2020年10月3日土曜日

マトリョーシカから飛び出たもの

 先日発行したミニコミ紙の見出しに『菅は安倍のマトリョーシカ』と書いたが訂正したい。何となれば、安倍右翼政権の番頭だった菅は安倍以上に狡猾な男である。

   その証拠は、  赤旗がスクープしたあと大新聞やテレビが後を追ったのでご存知だとして詳細は省くが、菅首相は学術会議会員の任命にあたって、学術会議法に基づいて推薦のあった候補者のうち主に人文系の6人について理由を明らかにせず任命を拒否した。歴史上例のないことである。

 加藤官房長官は「法律上、内閣総理大臣の所轄であり、会員の人事を通じて一定の監督権を行使するのは法律上可能。その範囲内で行っているので、ただちに学問の自由の侵害にはつながらない」と述べたが、以下のとおりそれは、憲法23条の学問の自由や学術会議法3条が謳う学術の独立を踏みにじるものである。

 任命を拒否された者の一人である立命館大学法科大学院松宮孝明教授(刑事法学)は京都新聞の取材にこう述べている。「(官房長官は)学問を監督しようと言っているが、それが自由の侵害ではないか。もう一つ言うと、ほとんど同じ構造をもっている条文が憲法61項にある。天皇の国事行為だ。「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」とある。日本学術会議法では「学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」。主語と述語は入れ替わるが、同じ構造だ。ということは官房長官の言い方だと、国会が指名した人物について天皇が「この者は駄目だから任命しない」と言えることになる。同じ理屈だ。つまり任命権があることを、「任命が拒否できる権限もある」というふうに思うのは間違いなのだ」。・・この話はよくわかる。

 近年、防衛省が多額の研究助成予算を使用してきたが、学術会議は「軍事研究はやらない」「普通の研究予算を増額せよ」と言ってきたことに自公政権は「大学の人文系学部は不要だ」などと言ってきたが、これはそのさらなる回答と言える。もっと具体的には、戦争法や共謀罪法に賛成しなかった学者をパージすることで学術分野を恫喝する側面も大きい。これはとてつもなく怖ろしいことである。

 さて皆さん、朝ドラ『エール』では妻の音(おと)が「みんなの心を楽しくさせる音楽」と発言したことに対して音楽挺身隊リーダーの神林は「時節柄音楽は軍需品である」と述べて音を「非国民」と指弾するのだった。そして新聞記者になった裕一の友人の村野は「戦局は報道内容とは大きく異なっているようだ」と裕一に語り、戦意高揚一色の音楽界から去っていった。この朝ドラの昭和18年の場面を、まるで先のニュースの解説のように感じたのは私一人ではないはずだ。学術会議会員任命拒否がエールが描いた時代、全体主義の時代への復古の一里塚であることは間違いない。

 戦前の国家による学問の監督・統制の事例は枚挙にいとまがないが、与党公明党の支持者の皆さんは、朝ドラが描いている昭和18年に同じ文脈の下に、牧口常三郎、戸田城聖両氏が検挙されたこと、牧口氏が翌年獄死した歴史をどう学んでいるのだろうか。

2 件のコメント:

  1. 菅首相が総裁選で表明した「何をやるかという方向が決定したことに反対するのであれば移動してもらう」というのは、官僚に対する脅しだと思っていたが今回の6氏が共謀罪法案の祭に政府方針に異を唱えていたことに対する意趣返しだったのかと納得しました。

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  2.  農業従事者に対する差別語だという批判もあるのですが、俗に法律の「百姓読み」という言葉があり、法律の立法趣旨をわきまえず片言隻句をとらえて曲解することを言います。就職した頃先輩から教わりました。
     学術会議法の「学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する」の「内閣総理大臣が任命する」という片言隻句だけを取り出して、同法第3条に謳われている「日本学術会議は独立して左の職務を行う」との根本趣旨を踏みにじるのは、よく言えば「百姓読み」悪く言えば「違法な曲解」です。
     なお、1983年の日本学術会議法改正に際し、総理府(現内閣府)が作成したとみられる「日本学術会議関係想定問答」が内閣法制局の「法律案審議録」に含まれていたことが判明したが、そこには「首相の任命は実質的か」との問いに「推薦に基づいて会員を任命することとなっており、形式的任命である」と答えている。
     この見解は法律の読み方としては常識的で正当で、「首相は形式的任命しかできず、任命拒否は違法」の証拠である。

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