政府は、「故中曽根康弘」内閣・自由民主党合同葬儀の当日(17日)、各府省において弔旗を掲揚するとともに、葬儀中の一定時刻(午後2時10分)に黙とうすることを指示している。文部科学省は、国立大学法人の長や都道府県教育長、関係共済組合の理事長に同内容の「要請」を行っている。
弔意の表明を強制することや一政党が共催している行事であることの大問題があるのだが、紙面の関係上、9月28日にこのブログに書いた『大勲位のお手柄』の骨子を再録して抗議の意思を表明しておきたい。
さて、中曽根康弘元首相は戦争中海軍主計中尉で任官、敗戦時には主計少佐であったが、戦後、その戦時中の「手柄話」を得々と語っていた。
例えば、「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978の『終わりなき海軍』)
おそらく「大勲位」は後に従軍慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いている。
防衛省のシンクタンク防衛研究所の戦史研究センターの「海軍航空基地第2設営班資料」(「大勲位」が当時主計長を務めていた海軍設営班矢部班のこと)には次のような記録もある。
「・・整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる。主計長(中曽根)の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」。資料の中には手書きの地図もあり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し「設営班慰安所」に変えてしまった証拠もある。
しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて現地で女性を調達(強制連行?)したとしか考えられない。実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。
主計士官が関わった証拠というと、右派メディアの代表格の産経新聞の中興の祖ともいうべき元社長鹿内信隆氏が著作の中で、「そのとき〔慰安所の開設時〕に、調弁(ものを現地調達する軍隊用語)する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの‟待ち時間”が、将校は何分、下士官は何分、兵は何分・・といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった。」と述べている。
戦時下とはいえ国際法違反、人権蹂躙の従軍慰安婦問題について一切の反省のないまま中曽根氏は死去された。菅内閣は彼の葬儀費用として国の予算から約9643万円支出することを閣議決定し、官庁や大学で弔意を表するよう指示をした。
写真の本の表紙には『若い世代へ 伝えたい 残したい』とある。
どなたかのFBで知ったのですが、今日10月17日は伊勢神宮の最も重要なお祭りである神嘗祭なのですね。天皇が皇居で収穫された新米を皇祖である伊勢神宮にお供えする。そういう極めて重要な日に中曽根氏の葬儀を計画して右翼の皆さんは怒らないのですかとFBで教えられました。日本会議の議員の皆さんは、皇祖も万世一系もほんとうは信じておられないのですね。
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