2020年7月25日土曜日

ご婦人に尋ねられた

   スーパーで鰹のたたきを買い、続けて当然のように妻が茗荷を買っていた際、ご年配のご婦人が「それはどのようにして食べるものですか」と横から尋ねてこられた。
 また家で採れた茗荷をご近所にお配りした際も「どのように食べたらよいのか」と尋ねられたと妻が言っていた。

 我が家では夏料理の必須アイテムだが、考えれば平均的日本人にとってはこの程度に、茗荷はあってもなかっても夏を生きてゆけるというポジションのようである。
 実際にはこんなに実力と存在価値があるのに正当に知られていない茗荷のことを思うと、何とはなく口惜しい気がする。

 「胡椒が同じ重さの金と取引された」とは有名な歴史的逸話(らしい)で、その種の西洋の香辛料も私は嫌いではないが、日本のワサビ、シソ、そしてミョウガのもつ爽やかさは西洋的香辛料の追随を許さない。
 食の愛国者は「よくぞ日本人に生まれけり」などとほざきたくなる。

 写真は庭の一隅の茗荷の花で、これはいくら採っても親茗荷には影響がない。
 茗荷はいわば雑草並みに強いから、そしてどうしてかやぶ蚊が発生するのでこれまでも幾らも抜いて捨ててきたが、残しておいた一つまみの「畑?」がこうなっている。

 先日友人たちに説明抜きで茗荷を配ったが、どのようにして食してくれただろうか。
 小さい頃慶応生まれの祖母は私に「物忘れするから子供は食べたらあかん」と言っていた。
 歳をとると、もう忘れてしまいたい失敗や腹の立つ社会のあれこれが多すぎるから、健全な精神のバランスのためには茗荷は欠かせない。
 いやいやいや、ここで忘れたら悪い奴らの思う壺ということもいっぱいある。

2 件のコメント:

  1.  転載したFBに「いいね!」やコメントをいただいた皆さん、ありがとうございました。

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  2.  写真では「茗荷畑」のようにも見えますが、この狭いレンガの一隅からはみ出たものは抜いてしまうという、半ば牢獄のようなものです。

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