ただ、最後っ屁のように未臨界核実験を行った。核抑止力論に基づくものだ。しかしトランプの4年にどれだけ平和が近づいたというのだ。歴史は雄弁である。
トランプ政治の狂気は連邦議会突入事件で誰の目にも明らかになったが、この前大統領が民主主義の象徴ともいえる選挙で選ばれた事実について深く考えたい。
文系の学問を軽視するわけではないが、時代は冷静な(理系の)論理的思考よりも感情的なリーダー像や夢や予言に魅かれたのだ。
それは米国以前に日本国の大阪で我々が見てきたものだ。なお、大阪のメディアのお追従体質は米国の何十倍もひどいものだった。
教訓は、民主主義はフェイクや扇情に結構弱いというものだった。
幸い、現代の我われはマスメディアに頼らずとも見解を表明できる手段・SNSを手に入れている。これを活用しない手はない。否、これの活用が新しい時代の民主主義を健全に育てるひとつのキモになっている。民主主義の反対者も我々以上にSNSを重視している。
先日私は、民主陣営の人々が「自分の言葉で」発信することの大切さを投稿した。多くの人々から前向きの感想もいただいた。残念ながら身近な人々からのそういう反応が薄かったことにほんの少し落胆もしている。
私たちが核兵器禁止平和大行進を歩いていたとき、「歩くだけで何が実現するのか」と冷笑していた人も多い。しかし、この条約は誰か一人の演説で実現したものではない。大河の源流は一滴のしずくなのだろう。それを信じられないとコロナの時代には後ろ向きになる。
仕事の現職の時代、若い人々に、「言われないとしない」「言われたことしかしない」ような仕事の仕方ではダメだと研修をしたが、そんな記憶が頭の奥によみがえってきた。
【追伸】朝から医院に行っていたりして、I CAN が写真のような呼びかけをしているのを知ったのは、11時半頃だった。なので急遽準備をして参加した。私の少し大きな鉄製の鈴は大山の鴉天狗。日本政府に向かって「条約を批准せよ」と怒っている。
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