芭蕉がこの句を作ったのは元禄二年(1689)陰暦7月6日だから七夕を踏まえての句であることは明らかだ。
その当時は天の川もはっきりと見えたことだろう。(今でも越後では綺麗だろうか)
(当地では)近頃は天気が良くても天の川がほとんど見えない。
なので、手持ちの本からスキャンした。
天頂近く右側の一等星がこと座のベガで織姫。
左下、南東側の一等星がわし座のアルタイルで彦星。
念のため、左上の一等星ははくちょう座のデネブ。
鬱々とする話題ばかりの此の頃、ゆっくりと星空でも眺めてみたいものだ。
さて、豪雨や洪水のニュースに流されているうちに(太陽暦の)七夕が過ぎてしまった。
昔から七夕の頃にはよく雨が降ったものと見えて、物語は発展した。
雨が降れば天の川が増水し織女は牽牛のもとへ行くことができない。
しかし良くしたもので「月の船」が川を渡してくれるに違いない。が、つれなく船には乗せてもらえない。
悲しんでいるとカササギの群れが飛んできて翼を広げて橋を作り織女は向こう岸に着けるのだ。なんとなく良くできた話になっている。
この話で私が一番感心したのは、七夕の夜には「月の船」が来るところだ。
解説は不要だろう。七日だから月の船・上弦の月だということだ。
とするとやはりこの話(七夕)は太陰暦でなければならない。太陽暦だと月の船かどうかは定かでない。
月の船は星の船ともいわれるが、上弦の月はナポリのゴンドラに似た船。そのとおり。
えっ、あれは月の盃ですか。
予報図を凝視しながらニュース聞く
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