諸国地震及洪浪
南無阿彌陀佛
水陸横死大菩提
去年霜月四日五日の地震を 遁(のがれ)ん為に小船に乗居し 輩(やから)俄(にわか)の洪浪湧か如く木津川口邊の大小 数(あまた)船一時に川上に押寄橋を落し船を摧(くだ)き漂没死人 夥(おびただ)し尤(もっとも)前日より海鳴潮の干満乱しを志(し)ら寿(ず)して死に至る者 寔(まこと)憐むへし 后(こう)世(せい)海鳴潮の干満(かんまん)みだれし時は早く津波の兆(きざし) しと知りて難をのかれ玉ふへしと云(いう)爾
安政二 乙(きのと)卯秋建之
これは四天王寺境内元三大師堂近くにある安政南海地震の供養石塔の碑文である。ただし写真のとおり通常は一部しか読めない。NHKと大阪市教育委員会が調査したときの判読文である。
同じような碑文は大正橋東詰北側にもあり、ここの碑文の最後には「願くは、心あらん人、年々文字よみ安きよう墨を入れ給ふべし」とあり、毎年、地蔵盆には墨入れが行なわれている。
まもなく1.17阪神大震災から26年のときを迎える。四半世紀を過ぎたわけである。大阪のことではあるが、先人たちが石に刻み、墨入れを繰り返してきた「語り継ぐ」大切さを私たちはどれほど学んで行動してきただろうか。
「語り継ぐことが大切だと思います」的なコメントは要らないから、私のブログのコメント欄でも、その他のSNSの投稿欄でもよいから『私の1.17』を語ってほしい。
どなたか、フクシマにお金を出し合って石碑を建立しませんか。そして毎年、原発が全廃されるまで墨を入れ続けませんか。
大阪は東南海地震の折には松屋町以西は水没するといわれている。東南海地震は明日来てもおかしくないといわれている。
「仮定のことには答えられない」という政府や、旧態依然のカジノ中心の地方自治を突進する維新には、歴史に学ぶとか想定されるリスクに手を打つという発想がない。新自由主義とは、「今だけ、カネだけ、自分だけ」という思想だといわれている。
1.17を語りながら、日本の改造を考えあいたいものである。
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