これでようやく新年に改まった気になった。(とタイトルに返る)
写真の福笹には以前の分も付けたので少し賑やかに写っているが、家のならわしで、私は基本の吉兆プラス何かひとつしか付けない。その年の気分で前年よりもレベルダウンしたりするのはよくないと祖母にいわれた言葉を厳守している。
この吉兆(きっちょう)は別名小宝とも呼ばれ、銭叺(ぜにかます)・銭袋・末広・小判・丁銀・烏帽子・臼・小槌・米俵・鯛等の縁起物が付いているので、考えればこれで十分なのである。『摂津名所図会』にも参拝者は今とほゞ同じ福笹を持っている。
さらに『摂津名所図会』には「詣人、後ろの羽目板をたたきて諸願をかなえたまへと訴ふる事かまびすし」ともあるが、これだけはリモートでは叶わなかったが、祈祷料・初穂料の中にはきっとドンドンと叩いてくれた分も入っていたのだろうと信じることにする。
でも念のため。「戎っさん! 疫病退散、たのんまっせ! ドンドン」。
いつもの事がいつものように出来ない、このもどかしさは何とも辛いです。
返信削除三年連用日記を眺めてはタメ息をついています。
今年は「新春文楽公演」にも出かけなかった。
その1年ですが、年寄りの1年は我慢しても、小さい乳幼児~少年少女の成長過程の「その1年」が跳んでしまうのには胸が痛みます。
返信削除で年寄りの1年ですが、吉兆が宅急便で届く経験も振り返れば思い出になるでしょう。