2022年7月6日水曜日

アリとキリギリス

   いっぺんに猛暑がやってきて、草原ではキリギリスが鳴き始めた。
 小さい頃は草原の縁(網で捕りやすい場所)に玉ネギの欠片を置いておいて、しばらくして出てきたキリギリスを捕獲したりした。

 また、おもちゃ屋や駄菓子屋でキリギリスが売られていて、虫籠に入れて鳴き声を楽しんだ。懐かしい思い出だ。

 さて、イソップの寓話『アリとキリギリス』は元はアリとセミらしい。ヨーロッパの北の方にはセミがいないので途中でキリギリスに翻意されたらしい。

 いずれにしても寓意は享楽的生活をせず、将来のためにコツコツと生きろということだろう。上から目線の「節約生活に安住せよ」には全面的に賛同しがたいが、人間の生き方に関して大きな柱としては首肯できる。

 ここの生活上の順序のコントロールが効かなくなるのが依存症である。ギャンブル、薬物、アルコールなどがある。
 現職で中間管理職の頃、アルコール依存症の治療に付きあって専門医院に通ったことがあったが、付添人として先生の話を聞いたが、「止めなかったら3年以内に死ぬぞ」と言われるぐらい回復が困難な文字どおり「病気」だった。ギャンブル依存症も同じ。

 故に、博奕の禁止は持統3年(西暦690年)持統天皇による双六禁止令からこっちの原則であった。こういうことを一般に「伝統」という。
 1330年以上前からの天皇の指示を破ってカジノなる博奕を始めようとする大阪維新らは世が世であれば不敬罪ものだ(このセンテンスは勿論ジョーク)
 先日、山口県阿武町の振込間違いで不当受領したバカ者が一瞬にして4630万円を博奕でスッタが、このとおり一瞬にして人倫を踏み外すのがギャンブル依存症などの依存症である。

 今度の選挙ではハッキリとカジノNOを意思表示しなければ、安心した社会を子どもたちに引継げない。縦横斜めかっきり真四角に生きろとは言わないが、やっていいことと悪いことがある。維新のカジノ推進は間違っている。腐っている。

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