2020年10月9日金曜日

俳句の解説の解説

南御堂の「旅に病んで・・」の句碑
   NHKの『英雄たちの選択』で『松尾芭蕉』を取り上げていた。司会は磯田道史、ゲストは嵐山光三郎、長谷川櫂、佐藤勝明という著名人たちで、比較的冒頭部分でかの有名な『古池や蛙飛びこむ水のをと』を取り上げて、全員が「これは芭蕉の心象風景だ」と言って誉めるのだが、心象風景と決めつける理由として「カエルは音を立てて跳び込まない」「カエルはスーッと水に入るものだ」「そうだそうだ」と断定していたのが気になった。そういえば、こういう説は以前にもどこかで聞いたことがある。

 芭蕉研究の結果として大いに芭蕉の心象風景であってもよいのだが、その理由が「カエルは音を立てて跳び込まない」と聞くとちょっと放ってはおけない。・・想像するに、そういうことは大先生の文章にそういう記述があり、それを知っている博識の「文化人」たちが原理原則の定説だとしてエヘンと語っているように私は感じた。この話(説)をどこかで読んだような気もする。

 ちょっと待て!馬鹿も休み休み言え! 人の気配を察したカエルたちがポチャンと水に飛び込むのは何百回と私は見ている聞いている。法廷に立ってもいい。結論として知識人だといって人の話は鵜呑みにするな!がこの番組の教訓だと私は思った。

 俳句の話で同じような話がある。正岡子規の俳句で初めて活字になった句が、『虫の音を踏みわけ行や野の小道』である。これについて先の話同様「作為的だ」という批判がある。野の小道を踏みわけ行けば虫は一斉に鳴き止むから「虫の音を踏みわけ行くというのは嘘である」という解説がある。

 しかし私の経験を言えば、都会の小さな広場の話はいざ知らず、少し鄙の野原に行くと、足下周辺は鳴き止んでも、野原全体では何処知らぬ顔で虫たちは鳴き続ける。虫の音を踏みわけ行くのは嘘とは限らない。

 俳句を論ずる人びとなら自然世界への興味や観察も豊かだと信じたいが、それでも本は読んでもカエルや虫たちと遊んだ経験の薄い人々がいるということだ。重ねて言うが、偉い人々が言っているからといってむやみに信じるな。現実の自然界で感性を磨け。ただ、だから(虫やカエルを知っているから)といって俳句が上手くひねり出せるものでないところが非常に辛い。

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