2020年7月5日日曜日

北京終

 絵心のある先輩のFBに奈良市にあるレトロなJR京終駅のスケッチがあり、「京終(きょうばて)という名が不思議だ」と書かれていたので、要旨次のとおりコメントを書き込んだ。

   ▮ざっくりとした話をすると、近鉄西大寺から奈良に向かう途中に復元された平城宮大極殿や朱雀門が見えるが、ここが平城京の北の端で東西の中心だ。
 南は九条大路(一部十条の説も)、東西は各四坊大路という条坊制で、二条から五条の東に五六七坊の外京がついていて、興福寺や元興寺はここにある。(現在奈良公園があり県庁や近鉄奈良駅やJR奈良駅もある辺りは外京だ)
 京終(きょうばて)の町や京終駅はこの外京の南限の外のあえて言えば六条東六坊(実際にはない)あたりにある。
 六条は東四坊大路が東端なので京の外だし、外京からいってもの南限の五条の外、あるいはぎりぎりのあたりが京終という地名のところだ。で、文字どおり平城京の東(一部南)の果て(終:ばて)になるのもガッテンしていただけるだろう▮

   さて、平城京が唐の長安をモデルにしたものであったことには異論がないが、その時代、文化の先進地域であった中国大陸は、今や世界の民主主義の破壊者になっている。北京政府による香港、ウイグル自治区、チベット自治区などの人権侵害の暴力的支配である。
 言論の自由、表現の自由、集会結社の自由を制限する暴挙は許せない。

 もし、文化の国際裁判所があるならば、中国政府に「共産党」や「共産主義」の文字の使用の差し止めを求めたい。
 あんな自由や民主主義、民族独立などを圧殺する思想や政治は共産主義とは無縁のものである。日本共産党は中国政府に強く抗議している。人権を守れ、国際法を守れ。香港新法を撤回せよ。

 いわゆるマルクス主義に出会った入口は人それぞれであるが、私は若きマルクスが論陣を張った森林伐採法批判に関するヒューマニズム、そして「生産手段の社会化を通じて人間が解放される」という哲学に共鳴した。
 その延長線上には現中国政府と中国共産党の政治はありえない。故に絶対に許せない気持ちでいる。

 香港の新法では、北京政府に抵抗する言辞は外国人であっても処罰の対象だというから外国の報道機関も管制されることになる。「香港は終わった」と言っただけでも危ないようだ。

 そこで私は考えた。北京終(きたきょうばて)の人が入国時あたりに筆談で住所を聞かれたら何とする。即逮捕は免れないかもしれない。と・・
 何しろ「北京(ぺきん)は終わった」というスローガンを発したのだから。
 というジョークを考えたが、ちと不謹慎かもしれない。
 重ねて言うが、中国政府・中国共産党の人権抑圧は本来の共産主義とは無縁のものである。
 
   梅雨空は香港島の涙雨

2 件のコメント:

  1. もし、文化の国際裁判所があるならば、中国政府に「共産党」や「共産主義」の文字の使用の差し止めを求めたいとのご意見には同感です。そもそも共産主義は人民が平等であるべきことをめざしているのではではないのですか。一部の富裕層がだけが潤う社会はおかしいのではないですか。中国の軍隊は人民解放軍というらしいのですが、香港の人民を弾圧する側に回るのであれば、人民解放軍の名前を人民弾圧軍と名称変更してもらいたいものですね。先進諸国は中国の人権弾圧にきちんと批判もせずに目をつぶって、商売を優先させてきた結果、領土拡大を目指す世界の覇権国家になっていますね。

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  2.  自国(日本)の政治を振り返ってみても判りますが、中国の政治が前向きな時もなかったわけではないと思います。しかし昨今の中国政府と中国共産党が人権や民主主義の反対側に居ることは確かです。それを日本共産党が「共産主義の理想とは無縁だ」と強く批判していることを広く伝えないと、日本の民主運動にとっても障害になると思っています。弁英さん、ありがとうございます。

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