのは、強いて面白いと思わなかったからである。強いて・・。

 共感したところは、「家庭料理ではプロの料理人の真似をしなくていい」というところだったが、それを強調するあまり「一汁一菜でよい」とまでしなくてもいいのではないかと私は思った。

 ただ、氏の味吉兆での修行時代の話、フランスでの修行時代の話は面白かった。まあ、そういうプロ中のプロの調理を体現したからこそ一汁一菜の提案が負け惜しみになっていないのだとは思う。

 この新聞記事で面白かった箇所は、山極寿一さんの教えてくれた本の「人間は賢いから料理をしたのではなく、道具を使い、火を使い、料理をしたから人間になった」というくだりだった。

 近頃は出来合いの料理、あるいはチンだけの冷凍食品が溢れている。しかもけっこう安い。そして、馬鹿にできない味のものも少なくない。こうなると人間はゴリラに帰るのだろうか。
 一汁一菜でよいから工夫と調理を放棄してはならないと思う。

2022年9月27日火曜日

ママ友の洗脳を裏打ちしたもの

   福岡地裁は21日、20204月、碇(いかり)翔士郎ちゃん(当時5)が餓死した事件で、保護責任者遺棄致死の罪などに問われた母親の「ママ友」赤堀恵美子被告(49)に、求刑どおり懲役15年の判決を言い渡した。

 母親の碇利恵被告(40)が懲役5年の判決(控訴中)というから、洗脳した者の罪は洗脳されて手を下した者よりも罪が重いとされたことになるし、求刑どおりの量刑というのも洗脳の反社会性を強く指摘したものである。

 ところが不思議なことに、これほど反社会的な洗脳がなぜ出来上がったのかという問いかけがほとんどのマスコミから聞こえてこない。
 その理由は、判決前の9月9日に『五歳児事件の洗脳と宗教』で書いたとおり、この事件の前提には統一協会ではないが新興宗教の信仰があるからで、しかもそれが与党の一角の屋台骨である創価学会であるからだろうと私は推測する。

 私は「連帯責任」のような論は採らないから、たまたま創価学会員が犯罪を犯したからといって、その原因や責任を機械的に創価学会に問うつもりはないが、わが子を餓死させるというような異常な行動に駆り立てた洗脳は、「いうことを聞かないと地獄に落ちる」的な宗教的脅迫無くしては成立しないと考える。
 そういう問題の掘り下げをマスコミはするべきだし、それがジャーナリズムの責任だと考える。

 これほど大切なことに、足並みをそろえてマスコミが沈黙するというのは、ある意味、プーチンのロシア並に怖ろしい。

2022年9月26日月曜日

時間切れ

   24日。朝から何日分かの買い物に出かけ、プチ散歩気分でショッピングモール内を歩き、帰ってから昼食の焼きそばを作って、缶ビールを飲んでプチ昼寝をした。

 そして、そのあと洗濯物を取り入れて畳んだのだが・・。
 ルーティンどおりではあるのだが何か忘れている気がして記憶を呼び出すと、しまった、ちょっと聞きたかった少し離れた会館での講座のもう開始時刻だった。申し込み不要のものだったから誰にも迷惑はかけていないが、ちょっとした勉強の機会をだらだらとした日常に流してしまって悔いが残る。

 近頃つとに、こういうモノ忘れ、失敗談が増えてきた。
 少し興味のあるテーマであったし、コロナ禍も少し収まってきたのに惜しいことをした。

   こういうのを老化というのだろう。
 反対に、というと変だが睡眠は浅くなり、24日3時半ごろの神戸あたりの地震(わが家あたりは震度1程度)にも直ぐに目が覚めた。別に何の自慢にもならない。

 2)道行くお方がわが家の黄色い彼岸花(としておこう)を「写真撮らせてもらっていいですか」と言って撮って行かれた。
 紫苑など秋の花々が美しい季節になった。
 
 3)先日ラジオで「なおざりとおざなりの違いは?」というような話をしていたが・・・、私のいない間に遊歩道の草刈りとツツジなどの剪定があった。
 その結果があまりにも「おざなり」だったので、私が丁寧に整形をし直した。
 毎日、暇ではあるがけっこう忙しい。

2022年9月25日日曜日

家庭教育なるもの

   「日本を 取り戻す」は2012年以降安倍晋三と自由民主党によって大々的に唱えられたキャッチコピーだが、その言葉の裏で、多くの霊感商法や洗脳による高額献金で、多くの日本人が家庭や生活を破壊されることが放置され、その実行者である世界平和統一家庭連合(旧世界基督教統一神霊協会)と自民党などの議員がズブズブの癒着をなし、多額の金銭が韓国の本部に送金されていたというのだから、村上誠一郎元大臣が安倍晋三を「国賊」だと批判したのも無理がない。

 以前に合同結婚式や霊感商法などで社会的批判を浴びた旧統一協会は、悪徳商法の常套手段どおり、看板を塗り替えて批判をかわそうとしたのが「名称変更問題」で、それまで「実態が何ら変わらないのに名称だけ変更するのはダメだ」「名称と実態に整合性がない」としていた文科省(宗教法人所管)であったのが、2015年に下村博文文科大臣時に突如認可された。その下村博文は選挙などで統一協会の支援を受け、統一協会のフロント団体(ダミー団体)の広告塔になっていた。

 家庭連合は、その後「家庭連合」なる名称に合わせるため、安倍晋三や右翼の面々が唱えていた、「親学」など旧憲法下の古い家族観に合わせた「家庭教育」の法令化、地方自治体では条例化に積極的に取り組んできた。
 そも教育基本法は非常に不十分ながらも、戦前の教育が思想統制の教育であったことの反省を踏まえ、曲がりなりにも教育の独立(教育委員会制度)などを原則としてきたが、彼らの家庭教育法案(条例案)にはそういう原則はなく、直接権力が家庭にまで踏み込んで、子の教育はこうあらねばならないと介入する構造となっている。

 こういう傾向に乗ったのは自民党だけでなく、維新の会も積極的に加わった。
 結果として維新主導の大阪府の家庭教育条例案は多くの府民の声で実現しなかったが、彼らの検討していた条例案によると、「発達障害は親の愛情不足の結果である」という精神で作成されていた。
 生まれたときから高度の疾病で発達に障害のある孫のこととその孫を精一杯育ててきたその両親のことなどを思うと、この一点だけでも、統一協会、自民党、維新の会(党)を私は絶対に許すことができない。

2022年9月24日土曜日

ケロケロ笛

   発達に難のある孫はやたらにモノを回すのが好きである。
 そういう子ども達には共通してしばしばそういう行動があるようだ。
 回転運動は何か安定感を感じるのだろうか。

 そんなもので「これは喜びそうだ」と思って買ってきたのが写真の『ケロケロ笛(けろけろカエル)』。竹細工の他愛ない玩具。

   棒を回すと蛙の付いた糸が回転し、ゲゲゲゲと音が鳴る。蛙の部分がセミだと『セミ笛』になる。

 糸が回る部分に松脂(マツヤニ)が付いていて、微妙に振動して、それがカエルの部分で糸電話の仕組みで共鳴・増幅されるらしい。
 若いころ全国を飛び回っていたがこんな民具は知らなかった。

 予想どおり孫の凜ちゃんは回し続けた。
 祖父ちゃんは「松脂が切れたらどう補強しようか」と考えている。松から採って来て乾かしたらできるのだろうか。これから研究だ。

2022年9月23日金曜日

お彼岸

   23日はお彼岸である。お彼岸などというと何か古臭いイメージが漂うが、秋分の日というと天文学の薫がする。

 先日から彼岸花が咲き始めた。この「彼岸花は何故彼岸に咲くか」「彼岸花はどのようにして彼岸という暦を知るか」となると、これも相当高度な植物生理学になる。

 私の経験(観察)からすると、少なくない本やネット上の解説は首肯しがたい。

 その1,「日照時間の変化を感じて開花時期が決まる」説は考えられない。そもそも9月初旬までは土の中である。土表に顔を出してから日照時間を計っている余裕はない。
 その2,「気温ひいては土中の温度の変化を感じて開花時期が決まる」説も採用できない。
 けっこう権威のありそうな方がこういう説を堂々と述べておられる。
 気温差のある広範囲の土地でほゞ同時に開花する。朝夕の冷え込みに差のある高低差のある土地でもほゞ同時に開花する。もちろん、気温が何度以下になると開花の準備が始まるというのも事実と異なる。
 その3,「稲刈りが終わって畔の草刈りが行なわれたのを感じて開花する」という説まである。

 けっきょく私自身門外漢ながら、冬季に繁った葉あたりで春の到来を知り、その時期に花芽をタイマー付きで作るようだ。そのメカニズムは勉強不足で知らないが、猛暑の夏も冷夏の夏も、残暑の秋もそうでない秋も関係なく、葉もなく花もなく、ただただ土中でタイマーのなるのを待っているようだ。その正確さや畏るべし。

 自然界には人間の知らないことがいっぱいだ。


2022年9月22日木曜日

超大型台風

   被災された皆さんにはお見舞い申し上げます。
 台風情報を聴きながら昔を思い出した。
 昔の家にはシャッターなどなく、その都度板を窓に打ち付けていた。
 そしてわが家は必ず雨漏りがした。
 職場に宿直制度があった頃は、自分の家も心配なのに、こういう時には若い者が宿直をさせられた。

 今はわが「家」本体はあまり心配はないし、地形上おかげ様で浸水や崖崩れも心配ないが、わが家のオープンな庭には多くの弱点があり、毎回けっこう多くの風対策をして備えている。

 そしてテレビを観ながら、愚にもつかない寝言を言っている。『台風の進路や規模を全く制御できないのに「原発絶対安全」などあるのだろうか』
 『この無料のエネルギーで発電などできないものか』『大雨は干ばつの地に融通できないものか』などなど。

 テレビの風力発電はプロペラが全部止められていた。コントロールするということはそういうものだろうが、なぜか現下の科学や技術もちっぽけなものに感じられた。

 湯水のように投じられた原発やオリンピックのお金を自然エネルギーに向けたなら新しい世の中が生まれるのではないか。

 この台風、18日、19日の京都の南端・奈良の北端では信じられないほど影響がなかった。雨も降らないし風もなかった。日本列島の中の「真空地帯」のようだった。それが、北東へ遠く離れた20日にけっこう強い北風になった。耳でいえば木枯らし1号のような風だった。
 太陽が照ったり強風が吹いたりで、洗濯物を出したり引っ込めたり忙しい日を過ごした。

2022年9月21日水曜日

国葬について

   何年か前、退職者会の行事で大阪市西区の歴史ある川口基督教会を訪れた。
 ここは聖公会(英国国教会が母体)の教会で、当然話題は16世紀ヘンリー8世にまでタイムスリップした。
 エリザベス女王の国葬にあたって、そんなことを懐かしく思い出した。

 つまり、女王は英国国教会の最高権威者、信仰の擁護者だったのである(亡くなったので過去形にしただけ)。
 良し悪しは別にして、英国の現状ではこのように国教会と王室と国(政治)は多々結びついている。

 なので、女王の国葬は文字どおり葬儀だということを再確認した次第。
 翻ってわが国で議論されている元首相の「国葬」なるものは、葬儀後の法事というか偲ぶ会のようなもので、あまり英国のニュースを見てイメージを独り歩きさせない方がよいということを思った(いろんな意味で)。

 以上が前説(まえせつ)となる。その感覚を押さえたうえで元首相の国葬問題を考えた場合、フェイスブック上に開陳されていた小林節教授の意見が私には非常に参考になった。
 よって以下にご紹介しておきたい。
 
🔳 「葬式は静かに送る礼節を」という誤解 国葬=国の追悼式に反対なのだ
  公開日:2022/09/18 06:00 更新日:2022/09/18 06:00 
   小林節慶応大名誉教授(C)日刊ゲンダイ🔳
 
🔳「安倍国葬」の是非の論争に憲法学者として、やむを得ず参加してきたが、最近、「他者の葬式くらい静かに見送るのが礼節ではないか」という批判に何回か遭遇した。
 しかし、それは誤解か筋違いである。
 
 安倍元首相が78日に奈良県内で応援演説中に暗殺された4日後の12日に、故・安倍晋三氏の葬式は東京・芝の増上寺(徳川家の菩提所)で盛大に執り行われた。その際には、報道で知る限りだが、日本国民は安倍政治に対する賛否にかかわらず、皆、静かに見送った。私自身もそうである。
 
 その後、国論を二分する騒ぎになったのは、714日に岸田首相が「国葬」を今秋に行うと表明してからである。

「国葬」とは、日本国が主催する最上位の「追悼式」で、歴史的にもめったにあることではない。国の意思により、国の経費負担で行う「国の公式行事」である。
 
 国の行事である以上、主権者国民の直接代表で「国権の最高機関」(憲法41条)である国会の意思表示(法律か決議)と、日本国の財政処分権を有する(憲法83条)国会の承認が不可欠なはずである。
 
 にもかかわらず、岸田政権は、なぜか頑なに国会審議を回避して、閣議決定だけで国葬を強行しようとしている。そこに主権者国民の世論が反発して、「安倍国葬」に反対する政治運動が盛り上がってしまったのである。
 
 言うまでもないことではあるが、政権側が頑として理解を拒むので改めて言っておくが、国葬という公的行事には法的条件と政治的条件が必要である。法的には国会の意思の証し(法律か決議)が不可欠である。さらに、政治的にはその故人を国葬で遇することについての国民的合意の存在である。これらがないのに、国としてしめやかに故人を追悼する空気は醸成されようもない。
 
 今回、岸田政権は、なぜか法的条件を回避しようとした結果、政治的条件まで自ら壊してしまった。愚かとしか言いようがない。これでは故・安倍元首相に対して失礼であろう。今、主権者国民の多数は安倍氏の葬式に反対しているのではない。私たちは「国事」としての国葬に反対しているだけである。🔳

2022年9月20日火曜日

百歳のお祝い

   この3連休(土日祝)は「祝百歳」の敬老の日でもあった。
 「百歳」というのは日本共産党のことである。もちろん、これほどの歴史を持った日本の政党は外にない。

 その歴史を語った志位和夫氏の記念講演があり、You Tube で Live で配信された。聞き逃し配信もある。
 私自身の体験的記憶はベトナム戦争以降の平和運動や原水禁運動そして労働運動が主で、で、「そんなこともあったなあ」と懐かしく話を聞いた。

 もう一つ、大阪の日本共産党が『時代(とき)をつないで』という本を発行した。
 直接、送料込みで購入を申し込めるが、試しにと思って Amazon を見てみると、送料無料で翌日には配達された。Amazon には若干抵抗もあるが「便利」は「便利」である。
 黒田革新府政実現の思い出や、大阪では忘れることができない部落解放同盟朝田派批判もよみがえってくる。
 この種の冊子では無理かもしれないが、失敗談や反省事項もほしいという気もする。ないものねだりかも知れない。

 本は斜め読みしただけだ。こういう本は、ゆっくりと読むに限る。
 考えてみると百年を1冊にまとめるのは土台無理なことである。一つひとつの章が何冊かの記録集になるべきものだ。いわば概括、歴史の目次のようなものである。あとは自分の記憶を引っ張り出して読むしかない。

 「同じ名前で百年」。これは歴史的研究の対象だとは内田樹先生の言である。

2022年9月19日月曜日

錦糸卵

   わが家では、ばら寿司や具たくさんソーメンなどに必須アイテムである錦糸卵作りは私の担当になっている。

   ところで以前、錦糸卵の前段階の薄焼卵を焼いて何枚も重ねた際、表面が乾いてなくてひっついてしまったことがあった。といって表面が乾くほどに焼き過ぎると美味しくないから少し困った。

 なので、卵焼き器から隣のフライパンにひっくり返して、もう片面を焼くこともしたが、何枚も焼くのにキッチンの手順がもうひとつだった。

 さらに、ネットのレシピなどを見ると「電子レンジで作る」などがあったが、これは全く面白くない。

   そういうことで私の場合は、① 玉子焼き器でふわっと焼く ② オーブントースターで表面を乾かす ‥というようにしているのだが、はてさて、みなさんはどのように工夫されているのだろうか。

   私の場合は厚焼卵のようには魚の擦り身は混ぜず、片栗粉なども入れていない。
 もちろん、孫の凜ちゃんは祖父ちゃんの錦糸卵を食べたときは、手を頬っぺたに持ってきて「ボーノ」と言ってくれる。


2022年9月18日日曜日

コメントを頂いた方へ

 ここ十数件のコメントを「匿名」欄からお寄せいただいた皆さん。

 コメントが文字化けなどをして削除になってしまいました。

 畏れ入りますが、よかったら再送をお願いします。上手くいかない場合はメールでお願いいたします。

 申し訳ありません。

バナナの実

   スマホで木の実を撮っていたら「その木はなんていう木ですか?」と尋ねられたので「マルバチシャノキというらしいです」と答えると「あ、そうですか」と去って行かれた。「それだけかい」「もう聞かんのかい」と私は呟いた。

 そこそこ目立つ実だがそれほどでもない実を撮っているのに「なんでや」と思わないのか。
 それとも、「この爺さんに関わりすぎたらうっとうしそうだ」と思われたのだろうか。

 私にしてから、毎年毎年この木とこの実を見ていながら、実は今年まで20数年あまり興味を持たずに来た。
 そして先日、初めて樹木の本を開いたりして調べ始めた。
 マルバは丸い葉。チシャノキは若葉を食べるとチシャ(サニーレタス)の味がするからとあった。来春試してみるか。

 それよりも驚いたのはこの実。本には「バナナの味がする」とあった。そしてもちろん試食した。結論を言えば、不味くはないが美味くもなく、そう言われればバナナの味というのも「当たらずと雖も遠からず」と言ったところだった。完熟していなかったからかもしれない。

2022年9月17日土曜日

秘書問題は大事件

   9月15日の『統一協会問題備忘録』にも触れたが、「政治家秘書問題」がマスコミで異様にネグレクトされているという大問題がある。(写真のとおり「秘書の派遣」と報じられているものもあるが)

 そして多くの場合、こういう風に異様にネグレクトされている部分にこそ重要な大問題が潜んでいる。
 元首相銃撃事件の際、犯人(容疑者)が早々に「宗教に関わる恨みだ」述べたにもかかわらず大手新聞テレビが選挙後まで怖ろしい程統一協会の名を伏せた異様さを思い起こしてもらいたい。

 「政治家秘書問題」とは、主に自民党の国会や地方議員の選挙の際、統一協会がフロント団体勝共連合等としてボランティアでのお手伝いを申し出て、政治家がそれを大いに活用したという問題である。週刊誌報道などでは、単なる「手足」ではなく相当重要なポジションを頼んで手伝ってもらったケースもあると報じられている。
 さらには選挙時だけに関わらず、統一教会側が「秘書候補」を選抜して、日常の議員の政治活動のお手伝いを秘書として派遣し、政治家側は秘書にしていたケースがあるとの報道もある。(写真のとおり)
 これらのことが、統一協会の霊感商法などに比べて、霊感商法等も大事な問題ではあるが、明らかに異様に報道がネグレクトされていないかと私は不思議に思う。

 統一協会にとっては日本の法律や道徳よりも教祖の教え(教義)が最優先である。
 そしてその教義には、「罪深いイブの子孫の日本人は、教祖の故郷でありアダムの子孫の韓国(韓半島)に献身することで地獄行から救われる」とある。その本部は勿論韓国にあり、大規模なセレモニー等も韓国で行われる。
 というような外国中心主義のカルト集団信者が有力な議員の秘書になっていたのである。

 読者の皆さんが韓国の情報機関職員であったとしたらどうする。
 この集団と信者を「協力者」として接触しないなどということが考えられるだろうか。
 各種大臣をはじめとする自民党の国会議員らがそういう秘書を重宝だと「利用」して、実は外国諜報機関へ何もかもがダダ洩れになっていた恐れはないのか。

 友人の住職が怒っておられたが、こういうのを売国奴と言わずして何とする。
 立憲野党にも広告塔の役割を果たした議員もいる。反共意識に乗せられたのだろうが、国会議員としては「脇が甘い」。
 皮肉といおうか、このことで一番清潔な愛国者は日本共産党だということが明らかになった。
 「政治家秘書問題」を明らかにさせるよう声を大きくしなければならない。

2022年9月16日金曜日

キュウリ属

   キュウリもメロンも同じウリ科キュウリ属である・・と言われてもピンとこない方も少なくない。
 感覚的にはキュウリはカボチャ属のズッキーニと近く感じられる。
 それというのも売られているキュウリは未熟な実ばかりであるからだろうが、大方の消費者は「未熟な実」などとは夢にも思っておられない。

 キュウリも熟するとメロン同様実の中央に水分と種ができてくる。今ではそういうキュウリ
は家庭菜園ででも大きくしないと出会えない。

 そんなキュウリを水っぽくって不味いと思うか、瑞々しく感じるかは人それぞれだろう。私はそういう大きく育った「お化けキュウリ」が好きなのだが、成長が進むにつれて皮の方から苦くなってくる。
 もちろん苦くてたまらないキュウリは糠漬け(浅漬け)には向かないが、ほんの少し苦みが感じられるタイミングだとたまらなく「大人の味」である。そういう漬物は暑さを忘れさせる。
 誰もそんなことは言わないが、夫婦二人で「大人の味やなあ」と言いながら毎日食べている。

2022年9月15日木曜日

統一協会問題備忘録

   元首相を銃撃した行為は絶対に容認できるものではないが、元弁護士である伯父さんが語られている、旧統一協会の容疑者(銃撃犯人)の母親に対する霊感商法や桁違いの高額献金による家庭崩壊の様子は涙を誘う。

 そして、この母親が何か例外なのではなく、こういう被害者が多数いることを弁護士グループは公表している。さらには、教祖の指示によって言葉も通じない韓国で全く知らない人と結婚させられたという被害も多数ある。
 これらの事実は、これが信仰の一種などでは決してなく、宗教の看板を使った悪徳行為、反社会的カルト集団であることを示している。
 
 この組織は、他の反社会的集団同様、その犯罪的行為が摘発されないように権力に取り入り、選挙の手足となって行動し、場合によっては高級車を提供し、信者の票を融通した。
 その見返りに政治家は広告塔としてイベント等に顔を出し、種々の広報紙などに登場した。

 そういう意味で、「相手を知らなかった」「頼まれれば出かけるものだ」という言い訳は全くの嘘で、実態はただただ選挙で勝つために、不正行為の共犯を担って被害者を苦しめてきたのだ。ここに今日の旧統一協会問題の本質がある。

 日本の会長は「当法人としては・・していない」というような発言をしたが、数えきれないほどのフロント団体(別看板)を多用しているのもこの協会の特徴で、中でも自民党などの政治家と結びついていたのは国際勝共連合で、違法な謀略ビラの作成配付、正当な選挙活動を妨害して自作自演の受傷などと言って刑事事件をっち上げるなど、いわゆる様々な「汚れ役」を行ってきた。

 およそ常識では考えられないような行動の大前提たる洗脳は、誰にもある悩みや不幸な出来事を「先祖の霊」と断言し、献金や購入等の供養を行わない限り本人や親族にさらに不幸が訪れる」と脅すことによって成立している。
 わけても、韓国はアダムの子孫の国、それに対して日本人は原罪を背負ったイブの末裔と決めつけ、原罪を背負った日本人は韓国に献金を上納したり献身を積めば救われるという特異な教義による。

 こういう特異な教義に洗脳された信者を、使いやすい頼りになると秘書や運動員として抱えた政治家が、政権党の中心に座ったり、果ては防衛大臣や外務大臣にまでなっていたというのは、本来なら世紀のスキャンダルではないだろうか。

 そのことに気が付かず、「宗教問題だから慎重に」だとか、「政治家の社交の一部だった」と語るのは、ほんとうに理解ができていないか、実は解っているが論点をずらして政治家と旧統一協会を援護しようとしている人々だ。

2022年9月14日水曜日

外野席の戯言

   9月の半ばになった。時の経つのは早い。各種のニュースも望年号や新年号を検討するのに早すぎることはない。

 そもそも年が明けると統一地方選挙である。もっと希望的観測を交えれば岸田内閣が何時まで持つかという話だってないことはない。

 その統一地方選挙だが、大阪ではカジノに突っ走る知事と大阪市長の選挙もある。もちろん議会議員選挙もあるが大阪府議会議員選挙の場合、定数1や2の小選挙区が圧倒的である。

 となると、首長選挙や小選挙区の議員選挙で、大阪の良識派の大同団結、選挙共闘は実現しないものだろうか。

 いわゆる人選などの段階で何もかもオープンにできないことは重々分かっているが、そこへ向かって汗を流している雰囲気ぐらいは欲しいものだと戯言を呟いてみたい。

 これ以上の戯言は止めにする。ただ、いわゆるトコーソーを否決したような、沖縄で起こったような、「盛り上がり」は皆が立ち上がってこそなるものだから、「皆」に依拠して情報も発信してもらいたいものだ。外野席の戯言である。

2022年9月13日火曜日

雀 11月解禁

   孫の夏ちゃんファミリーが伏見稲荷に遊びに行くというので「稲荷は元々稲の神様だから稲を食べる雀の丸焼きを食べてお詣りが完成する」とメールを送ったら、当日、現地から写真が送られてきた。白丸の中が雀。

 よしよし祖父ちゃんの指導をよく守ったと思ったが、帰路わが家によって、「写真は撮ったが夏ちゃんは食べなかった」と報告あり。ああ。

 で報告事項だが、雀の置いていない店の親父の言うのには「11月解禁なので今はない」とのことで、では、他の店で買った写真の雀は何??

 冷凍ものか中国産か? 以前私が焼き鳥屋の厨房で見つけた箱には Spanish と印刷されていた。

 それにしても、一般的には雀も保護対象の野鳥だが、日本でも捕獲が認められている府県があるわけだ。
 考えれば人間も勝手なもので、春から10月までは田圃の害虫を食べてくれるから「益鳥」で、11月になると稲を食べるから「害鳥」になる。そして「害鳥駆除」の対象になる。
 それをリアルで科学的だと思うか、人間のご都合主義と思うかは人それぞれ。
 
 そもそもは野生生物の繁殖期は禁漁期間であるし、鉄砲でいえば見通しが悪く誤射の可能性のある春、夏から秋はそういう意味からも禁漁期間とされている。

 一般論だが、「雀を食べるなんて」と眉をひそめるお方に限って環境破壊の現状に安住して「文化生活」を享受されている。

 雀の焼き鳥の数と環境破壊で減少する数を言えば桁違いに後者こそ問題だ。
 私は伏見稲荷では雀の丸焼きを必ず食べている。

2022年9月12日月曜日

アナログ懐古

   友人たちの間には頑なに「ネットなんか嫌だ」とガラケーに拘っている人々がいる。
 私は「それでは情報社会に取り残されるだけだ」と翻意を促すのだが、彼らからは反対に「ただの新しもん好き」かのように疎まれている。

 ただ機器でいうとブラックボックス化したデジタル機器は私も好きではない。
 直観でも対処できていたアナログ機器が懐かしい。
 ただの新しいトリセツの習得が邪魔くさいだけの「邪魔くさがり」である。

   9月10日仲秋の名月、東の空の雲が徐々に取れて見事なハーベストムーン(収穫月)が現れたのでデジカメで撮影したが、あまりに煌々と輝いていたので、月の兎が飛んでしまった。
 こんな時の設定は以前に対処したことがあったが読み返すのが邪魔くさくて、「ただの綺麗な満月」で終わってしまった。
 そして「昔のカメラなら絞りもみんなダイヤルで表示されていたのに」と口の中でつぶやいた。ガラケーの友人たちを笑えない。

   そんなもので掲載の上の写真は11日の朝方の西の空。周りも明るくなってきてコントラストが自然に薄まってきたときの満月。兎もぼんやりと感じられる。あまり複雑な設定はしていない。
 下の写真はその少し後の東の空。こちらはデジタルの最たるスマホ。悲しいかなスマホの写真が侮れない。

 一番下はわが家のお月見(10日)。


2022年9月11日日曜日

ミュートメッセージ

   日頃のメール(メッセージ)機能は原稿や論文的なものを除けば主にLINEを利用している。
   そのためもあって、できるだけ着信を見落とさないよう、けっこう大きめの着信音を設定しているので、例えば寝入った頃に着信音がなって飛び起きると、他愛ない御礼のメッセージであったりする。

 同じような出来事は私が送信したお相手にも当然に起こっている。それを避けるためには就寝中や就業中と思われる時間帯を避けると良いのだが、そうすると当方の実務が少々じゃまくさい。そんな経験、皆さんもおありのことだろう。それの解決策がLINEに新しくできた。

 以下のスマホのLINEのミュート機能は妻に教えてもらったものだが、非常に実践的な利便性があるので書き留めておく。
 LINEのメールを送っても相手の着信音が鳴らないようにする方法である。起床後とか、終業後に見ていただくと通知が届いていたとする方法である。

 🔳 LINEを開ける  ホームをタップ(クリック)  右上の歯車マーク(設定)をタップ  画面を下へスクロールして、LINE Labsをタップ  ミュートメッセージの右のマークをONにする。以上で終わりである。LINEの新機能だという。

 次に実際にメッセージを送る場合。

 入力欄に入力  右向き▶の▶を長押し  表示された「ミュートメッセージ」をタップ    これで送信され、相手には「ミュート」(消音)となる。

2022年9月10日土曜日

お月見団子

   今夜は雨月かもしれないが仲秋の名月。旧暦8月15日。
   貴家のお月見団子はどんな形?

   わが家が用意する(購入する)団子は楕円形で、左右はそのまま、中央部分に漉し餡をぐるりと巻いたものである。
 関西ではメジャーであるが、三宝に餡子なしの丸いお団子をピラミッド状に飾る絵本のようなものとは全く異なる。

 この「関西風」のお月見団子の形の由来については諸説あるが、私としては里芋の衣被(きぬかずき)に似せたものとの説に一番説得力を感じている。
 なお衣被とは、里芋を皮のまま茹でるか蒸すかして、仕上げに頭の方の皮をちょっと剥いておく料理であり、底と頭が白く、中心部分が里芋の皮のままで茶色いもので、似ていないかと言われれば似ていないこともない。デフォルメだと考えれば許容される。か?

 仲秋の名月は別名「芋名月」であるからなおさら納得するのだが、引っかかる点もないことはない。それは、お団子はハレの日のお菓子、それに対して里芋はケの家庭料理で京風にいえばおばんざい。格上と思われるお菓子で格下と思われる「惣菜」を真似るか・・という疑問。感覚的にすっきりしない。
 ただ、京菓子には季節の諸々を色や形に表す伝統があるからと考えれば何ということもないかも。

 それにしても、日本の食文化の基底には東南アジアからポリネシアにまで通じるモチモチ・ネバネバ文化が指摘されている。
 ある意味「舌は保守的」であるから、あれだけ圧倒的な中華文明の月餅を採用せず、遠い祖先の愛した(であろう)里芋を月に供えるのかもしれない。そしてお団子の形にしたりして。

 孫の凜ちゃんが祖父ちゃん手作りの満月の前でポーズをとってくれた。
 凜ちゃんは祖父ちゃんの家に行くと何時もお祭りだと思っている。お月見祭りだ。お月見団子だ。

2022年9月9日金曜日

五歳児事件の洗脳と宗教

   福岡五歳児餓死事件の母親が「マインドコントロールされていた」としてママ友なる人物を訴えている裁判が報道されている。
 現在、旧統一協会によるマインドコントロール(洗脳)による霊感商法や桁違いの高額献金による被害が問題になっているが、まるでコピーのようによく似た事件だと思っていた。

 ただ、新聞テレビの報道も、何か言葉巧みにマインドコントロールしたかのような説明だけだったから、何故子どもの餓死事件にまで至る理不尽が成立したのかは判らなかったし、興味もなかった。(ワイドショーやネット情報に詳しい方には珍しくもなんともない情報だろうが)

 そんなとき、妻が「週刊誌の報道によると母親とママ友は創価学会員らしい」と教えてくれたので、ネットを検索すると多くの証言が載っていて間違いのないことらしい。
 『母親は救急車も呼ばず創価学会のご本尊を拝んでいた』とも報じられている。
 それでマスコミが、統一協会事件に比べて五歳児事件についてはマインドコントロールの掘り下げが浅い理由も判った気がする。
 言論弾圧の大先輩である創価学会のタブーはこの社会では揺るいでいない。

 時あたかも、公明党国会議員が、ここに文章にするのも憚られるような猥褻なパワハラ事件を起こしたことが報じられているし、重大なことは公明党の委員長も副委員長も参議院選挙前にその事実を知りながら被害者に口止めを求め隠ぺいを図ったと報じられていることである。

 確かに巨大組織の中には誤った人間も出ることはあるだろうが、社会の常識を軽蔑して「絶対的な教え」「それに基づく地獄に落ちるぞ的罰則」を説く宗教団体の怖ろしさが現れたものと思われる。

 似非キリスト教の統一協会(キリスト教社会ではキリスト教と認められていない)に公明党の国政、地方の議員が広告塔になったりイベントに出かけて挨拶をしたりしている者もいる。創価学会の言う仏の道も立派なものである。

2022年9月8日木曜日

月の逍遥

   今週末が仲秋の名月なので、月について少し考えてみた。
 その第一はツクヨミ(月読命)で、記紀神話の中で位置付けが高い(イザナミが産んだ最初の3神)けれども極端に影が薄いのは何故かということ。
 四季の国の農耕民族にとって桁違いに重要だったのは太陽。故に太陽神アマテラスに比ぶべくもない無視されたのだろうか。それとも、ヤマトに征服?された出雲と重なるのだろうか。まだ頭が整理できていない。

 その第二はイスラムのシンボルたる新月(三日月)の向きについて。多くのデザインは右側が欠けていてその方向に星がある「右向き」なのは何故か。私の経験知では三日月は左向き。
 これはそもそも私が知らないだけで右向きに見える条件が存在するのだろうか。・・で、黄道、白道その他月の満ち欠けを勉強しなおしたがこれはなかなか高度な天文学だった。
 結局、多くのイスラム国の国旗等にデザインされている右向きの三日月を実際に見ることはできず、結局、戦で流された血の海に写った姿という説ぐらいしか辿り着けなかった。
 当然そのデザインから「実は三日月ではなく27日の月だった」というような論はなかった。
 また、日本では月齢0日が朔=新月とされているが、イスラムの新月は月齢2日=三日月と微妙に違うことも知った。0は0だから1がスタートというのはよく解る。日本式だと三日月が出て初めて「昨日が朔だった」となるので不合理といえば不合理。

 まだお月見まで日にちはある。こんな時ぐらい月に関する本を逍遥してみよう。

2022年9月7日水曜日

読者の文芸

   心臓医にストレス何かと問われるを政治とカルトと言えず呑みこむ

   8月某日、以前にアブレーション手術を受けた心房細動の不整脈・頻脈が再発し病院に運び込まれた。
 たまたま主治医の出勤日だったので各種検査や診察を受け、点滴をしてもらった。

 症状が落ち着いてからの診察の折、心臓医(循環器内科)の主治医からは「発作前の兆候はどうだったか」「ストレスの具合はどうだったか」と何回も問診があった。ストレスが大きなリスクファクターであるためという。

 実はストレスはあった。自公政治のこと、反社会的カルト集団・旧統一協会のこと、一番はそれらのことに関するメッセージの伝え方について原稿がなかなかまとまらず、けっこう大きなストレスを抱えていた。
 ただ、これまでの主治医とのやりとりを思い返してみて、「このストレスの話、判らないだろうな」と思って、説明を止めたのだった。冒頭の短歌は、そのことを詠んだ一首である。

 その一首、9月6日、読者の文芸・短歌、畑谷隆子選に採ってもらった。先生の添削で格段に良くなっていた。その添削が非常に勉強になった。添削ありがとうございました。

 もともと私は理数系のロジックが好きで文芸全般には「超」弱かった。
 そして何年か前、老々介護で家にいたとき、どこかの酒席から友人が「いま皆で飲んでいて、近々堺のお寺で句会を始めることになったから心するように」と電話があったのが一つのきっかけ。もうひとつはプレバトを見て何となく真似てみようかと思ったことがもう一つのきっかけで、俳句、川柳、短歌の違いはあるが、恐る恐る文芸もどきをたまに投稿するようになった次第。(なお、その句会は数年後の今も開かれていない)

 こんな私の作品でも年に1~2回は採用・掲載されることがあるのだから、友人諸氏も投稿されるなら採られることも多いだろう。
 商業紙ではない「皆の機関紙」だから、「紙面に参加してやろう」という姿勢も意味がないことはないだろう。機関紙というのは皆で作るものだから。

2022年9月6日火曜日

9月4日の選挙結果

   誠に責任のない傍観者的な印象を書く。
 5日のフェイズブックを読んでいて感じたことである。

 その第一は、4日にあった兵庫県高砂市議会議員選挙の結果で、定数19名のところに共産党の現職2名が立候補して、一人が17位で当選したもののもう一人の現職が21位で落選したという。
 先の参議院選挙で伸び悩んだが、いよいよここまで来たかと正直落胆した。

 その第二は、その記事を読んだ後繰っていると、高知県香美市(かみし)議会議員選挙の結果、定数18名のところ 3、4、6、8、9、13位で6人当選したという。得票率は31.7%。もちろん議席占有率は33.33%。
 対立する候補者の地盤その他詳しいことは何も知らない。それにしても快挙だと、先のことを忘れて嬉しくなった。

 さて、先の参議院選挙では日本共産党がもうひとつ伸びなかった。
 核になる人々の高齢化、読者を含めて核になる人々の減少がブレーキの原因だと言われている。そのとおりだと思う。
 贔屓目ではあるが政策はピカ一だし、何よりも品性高潔、清潔であることには文句がないが、メッセージの伝え方が一部で固すぎたり紋切型であったり消極的であるところも大きな要因だろうと私は思う。
 だから翻って、核になる人々を増やさなければということは正しいが、そこで思考停止してしまって一つひとつの選挙活動の分析から教訓を引き出す作業を軽視してはならないと思う。

 高砂で上手くいかなかったことが香美でどうして躍進で来たのか。大いに語って聞かせてほしい。
 選挙は選挙期間だけの結果ではない。地道な日常の運動を学ぶ必要がある。

2022年9月5日月曜日

稲夫の夜

   線状降水帯という天気予報が珍しくなくなった。気候変動という言葉が納得される。
 先日は大阪泉州続いて南河内に警報が出て、その後近江湖東に移っていった。ということはその雲がこの辺上空を通って行った筈だが幸いなことに知らぬ間に通り過ぎていった。
 そういえば遠くない地区で豪雨となっていても嘘のように青空が見えている時も少なくない。超大型台風も来て、不思議なことも多い。

 ところで3日の夜は突然の酷い雷雨になって、これが続けばあちこちで崖崩れや川の氾濫が起こっても不思議でないと夫婦で話し合っていたところ、近くに落雷があり、わが家の斜めの街区が停電になった。そこは隣の自治体なので、関電の配線も大きくは自治体ごとに分かれているようだった。関電に電話した方もそのような説明だったらしい。

 そこで、一応ナルホドと理解しつつ翌朝配線の状況を見上げたところ、同じ電柱の同じ線(らしい)から南北に分かれていて、片やK市の街区は停電、片やS町の街区は通電していた。精密に点検したわけではないから何とも言えないが、K市の街区だけが停電した理由(K市側とS町側に分かれていてそれぞれの基部にブレーカーのようなものがあるのか??)私の知識では解らない。
 幸いわが家は無事だったし、最低限と思ってPCの線は抜いておいた。
 近頃は固定電話の受話器も停電では使えないし、その上に携帯が充電切れというご近所に携帯をお貸ししたりしたが、災害は忘れた頃にやってくる。気をつけなければ。

   閑話休題 古来、イナズマは「稲の夫(ツマ)」で、稲の種を妊娠させて稔らせるものと考えられてきた。
 そういえば、翌朝に散歩するとイネ科の草ぐさが昨夜の豪雨に打たれて斜めになりながらも、どこかイキイキとエネルギッシュに見えたものだ。
 ほんとうにそう見えた。

2022年9月4日日曜日

新野 新さん達の置土産

   友人のTさんから『歌謡浪曲 大阪大空襲』なるレコードを聞かせて頂いた。
   その内容等については、彼がFBに投稿されていた文を転載して紹介する。

 🔳敗戦から77年目の夏、戦争を体験された方の高齢化に伴って「戦争体験の継承」が大きな課題となっていることがマスコミの報道でも指摘されています。先日投稿した京橋駅空襲被災者慰霊祭の時にも、遺族代表の方が語り継いでいくことの大切さを訴えておられました。

 そんな折、ヤフオクに『歌謡浪曲 大阪大空襲』と題するLPレコードが出品されていて、どんな内容だろうと入札したら、他に応札者がおらず難なく落札。届いたLPの「作者のことば」を見て驚きました。放送作家などいくつもの肩書を持つ新野新さんがこの浪曲を書いていたのです。新野新といえば、若き頃の笑福亭鶴瓶とともに『ぬかるみの世界』という深夜ラジオの番組で、グダグダととりとめのない話をしていた人という印象が残っていたので意外でした。その新野新さんも、少年時代に大阪の空襲を体験されたそうで、その体験に加えて「大阪大空襲体験を語る会」から出された『大阪空襲体験記』の行間からあふれ出る空襲体験者のうめき声に揺り動かされてこの浪曲を書きあげた、と語っています(作者のことば)。

 さて、浪曲のレコードに針を落とすのは初めてでしたが、富士月の栄さんの熱演に圧倒されました。夫の出征から始まって、長男の学童疎開、3月13日と6月1日の大空襲から背負い子(長女)の死と、妻、姑、長男など5人の声色を使い分け、情感を込めた熱唱と語りに思わず姿勢を正すこともありました。何よりも、なにわ言葉を安心して聞くことができました。熱唱は「あの日あの時幾百万の 涙と血潮を乗り越えて 築いた日本の平和なら 無駄にすまいぞ此の犠牲 忘れちゃならないあの悲劇 語り伝えて何時迄も 涙で偲ぶ大空襲 あゝ大阪の大空襲」と締めくくられます。作者のことばも最後に「祖父か祖母か、又父か母が買ったこの1枚の浪曲のレコードを、或る日、戦争を知らない子供や孫がふと聞いてくれたら…これは作者のひそやかな、そして最大の希いなのである」と記しています。戦争体験の継承と浪曲とがなかなか結び付きませんでしたが、こんな伝え方もあるんだ!…と、改めて伝え続けていくことの大切さに思いを致した45分間でした🔳 (以上、TさんのFB)

 再生する前「もっと素人っぽいもの」かと想像したのが申し訳ない、ホンモノの芸だったので感動した。
 
 さて、私は戦後第1期生である。就職したての頃は数歳違うだけで回りはみんな戦争体験者であった。一番近い人は「逃げ回っているとき炎が綺麗かった」と言っていた。
 そして私は疎開先の借家で生まれたのだが、家は天王寺区の東高津宮近く、店はせんば淡路町だったから、この浪曲通り丸焼けになっていた。
 後に母親は「上本町から西を見たら一面焼け野原だった」と私に語っていた。

 戦後、多くの映画が、そして初期のテレビも、コメディも含めて戦争や軍隊の不条理を取り上げていた。それが昨今では、軍事負倍増、予算事項要求、敵中枢部先制攻撃能力というような言葉が軽々と語られるようになっている。

 あまり情緒的に語るのは不得手であるが、情緒的に納得した記憶は残るということもある。「メッセージの伝え方」をもっともっと考え抜く必要がありそうだ。

2022年9月3日土曜日

イソヒヨドリは構造色を嫌わない

   この頃テレビでも「街なかに美しい鳥が」「街なかに美しい鳴き声が」・・その正体は?というようにイソヒヨドリが度々取り上げられている。
 わが街でも初見の10数年前から、今や「一番普通の鳥」になっている。

 「ところでイソヒヨドリは何を食べているの」と妻に尋ねられ、「私の知る限りバッタやトカゲを食べているのを見た」と答えたが、それほど本気で調べたことはない。

   そんな話をした日の午後、家の前にイソヒヨドリがやってきて、街路樹の椿に飛びかかった。一瞬何か光ったので「まさか玉虫?」と思ったが、すでに玉虫の季節は過ぎている。
 そこで、とりあえず写真だけ撮っておいた。道路上で突いているのを2階の窓から撮った。

 掲載の写真のとおり、上の写真の嘴のアップが下の写真である。コガネムシの仲間と思われる。
 木の実も食べるらしいが、私の見た記憶では昆虫類が多い。ならば、ザクッと言って「益虫」となる。
 でもね、毛虫や根切り虫の類はいいとして、タマムシをはじめとするきれいな昆虫は少しおいておいてほしいなあ。

 さて、タマムシやコガネムシなどの金属的な光沢は「構造色」といわれている。その仕組みはさておき、その美しさ故、昆虫少年には人気がある。そして誰もが「何故こんなにも美しく目立つ色をしているのか?」と疑問を抱く。

 モノの本によると、① 果樹園などによくCDがぶら下げてあるが、構造色(金属的光沢)は鳥が嫌うからである。② 葉っぱにツヤがある照葉樹に止まっていると目立たないから一種の擬態である。③ 鳥に金属片と思わせたり、よく似た堅い、あるいは不味い昆虫などと知って思わせて捕食を免れるのである。‥というような、いずれも進化論的な解説が書いてある。

 今回のコガネムシについては照葉樹である椿に止まっていたから②には該当するが、私のよく観察するタマムシはケヤキやエノキによく居て、それらは照葉樹ではないはずである。
 ③のそっくりさんの毒虫や不味い虫というのは今のところ私は知らない。①については農家の経験知だろうが、鳥に聞いてみなければ真偽は不明。

 実際の現実は、私の目の前でイソヒヨドリがコガネムシを捕食した事実であるから、「事実は権威(本)よりも奇なり」である。自然界に関わらず社会に関わらず、安易に通説なるものを信じるのはよくない。とイソヒヨドリは教えてくれた。

2022年9月2日金曜日

富士山は噴火する

   9月1日は関東大震災の記憶を受けて「防災の日」だった。 
 ということもあり、「赤旗」が山梨県富士山科学研究所藤井俊嗣所長(マグマ学)の話を載せていた。
 自然科学の情報を解りやすく載せる「赤旗」のこういうところは魅力のひとつだ。

 富士山は1707年の宝永噴火以来噴火していないが、そもそも5600年前から30年に1回の頻度で噴火しており、現在の300年空白は異常である。
 富士山のマグマは相当量たまっていると予想されるが場所が深くて観測できていない。などなどなど少々怖い話であった。

 となると、本気で副首都が構想されなければならないが、大阪の街づくりは維新がボロボロにしたから難しい。気象条件でいうと豪雪地帯、地震多発地帯も少し躊躇する。という条件から引き算すると、古の都平城京に変えるのが良くないか。
 雪は寂しいくらい降ることが少ない。活断層はあるのだが、ほんとうに地震も少ない。万葉人が都としたのもうなずける。油断大敵ではあるが、阪神間や大阪北部の地震のニュースの度に「この辺はけっこうでんな」との会話が飛び交っている。

 一つ心配なのは大和川の大阪への出口「亀の瀬」の地滑り対策が壊れた場合、奈良盆地は水没する。その自然のダムが決壊したら大阪平野が流される。・・・とまあ他愛ないおしゃべり。

 火山列島の火山は富士山だけではない。全国に原発をばらまいて、近代以降の日本人はどこかで何かを踏み外しているかもしれない。
 それでも内閣を支持する何十パーセント。これは霊感商法や詐欺商法に明日にでも引っかかる予備軍だろう。
 SNSの世界でも、もっと普通を、常識を語らなければならないかも。富士山は噴火する。

2022年9月1日木曜日

地獄を覗き込む快感

   8月30日付け朝日新聞『リレーおぴにおん』の元大王製紙会長井川意高氏の告白には正直驚いた。

 賭博が依存症を呼ぶ、常習性を呼ぶということは、長く業務上の精神障害を担当してきたこともありよーく理解していたつもりだったが・・・、この記事の言葉は私の理解を超えるものだった。

 氏は、シンガポールやマカオのカジノで106億8千万円を失い、関係会社から資金を融通したため懲役4年の実刑判決を受けて服役した。
 ところが刑期満了から1年もたたないうちにソウルのカジノで4日間で9億円を失った。

 私が驚いた箇所は次のようなその理由だった。
 🔳 私(井川)には、地獄の釜を覗き込むようなジリジリ焼け焦げる感覚やヒリヒリ感が快楽でした・・・痛みを感じるような金額でヒリヒリしなければ、ギャンブルではないと考えていた🔳と、

 大金持ちの3代目の氏であるからこういう話で済んでいるが、普通にはここまで行くと、家族離散、犯罪や自殺が発生していてもおかしくない。上記の精神状態は想像を絶するものであるが、精神障害の医学の世界ではある意味常識に属することでもある。。

 大阪の維新がカジノに向けて突っ走しているが、多くの家庭崩壊、犯罪、自殺が増えることは間違いない。大阪近辺がスラム化する。そんなことは自明であるから、入場回数制限だとか、依存症対策などを大阪府市が言わざるを得ないわけである。それでもそれはカジノのイチジクの葉っぱにもならないだろう。

 博奕は胴元が儲かる仕組みである。カジノの胴元は外国資本である。統一協会の霊感商法や高額献金ではないが、外国の親玉だけが笑う仕組みである。
 その雫の一部で儲ける人間がいたとしても、そんなシステムで地方自治が栄えるはずがない。
 日本の皆さん、維新と一緒に、釜の底をヒリヒリと覗いてみますか。

 正常な精神の庶民ならば、「今日こそ勝つかもしれん」と阪神を応援するヒリヒリ感でいいのではないか。