2021年1月17日日曜日

リアルに見た古代史、万葉集

   戦時中には「万葉集は天皇から庶民までの『国民国家』の歌集である」と吹聴され、令和の元号の際には「典拠は万葉集で、漢文ではない(つまり日本文化)初めての元号」と喧伝されたが、そんな一面的な解釈でわかったかのような顔をするのを、学者の精緻な分析は蹴散らかすかのような読後感が残った。

 例えば東歌や防人歌に代表される庶民の歌も、貴族(官人)の地方赴任に伴う「土地柄」の関心や望郷の念、難波津で見聞きした地方文化、都周辺で教養を高めた地方の人々の歌などなどであり、いたずらに歌による平等社会を強調するのは間違いだと著者は言う。

 令和という元号の典拠とされた万葉集・梅花宴序についても、その淵源は王義之の「蘭亭の序」と「帰田賦」にあり、大伴旅人ら当時の歌人の教養の大前提には共通する漢文、漢詩集があった。「『文選』なくして『万葉集』なし」と言ってもよいと著者は指摘している。そもそも本歌取りの場合も送り手と受け手の両方に本歌が暗唱できるレベルが前提であるように、当時の歌人たちは『文選』を暗唱できていたと。

 私が無粋なため、あまり文学的な内容を摘みだすことができなかったが、著者の言葉を借りれば、「万葉集はきわめて中国的で、かつ、きわめて日本的なもの」で、現代でいえば欧米の文化を輸入しながら翻訳と改良で「日本文化」にしてしまうような、中国文化を「日本文化化」した時代の「青春の文学」だと述べている。

 文学論としても、古代史としても、文化論としても刺激的な本であった。上野誠著『万葉集講義』(中公新書)。

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