茅の輪というと六月晦(みそか)の「夏越(なごし)の祓(はらえ)」や「水無月祓(みなつきはらえ)」でないのかという疑問があるかもしれないが、明治政府が無茶苦茶にする前の日本は神仏習合が当たり前で、これは神事、あれは仏事というようには分かれていなかった。
東大寺のHPによると、延喜元年(901)三月に東大寺別当律師道義が秋の始めに毎年流行する疫病を防ぐために、奈良の諸大寺に呼びかけて、同年六月二十八日より始めた法会で、七大寺の僧二百四、五十人、楽人六十余人を講堂に集めて行われたと伝えられている。
当初は観音の画像を新写して除疫を祈願し、解除と大書した御幣を二本作って講堂の前庭に立てたといわれ、応仁・文明の乱以後一時中絶したものの、江戸時代に再興され、今日では毎年七月二十八日、大仏殿で盧舎那仏(大仏さま)を本尊として勤められている。
このように疫病を防ぐというドンピシャの法要にも拘らず、皮肉にも今年はその疫病のため、写真のとおり大仏殿は静かなものだった。
ご婦人に「どのようにくぐるものですか」と尋ねられたので、「いくつかの神社では8の字に廻りますが、過去の解除会ではお坊さんはそんなことはしていなかったですよ」「でも今日は無茶苦茶空いてますから8の字で廻りましょか」と一緒に廻った。
島田裕巳氏の本に『神社で柏手を打つな!』という本があり、「明治に定められた二礼二拍手一礼には祈念するという部分がない」と指摘している。
だいたいここはお寺だし、8の字でも1の字でもよいから合掌する気持ちが大事だろう。
もちろんコロナの終息を心から祈ってきたが、コロナの下で利権をほしいままにしたり、データの独占を謀ったり、惨事便乗で人権制限を狙う企みに抗議し暴くことをしないと、さらには悲しんでいる人々の現実を見て見ぬふりをして過ごすのは、それは人の道でも仏の道でもないと大仏様に叱られるだろう。
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