若い頃、といっても30代の終わりの頃、近所に詩吟をされている方がいて、軽い同好会のように近隣の仲間と楽しんだことがある。
その方が転勤に伴って街から転出され自然消滅したから、私にとって詩吟は本当に入口を覗いただけの経験であるが、そんなこともあり漢詩にはちょっぴり親近感がないではない。
今般、ほんの出来心で寒山寺に建てられている有名な「楓橋夜泊」(ふうきょうやはく)の石碑(詩碑)の拓本を手に入れた。日本中には星の数ほど存在するもののひとつである。かつて息子が中国旅行をした時もお土産に持って帰ってきたが、それは既に廃棄した。
唐代の詩人長継の七言絶句で、詩吟風に書き下し文にすると、月落ち烏啼いて 霜 天に満つ 江楓 漁火 愁眠に對す 姑蘇城外の寒山寺 夜半の鐘聲 客船に到る である。蛇足ながら意訳を付記すると、『月は水面に映り、夜烏がないて、霜の気配が天に満ちている。川岸の楓(かえで)の間には、いさり火が点々として、旅愁のためにうつらうつらと眠れない私の目に映る。そんな折、蘇州郊外の寒山寺の夜半を告げる鐘の音が、私の乗っている旅の船にまで響いてきた』というあたりだろうか。
次に左側の解説文だが、これがなかなか読めなかったが、ネットで辿り着いた記事によると次のとおりらしい。「寒山寺旧有文待诏所书唐张继《枫桥夜泊》诗,岁久漫漶,光绪丙午,筱石中承于寺中新葺数楹,属余补书刻石」
その意は、寒山寺に、張继の楓橋夜泊の詩を文待詔(唐代の詩人)が書いた(彫った)石碑があったが歴史を経て壊れたので、清代(光緒)の時(日本の明治時代)、改築した寒山寺で蘇州中承(県長)陳變龍(字筱石)が、俞越(ゆえつ)に新しい石碑を彫刻させた。(ということは、この寒山寺の石碑の拓本の文字は俞越の文字)。
何ということはない、今日の記事はそれだけのことである。それだけのことに辿り着くのに何回もため息をついて「高校時分にどうしてもっと勉強しなかったのだろう」と後悔した秋の日だった。
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