2020年7月24日金曜日

メジロの幼鳥

   やけに騒がしいなと思うと、メジロの親が子どもの雛を特訓中だった。
 近頃わが家はメジロ保育園の園庭になっているようだ。

 本能とはいえ親は大変でエライ。
 子どもはそんなことは全く理解できず、親を鬱陶しいと思うだけである。(メジロの話ではない)
 
   そんな子どもたちに親たちはどのように自分が蓄えてきた知恵をメッセージとして伝えていくべきか。これは言葉では易しいが実践は難しい。
   民主運動のベテランたちは心しなければ・・・。

 正論を語って論破しても何も残らないことが多い。
 社会批判の論を考えるのと同等以上に思考の時間と知恵を「そのメッセージの伝え方」を考えることに傾注する必要がありはしないか。
 これは自分自身の大いなる自己批判である。

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