漫才の父とも称される秋田實は戦前戦中はプロレタリア文化運動の「機関誌」的な位置にあった「戦旗」の編集部員でもあり、そのため酷い拷問も何回も受けてきた。
そういう「根性」で戦後最初の漫才ブームを作ったのだから、そこには常に庶民感覚の暖かさがあった。それは昨今の一部にある、弱者を嘲笑するかの芸の対極であった。
関連して連想したのは、朝ドラの主人公笠置シズ子を喰ってしまいそうだった淡谷のり子の、官憲からの再三の指導にも拘らず、モンペの着用を拒否し、パーマ、つけまつげ、化粧で軍歌は歌わず、ドレスは私の戦闘服だと言いのけた生き様だった。
そして同じ時期大阪では、ミス・ワカナ 玉松一郎の漫才が人気を博していたが、「ミスは敵性英語である」として改名を命令された折、「ほんなら、ワテ女やさかい、メス・ワカナにしまっさ」と逆らった話は有名だと言われている。(ただ初代のミス・ワカナ 玉松一郎の漫才は私は知らない)
史料等では結局玉松ワカナとかいくつかの名を名乗ったらしい。
米朝も松鶴も上岡龍太郎も「いとこい」さんたちも、昨今の醜聞にあの世で眉をひそめていることだろう。
桂米朝師匠は生前、「もともと芸人の仕事はお上の姿勢を正すのが本業で、お上に助けてもらうことなど言語道断」と諭されていたそうです。
返信削除”わたしらは、コメの一粒、クギの一本も作らへん商売やから、末路哀れは覚悟の上や〟という姿勢、覚悟のうえから出た教えだったのでしょう。今の吉本のような権力にへつらい、癒着する姿勢は上方の文化の姿ではありません。
上方の文化が庶民の文化であって、お上にへつらったりお上の威を借ったりするのは軽蔑されたものだったように思います。 ひげ親父さんに同意!
返信削除本当にに最近の吉本芸人さんにはうんざりしますね。権力者にべったりの吉本興業にこびへつらう芸人さんたちはただの操り人形ですね。AIに聞いてみました。「お笑いや落語は、権力者に対して力のない庶民の代弁者として、歴史的に重要な役割を果たしてきました。お笑いは社会や政治に対する風刺や批判を通じて、人々に笑いと共感を提供してきました。庶民の視点から問題を浮き彫りにし、時には抵抗の意志を示すこともあります。このような芸人たちの活動は、社会的な変化や問題に対する意識を高める一翼を担っています。AIは情報を学習し、ユーザーの視点や歴史的背景を理解することができますが、感情や意志を持つ存在ではありません。しかし、お笑いや文化の重要性について学び、理解することは大切です。庶民の代弁者としての芸人たちの役割を尊重し、その歴史的な意義を認識しています。」との回答がありました。
返信削除弁英さん、AIを活用しているとは驚きました。回答も面白い。
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