2020年7月18日土曜日

オーヘン

   「来ない」というときの表現を「正しい?大阪弁」では「ケーヘン(ケエヘン)」と言う。私もそう言う。
 私が愛用している昭和59年発行の牧村史陽編『大阪ことば事典』でも「ケェヘン」である。
 「大阪と言っても広うござんす」で、そもそも摂津、河内(北河内、中河内、南河内)、泉州があって言葉もけっこう異なるが、まあここは船場言葉あたりのこととしておこう。

 ところが近頃、テレビの中の多くのヨシモト芸人が大阪を舞台にしたと思われる会話の中で「コーヘン」と言うので、「そこはケーヘンやろ」と私はテレビのこっちで一人ツッコんでいる。
 関西弁の勉強や研究をしたわけではないが、若い頃労働組合の近畿レベルの役員をしていた時の各地の仲間と語ったときの記憶からいえば、「コーヘン」は兵庫、「キーヒン」が京都、奈良は「キヤヒン」のような感じでいる。(だから神戸が舞台なら何の問題もないのだ)

 真田信治著『方言の日本地図』(講談社+α新書)で少し見てみると、かつて元禄期では「コヌ」が代表的で、文化文政期には「ヌ」が「ン」に変わって「コン」が多くなったらしい。
 一方、元禄期には強調した場合「キワセヌ」とも言い、それが「キワセン」に変化し、幕末あたりでは「ワ」が「ヤ」に、「セン」が「ヘン」に変わった。「セ」が「ヘ」に変わるのは『サ行子音の弱化』と呼ばれる大阪方言の特徴。
 例えば、「ナサル」が「ナハル」に、「ソシテ」が「ホシテ」に、「しまショ」が「しまヒョ」になる。この流れにおいて「キヤセン」から「キヤヘン」が出てきて、キヤヘン→キエヘン→ケーヘンとなったと言われている。

 そしてこの本では、私が推理した「神戸、阪神間の言葉がテレビで広まった」というよりも、標準語形「コナイ」の干渉を受けて若い世代に「コーヘン」が使われ始めていると論じている。
 別掲の表では、「ケーヘン」が主流ではあるが、明らかに若い層では「コーヘン」が増えている。

 以上が「前説(まえせつ)」で、小学3年生の孫娘にそれを聞くと、やっぱり「コーヘン」と言う。
 奈良北西部と言われるニュータウン内にある学校だから「奈良府民」と言われるほど大阪の影響が強いところだ。兵庫には接していない。きっと、学校の標準の方言が「コーヘン」なのだろう。
 そこで孫娘は祖父ちゃんの「ケーヘン」を乗り越えて「コーヘン」になってしまった。いくら祖父ちゃんが『大阪ことば事典』を突き付けても駄目である。

 言語は大いに変化するものだとは多くの言語学者が指摘している。
 その中には「言語の経済化」といって「複雑な発音はできるだけ簡単になろうとする」のが常でもあるらしい。「見られる」→「見れる」的なラ抜き言葉もそれなのだろう。好き嫌いは別にして。(私は好きではない)
 それでも、庭に出た孫に「蚊がおるで」と注意すると、「オーヘン」と返って来たのには驚いた。「オレヘン」「オラヘン」の「レ」や「ラ」が省略されたらしい。
 聞くと、学校の標準(語)だという。
 これぐらいで驚いていたのでは生きていけないが、古典を語るべき上方落語の若手にはしっかりと時代時代の上方言葉を守ってほしい。
 差別ではないが、漫才師には期待していない。コーヘンでもオーヘンでも見レルでも何でもよい。

 私の脳の中は死語辞典でいっぱいだ。
 こんなことにこだわるから若い者に煙たがられるのだ。でもね。

18 件のコメント:

  1.  後藤利幸著「幻の河内弁」に「きよろときよろまいと、われに関係ないやないけ!」という言い回しがあります。この意味は「来(き)ても、来(こ)なくとも」ということで、この場合、発音は「よ」は「「ょ」ではなく、「きよろ」と発音します。
     

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  2.  わかります。わかります。生駒山を越えると大和ですから、義母の想い出と重ねて通じます。
     なお、ケーヘンですが、奥さまやご子息はどう言われるのでしょう。知りたいものです。

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  3. HagaさんFBのコメント2020年7月18日 19:10

     来ハレへン」「居たハレへン」80歳大阪市
    「キハレヘン」「イタハレへン」でした。
    確か泉州の人から「コーヘン」「イーヒン」と言うの聞いたことありました。

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  4.  ハル(ハレ)は敬意の語ですね。あえてこれを取って言うとキーヘンになりますから、ケーヘンに行くかキーヒンに行くかと想像できますが、とりあえずキーヘンにしておきましょう。

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  5. HagaさんFBのコメント2020年7月18日 19:12

     大阪弁も旧南区船場と旧東区、北区堂島では確か違ったように思いますが浅学な者で教えてください

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  6. Hagaさん、言葉はものすごい生き物ですから、特に大大阪以降の都市の言葉は何区がこう、何区ではこうというような分類は不可能だと思います。今般のメーンテーマについても、キヤヘン、キエヘン、ケーヘン、コーヘン、キヤヒン、キヤイン、キヤシン、キーシン、キヤセン、コンなどなどが想定されます。そしてその地域も年齢も流動しています。そういうものと自分のアイデンティティみたいな言葉遣いとの一致と不一致が面白いと私は思ってこれを書きました。何が正しくて何が間違いということはないと思います。こういう言葉のキャッチボールができないと言葉が薄っぺらくなるように思うのです。

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  7. 余り意識はしていませんが、「ケーヘン」「イカヘン」「コントッテ」というような言い方をしていたと思います。

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  8.  堺市堺区(旧旧堺)は「ケーヘン」のようですね。弁英さん、調査にご協力ありがとうございました。

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  9. 京都:繁さんのFBのコメント2020年7月19日 15:11

    「キイヒン」「オラン」が通常使っているように思います。「キヤヘン」はあまり使いませんが、やや京都イントネーションのように感じます。

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  10. 大阪の生野で育ちましたが、「ケエヘン」と言っていたと思います。東の方から大阪へ帰ってくると「ホンダラ」という言葉で地元に着いたことを実感しましたが。

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  11.  猫持さん、ズバリ大阪の庶民の言葉のようです。

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  12. 今井淑子からのFBコメント2020年7月20日 14:45

    「キヤハラヘン」転じて「キイヒン」?前者は丁寧かな

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  13.  言葉の蝸牛理論では京都(都)の言葉が一番新しくて、離れるほど古い言葉が残っているといわれますが、テレビの若者を見る限りコーヘンが新しいように見えます。それでも京都はキイヒンを守るところが京都らしいかもしれませんね。今井さん、コメントありがとうございました。

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  14. 自分の直感は「ケーヘン」ですね。「コーヘン」もわかります。言語のエコノミーは言語の本質です。私のロシア人の友人にヴャチェスラフという名前の人がいますが、言いにくいから「スラヴァ」と呼んでくれと自分で言ってました。

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  15. 真田先生も阪大ですが、同じく阪大の工藤真由美先生と八亀裕美先生の共著『複数の日本語 方言からはじめる言語学』(講談社)はとっても面白い著作ですので、ぜひにお勧めします。

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  16. mykazekさん、ありがとう。読書の楽しみが増えそうです。それはそうと、キリスト教文化圏では氏名の名に対するこだわりや愛着が薄いようですね。ヴャチェスラフというのはどういう意味でスラヴァとはどういう意味なのでしょう。興味がわきます。

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  17. Vyacheslavの最後のところを取って略してslavaと呼んでくれということなのですが、ロシア人は名前の種類が少なくて、名前に対する愛称も決まっています。ドミートリイはジーマ、ウラジーミルはヴォロージャ、アレクセイはアリョーシャ、エヴゲーニイはジェーニャ、エカテリーナはカーチャなどなど。

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  18.  ありがとう。ありがとう。ロシアの話、また聞かせてください。

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