2020年7月11日土曜日

月の兎とカン・ハンナさん

 75NHKEテレ)日曜朝の短歌(題はうさぎ)で、才能豊かなカン・ハンナさんが「月で兎が餅つきをしていると見ているのは日本と韓国だけ」と発言されたことに興味を覚えていろんな本を読み返してみた。

天寿国繍帳
   日本の法話や童話では、紀元前3世紀頃に南インドで成立したジャータカ物語の「老人(実は帝釈天)のために自ら火の中に飛び込んで食料となったウサギを帝釈天が哀れんで月にまつった」という話(今昔物語にもある)がルーツとされている。
 ならばアジアの仏教国に共通しているのでは?

 と考えたが、ところが、仏教の故郷インドでは「月にはワニがいる」と見ているし、アジアの多くの仏教国でもミャンマーやタイのごく一部を除いては「月に兎」は見ていない。(モンゴルは犬、ベトナムは木の下で休む男、インドネシアは編み物をする女、中国の一部は蟹)
 故に「ジャータカ物語、今昔物語(巻五第十三話「三の獣、菩薩ノ道ヲ行ジ、兎、身ヲ焼ケル語」)起源説」は後付けのように思われる。

 で、中国の中原だが、道教の神仙思想の「嫦娥の伝説」のとおり、月の主人公は蟇蛙(嫦娥)で、付き添う兎がついているのは餅ではなく薬草である。
 だいたい中国北方にルーツを持つ華人は餅などネバネバした食料を好まないし粉食であった。

 一方、長江流域を故地とする雲南あたりの多くの中国内の少数民族や東南アジアの民族にはもち米、餅つき、ネバネバ発酵食が広がっており、弓状にそこに連なっている日本では餅と餅つきはハレの食物と行事になった。餅と餅つきは核家族化と餅つき機、そしてパックのお餅の普及以前には広く庶民の常識のものであった。

   以上を振り返ると、元々法隆寺にあった天寿国繍帳の月の兎のとおり、日本でも奈良時代頃までは中国発祥の思想のとおり月で兎は薬草をついていた。
 写真は平城宮大極殿に展示されたレプリカを撮影したものだが、先年の大嘗祭で天皇の高御座の前に飾られた日月幡も、日には三本足のカラスが、そして月には蟇蛙と兎と木が描かれ、その兎はやはり薬草をついている。

 それが、些か専門的な薬草つきではなく、もっと庶民に共通して理解できる餅つきだと「世論?」が変化したのではないだろうか。それは古くても室町時代だろうか。

 さらに振り返ると韓国だが、韓国にも餅つきがあるから別々に同じような文化の推移があったのか、それとももっと近世あたりに日韓の文化の交流があったのだろうか。
 (生活の場における餅と餅つきそのものをハレのものとする意識は日本の方が高かったように思うのだが)
 (韓国にはもち米でない餅や搗かない餅も多々ある)
 (ネットで得た知識だが韓国の場合は少なからず臼を使わずに板の上で餅をつく)

 家にある本をいろいろ読み返したがそれ以上のことは解らない。
 少なくとも、カン・ハンナさんの言うように、現代社会の庶民が月を見て「兎が餅をついている」と言葉を発するのは日本と韓国だけらしい。これは事実だろう。
 短歌や俳句に見るカン・ハンナさんの知識や感性はすばらしい。
 日本語の知性も怪しい政治家などとは比ぶべくもない。

   熱中症も怖いがマスク警察が

3 件のコメント:

  1.  ネット検索の限りですが、ミャンマーの兎は餅をついてはいないようです。タイでは諸説ある中の一説はジャータカ物語のようです。
     ともあれ、飛鳥時代などの知識階級は道教の教えとして月に薬草をつく兎がいたとしていましたが、当時の主役は蟇蛙でした。それが、平安末期に今昔物語が編まれたことなどから、兎単独になり、かつ誰もが想像を共有できる餅つきになったのではないでしょうか。

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  2.  餅つきが広まるのは古くは吾妻鑑にあるから鎌倉だろうが、それが庶民の共通認識になるのは、ざっくりした話だが室町ではないだろうか。
     それを古いというか新しいと思うかは人それぞれだろう。

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  3.  餅は山城国風土記や豊後国風土記に出てくるし、考古学的には古く米を蒸した跡が認められているが、庶民が「月で兎が餅をついている」というほど広がったのは室町時代ぐらいではないかと、この辺りは勘で言っています。

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