23日のブログの鷹(タカ)と駅前で再会した。
今回の写真(の翼の模様)では、その模様がどうもチュウヒではなさそうなので、思い切って日本野鳥の会奈良支部に教えを乞うたところ、この写真はオオタカかハイタカではないかと御教示をいただいた。
私の感覚ではカラスよりも大きかったから、「それならハイタカではなくオオタカでしょう」とのこと。感激である。
環境省のレッドリスト掲載のオオタカが我が街にやってきた。 そして、撮影も出来た。 日頃、関心を示さない妻も「すごいやないの」と共感してくれた。 しつこいようだが感激、感激。
そういえば、我が街から“タカ的には目と鼻の先”で、UR都市機構(旧旧名:住宅公団)による木津ニュータウン(中央地区、北地区)の大規模開発が進んでいる。
そして、その開発予定地で「オオタカの営巣が確認されたので工事がストップしている」という新聞記事を何年も前に読んだことがある。
だから、その地のオオタカである蓋然性は極めて高い。
その地区の工事はというと、UR都市機構の「事業仕分け」騒動の後、びっくりするほど急速に進んでいる。
その異常な急展開振りは、緑の山が日々一瞬に土気色に変わっていくことで万人に確認されている。
だとすると、これは「我が街にオオタカがやってきたぞ」とばかりに単純には喜べないことかもしれない。
そも、オオタカは、環境省のレッドリストで「絶滅危惧種」であったものが今は「準絶滅危惧種」に変更されている。曰く「目撃が増えているから個体数も増えているのだろう」ということらしい。(廣井敏男東京経済大学名誉教授・JWCS(野生生物保全論研究会)理事の指摘参照)
しかし、もし今回の私の推測が正しければ、それは、我が街周辺の自然が豊かになってオオタカが増えたというよりも、オオタカが本来棲んでいた木津の林や里山の自然破壊でやむなく少し離れた当地まで足(羽)を伸ばして都市住民に目撃されたと考える方が素直なような気がしてならない。
フクシマを見て知った今となっては、一見学術的、自然科学的結論であるかのようなオオタカの分類変更にも、「オオタカが絶滅危惧種のままだと開発が進まない」という開発業者や政治家、土建高級官僚、御用学者等利権共同体の横車がなかったかと想像してしまうのだが・・妄想でなければよいがと思っている。
オオタカ L♂50cm・♀56.5cm W105~130cm 暗青灰色で尾には4本の黒帯がある。翼の下面は黒い黄斑が明瞭。
原生林ではなく人の手の入った里山に棲息。
故に、木津の地は10年以上前からUR都市機構に土地を売り払った農家が手入れを止めたため、今般の本格造成前からオオタカが棲み辛くなっていた。
UR都市機構は一部の林を残して人工の巣を設置して保護しようとしているが・・・・・。むむ・・。
山背(やましろ)だより・・・京阪奈の狭い範囲の役にも立たない些細な日常を綴っています。・・・(お気軽にコメントください)(匿名で記載し本文に名前を入れる方法も簡単です)。 スマホの場合は、最終ページの「ウェブバージョンを表示」をタッチして、ウェブバージョンの右にあるアーカイブで年月をタッチしていただくと以前の記事を読んでいただくことができます。ウェブバージョンの最終ページの「前の投稿」で遡ることも可能です。
2012年2月27日月曜日
2012年2月25日土曜日
こおつと大学転校
義母の実家は生駒山の中腹に今もある。
365日田畑の手伝いに追われていた義母にはお祭りの記憶もないという。
唯一思い出したお祭りは、生駒谷を下り矢田丘陵を登ったところにある松尾寺と矢田寺(いずれも大和郡山市)詣りであった。
そんな思い出を聞いていた時、私が「矢田寺には味噌なめ地蔵がありますね」と尋ねたら、「それは知らんかったなあ。水呑み地蔵は家の上にあったけど・・・」と懐かしそうに語りだした。
それは、聞くほどに、単なる路傍の地蔵のことではなく、ちょっとした地蔵堂らしいことが判ったが、遠い記憶ゆえ詳しいことは判らない。
妻もそんな話は聞き初めらしい。
こんな時ネット社会は便利なもので、パソコンの地図で辺りを探してみると十三峠(じゅうさんとうげ)の大阪・八尾側にはっきりと書かれている。
ということで、冬晴れの日に親戚(義母の実家)を訪問がてら車で走ってみた。
車のナビは大阪側から行けとうるさいが、ここは義母の思い出を辿らなければ意味がないから、実家からの細い道を北を向いたり南を向いたり見事にくねくねと登っていった。
以前に暗がり峠をちょっとだけ書いたが、この十三峠も大阪と奈良を結ぶ歴史ある幹線道路で、名前の由来は、峠近くにある国の重要有形民俗文化財「十三塚」にある。
また、お能の世阿弥の代表作の一つ「井筒」で有名というか、その元となった伊勢物語(筒井筒)で有名な、つまり、在原業平が河内高安の娘のもとへ「河内通い」をした業平道である。
たどり着いた水呑み地蔵は河内平野一望の絶景で、弘法大師の霊験によるといわれる清水がこんこんと湧いていて、なるほど「水呑みさん」である。
「みんなで順番に」という説明書きの書き振りでは土日などに水汲みにやってくる人々が多いらしい。
素朴で、それでいて思ったよりも立派なお堂であった。
遠くない地にこんな再発見があるから、義母に弟子入りをして「こおつと大学」を再開しよう。
365日田畑の手伝いに追われていた義母にはお祭りの記憶もないという。
唯一思い出したお祭りは、生駒谷を下り矢田丘陵を登ったところにある松尾寺と矢田寺(いずれも大和郡山市)詣りであった。
そんな思い出を聞いていた時、私が「矢田寺には味噌なめ地蔵がありますね」と尋ねたら、「それは知らんかったなあ。水呑み地蔵は家の上にあったけど・・・」と懐かしそうに語りだした。
それは、聞くほどに、単なる路傍の地蔵のことではなく、ちょっとした地蔵堂らしいことが判ったが、遠い記憶ゆえ詳しいことは判らない。
妻もそんな話は聞き初めらしい。
こんな時ネット社会は便利なもので、パソコンの地図で辺りを探してみると十三峠(じゅうさんとうげ)の大阪・八尾側にはっきりと書かれている。
ということで、冬晴れの日に親戚(義母の実家)を訪問がてら車で走ってみた。
車のナビは大阪側から行けとうるさいが、ここは義母の思い出を辿らなければ意味がないから、実家からの細い道を北を向いたり南を向いたり見事にくねくねと登っていった。
以前に暗がり峠をちょっとだけ書いたが、この十三峠も大阪と奈良を結ぶ歴史ある幹線道路で、名前の由来は、峠近くにある国の重要有形民俗文化財「十三塚」にある。
また、お能の世阿弥の代表作の一つ「井筒」で有名というか、その元となった伊勢物語(筒井筒)で有名な、つまり、在原業平が河内高安の娘のもとへ「河内通い」をした業平道である。
たどり着いた水呑み地蔵は河内平野一望の絶景で、弘法大師の霊験によるといわれる清水がこんこんと湧いていて、なるほど「水呑みさん」である。
「みんなで順番に」という説明書きの書き振りでは土日などに水汲みにやってくる人々が多いらしい。
素朴で、それでいて思ったよりも立派なお堂であった。
遠くない地にこんな再発見があるから、義母に弟子入りをして「こおつと大学」を再開しよう。
2012年2月23日木曜日
呼ぶよりそしれ
春まで同じ場所にいた個体だと想像するが、はっきりとは解らない。
名は体を必ずしも表さず、海岸(磯)と遠く離れた京阪奈の地に律儀にも帰ってきた。
ガイドブックには「留鳥または漂鳥」とあるが、去年見たのも冬だったので、私の感覚では冬鳥の感じである。此処へは冬にだけやってくる・・その理由は判らない。
ただし、今は見なくなったイソヒヨドリ♀は初秋と言ってもよいような頃(9月29日のブログ)にやってきているから、正確には冬鳥ではないのだろう。きっと。
この赤い胸も鮮やかなイソヒヨドリ♂。わが町から駅もしくは駅前のショッピングモールに向って大勢の人々が歩いている歩道際にいるのだが、おそらくイソヒヨドリに気づいている方は数人もおられないだろうと、ケチな満足感に浸っている。
チョウゲンボウ以外の鷹を我が家のすぐ近くで見たのも初めてで、この間までの「鳥枯れ」が嘘のようである。
猿沢の池にカルガモとカイツブリが一緒に泳いでいた。
カイツブリを見て小さな子どもが「赤ちゃん可愛いい」と言ったので、子どもの後ろから「その小さいのは大人ですよ」と言うと「へえ~」と子どもの親が驚いた。
カルガモにパン屑をちょっとだけ投げてやると、カイツブリがジェットスクーターのように割り込んで食べていったのでこちらが驚いた。
「事実は小説よりも奇なり」は死語でない。
2月26日追記
どうもチュウヒではないようです。
ではその正体は??
2月27日のブログに書きます。
2月26日追記
どうもチュウヒではないようです。
ではその正体は??
2月27日のブログに書きます。
2012年2月21日火曜日
四十雀(しじゅうから)の家探し
| 住み心地を思案する四十雀 |
そんな中、四十雀がやってきて、売れ残りの空家物件(巣箱)を興味深そうに観察した。
で、ここまではよくあることで、どうせ飛び立っていくに違いないと眺めていると、案の定飛び立っていったのだが、すぐにペアになって帰ってきた。どう見ても「呼びに行った」という感じで・・・・。
そして、1羽が物件の住み心地をあれこれ実地調査をし始めた。
「ちょっと狭い」とか「古いねえ」とか、2羽で相談しているのだろうか。
我が家の植木も相当強い剪定を行ったので、物件は周囲から丸裸の感じである。
だから、あまり期待はしていないが、今春、四十雀がマイホームにしてくれたら楽しみが一つ増えることになる。
これまで我が家から巣立った鳥は、雀、ヒヨドリ、百舌鳥しかいない。
近所のお家に蝙蝠が棲みついたのを羨ましく思っていたが・・・、自治会の役員会では「害鳥?だ」として、私の感想は白い目であきれ果てられた。
&%$#&%$#???
スノウさんから「鶯の囀りを聞いた」とコメントを戴いた。
ミリオンさんからは「庭先に、裏の御陵から狸のファミリーが今春も現れた」と季節情報を戴いた。
いろいろあった冬だったが、季節は人間の感慨などお構いなしで粛々とシーンを更新していく。
それでいいのだ。
2012年2月18日土曜日
漢字の成長と先祖返り
ツイッターを読んでいると、ある知識人が「民という字は、刑として針で目を突きさした形で捕虜・奴隷を表しているから、民主主義という熟語も含めて嫌いである」と書いていたことがある。
白川文字学を読んでいるとこれとよく似た驚きがあって、なんとなく解る気もするがなんとなくおかしな気にもなった。
確かに、例えば、姓や名とりわけ名などは親がわが子の将来を考えぬいて嘉字・嘉名を選んだはずなのに、実はその字源は恐ろしいという事例がざらにある。というか大半がそうである。
「白川静さんに学ぶ 漢字は怖い」(新潮文庫)のネーミングはあまりにドンピシャすぎると笑ってしまう。
一例に、「久」という字は死体を木で支えている。その「永久の人」を箱に納めたのが「柩」。・・というから、ちょっと背筋が寒くはなるが、白川静先生は「人の生は一時(わずかの間)であるが、死後の世界は永遠であるという古代の人々の考えによるもので・・・永久、久しいという積極的な意味が生れた」と述べておられる。このあたりの眼力にはただただひれ伏すしかない。
付け加えるなら、安陽に都した時期の殷王朝の甲骨文字に始原を持つ漢字は、約3,300年の間の中国人や約1,500年の日本人の生活と文化の中で、意味を豊かにし、あるいは変化をさせ今日に至っているのだと考える方が素直だろう。
だから、例えば自分の姓名等の漢字を3,300年前の古代人の考えに停止させて捉えるのでなく、始祖の知恵を理解しつつも3,300年の文化によって成長してきて今のあるのを積極的に受け止めるのがよいのだと思っている。
故に、「民主主義という言葉は奴隷主義ということだ」的な主張には私は同意できない。
ただ、現代では威厳を感じさせるような漢字が実はおどろおどろしい生まれであるのを知ったりすると、くすっと笑ってしまうことがある。
私の白川文字学の程度はそんなもの(くすっと笑う程度)であるが日常生活には何も困らない・・と浅学ぶりを居直ることにしている。
なお、私自身はあまり好きではないが、近頃の子どもの名前(命名)の上位は当て字のオンパレードである。(明治安田生命発表の年度別名前ランキング参照)
白川先生が御存命なら顔をしかめられるかも知れないが、そのクイズもどきの当て字には感心することもある。保育園、幼稚園、学校の先生も大変だろうとは同情するが・・・。
これも、万葉仮名や訓読みを発明したご先祖の血のなせる業だろうと目くじらを立てないようにしている。
白川文字学を読んでいるとこれとよく似た驚きがあって、なんとなく解る気もするがなんとなくおかしな気にもなった。
確かに、例えば、姓や名とりわけ名などは親がわが子の将来を考えぬいて嘉字・嘉名を選んだはずなのに、実はその字源は恐ろしいという事例がざらにある。というか大半がそうである。
「白川静さんに学ぶ 漢字は怖い」(新潮文庫)のネーミングはあまりにドンピシャすぎると笑ってしまう。
一例に、「久」という字は死体を木で支えている。その「永久の人」を箱に納めたのが「柩」。・・というから、ちょっと背筋が寒くはなるが、白川静先生は「人の生は一時(わずかの間)であるが、死後の世界は永遠であるという古代の人々の考えによるもので・・・永久、久しいという積極的な意味が生れた」と述べておられる。このあたりの眼力にはただただひれ伏すしかない。
付け加えるなら、安陽に都した時期の殷王朝の甲骨文字に始原を持つ漢字は、約3,300年の間の中国人や約1,500年の日本人の生活と文化の中で、意味を豊かにし、あるいは変化をさせ今日に至っているのだと考える方が素直だろう。
だから、例えば自分の姓名等の漢字を3,300年前の古代人の考えに停止させて捉えるのでなく、始祖の知恵を理解しつつも3,300年の文化によって成長してきて今のあるのを積極的に受け止めるのがよいのだと思っている。
故に、「民主主義という言葉は奴隷主義ということだ」的な主張には私は同意できない。
ただ、現代では威厳を感じさせるような漢字が実はおどろおどろしい生まれであるのを知ったりすると、くすっと笑ってしまうことがある。
私の白川文字学の程度はそんなもの(くすっと笑う程度)であるが日常生活には何も困らない・・と浅学ぶりを居直ることにしている。
なお、私自身はあまり好きではないが、近頃の子どもの名前(命名)の上位は当て字のオンパレードである。(明治安田生命発表の年度別名前ランキング参照)
白川先生が御存命なら顔をしかめられるかも知れないが、そのクイズもどきの当て字には感心することもある。保育園、幼稚園、学校の先生も大変だろうとは同情するが・・・。
これも、万葉仮名や訓読みを発明したご先祖の血のなせる業だろうと目くじらを立てないようにしている。
2012年2月15日水曜日
春の香り?
早春の楽しみの一つは山菜だろうか。
と言って、私は総じて不案内で、よく知っている妻の後ろに付いて教えを乞うている。
その妻が、「コゴミは知らない、食べたことがない」と言う。
いろんな本の中にも登場するし、近頃ではスーパーの山菜コーナーの常連さんの感があるのに。
で、とりあえずビニール袋に水漬けにされているのを買ってきて、辛子マヨネーズをそえて食卓に飾ってみた。
その姿は誠によく、食卓がいっぺんに早春の景色となった。
という感想は来ていた子どもたちも同感だった。
だがしかし・・・、エグミや苦味が全くない代わり、味も香りもなんにもない。水漬け故かどうかはしらないが、アクのない山菜なんて山菜でもなんでもない。ああ・・
そう言えば、本には「アクも少なく生でも食べられる」と書いてある。異論はない。
が、世間はともかく、我が家の山菜リストから抹消したのは言うまでもない。
これなら、庭のルッコラの方が余程個性的で好もしい。
イタリアンなどと限定せず、日常のサラダはもちろん、お刺身のケン代わりにも添えている。
もうすぐ花が咲き誇るが、蕾や花の付いた花芽をお刺身に添えると景色だって言うことがない。
あまりに気に入って、庭先を通る方々にも「齧ってみませんか」とお勧めしているが、個性的すぎるのか「また戴けませんか」と言うリピーターはほとんどない。
『親切かお節介か』のCMの文句が頭をよぎる。
(写真の上でクリックしてみてください。アッハッハ)
と言って、私は総じて不案内で、よく知っている妻の後ろに付いて教えを乞うている。
その妻が、「コゴミは知らない、食べたことがない」と言う。
いろんな本の中にも登場するし、近頃ではスーパーの山菜コーナーの常連さんの感があるのに。
で、とりあえずビニール袋に水漬けにされているのを買ってきて、辛子マヨネーズをそえて食卓に飾ってみた。
その姿は誠によく、食卓がいっぺんに早春の景色となった。
という感想は来ていた子どもたちも同感だった。
だがしかし・・・、エグミや苦味が全くない代わり、味も香りもなんにもない。水漬け故かどうかはしらないが、アクのない山菜なんて山菜でもなんでもない。ああ・・
そう言えば、本には「アクも少なく生でも食べられる」と書いてある。異論はない。
が、世間はともかく、我が家の山菜リストから抹消したのは言うまでもない。
これなら、庭のルッコラの方が余程個性的で好もしい。
イタリアンなどと限定せず、日常のサラダはもちろん、お刺身のケン代わりにも添えている。
もうすぐ花が咲き誇るが、蕾や花の付いた花芽をお刺身に添えると景色だって言うことがない。
あまりに気に入って、庭先を通る方々にも「齧ってみませんか」とお勧めしているが、個性的すぎるのか「また戴けませんか」と言うリピーターはほとんどない。
『親切かお節介か』のCMの文句が頭をよぎる。
(写真の上でクリックしてみてください。アッハッハ)
2012年2月13日月曜日
ボンボンは魔法の薬
世の中、他愛ないことだが知らないことは山ほどある。当り前である。
過日の新聞に載っていたウィスキーボンボンもそうだった。
通説では、神戸のゴンチャロフが大正の終わりごろに発売したのが本邦最初とか。
とすると、戦前からウィスキーボンボンが大好物だった私の祖母(父の母)などは相当な「新し物好き」だったのでは。
そして、新聞で初耳だったのは永年の私の疑問と同じ・・その製造方法。
誰もが考えるウィスキー注入方式ではなく・・・、
①砂糖と水とウィスキーを113℃で煮てシロップを作る。
②コーンスターチでできた鋳型に流し込む。
③シロップの表面が砂糖の結晶で覆われてくる。
④均等になるようにひっくり返す。
⑤1日ほどで表面全体が固まる。ということだとか。 へえ~。
これを作っている丸赤製菓糸田川商店(東淀川区)年産約60㌧は、その8割以上をそのまま出荷し、卸先がチョコをつけてメーカー名で店頭に並ぶとあった。
職業生活の大半を大阪府下の工場等を相手に過ごしてきたが、この業態もこの会社も全く知らなかった。何十万という事業場なのだから当然だろう。
さて、今は「通学」しなくなった「こおつと大学」だが、私は時々ボンボンを持って行って「ボンボンOK」の皆さんに配っていた。
ボンボンと判った上で口にする方は約半分。
後の半数は、口の中でウィスキーが溶け出してびっくりされるがその後、なんとも嬉しそうな顔をされていた。
ボンボンは老人施設にひと時の幸せを呼ぶ魔法の薬だった。
もちろん実母も大好きだったので、過日の『旅行』のお供にウィスキーボンボンを入れておいた。
明日はチョコレート業界の日。それもよし。聖ヴァレンティヌスよ許されよ。
通説では、神戸のゴンチャロフが大正の終わりごろに発売したのが本邦最初とか。
とすると、戦前からウィスキーボンボンが大好物だった私の祖母(父の母)などは相当な「新し物好き」だったのでは。
そして、新聞で初耳だったのは永年の私の疑問と同じ・・その製造方法。
誰もが考えるウィスキー注入方式ではなく・・・、
①砂糖と水とウィスキーを113℃で煮てシロップを作る。
②コーンスターチでできた鋳型に流し込む。
③シロップの表面が砂糖の結晶で覆われてくる。
④均等になるようにひっくり返す。
⑤1日ほどで表面全体が固まる。ということだとか。 へえ~。
これを作っている丸赤製菓糸田川商店(東淀川区)年産約60㌧は、その8割以上をそのまま出荷し、卸先がチョコをつけてメーカー名で店頭に並ぶとあった。
職業生活の大半を大阪府下の工場等を相手に過ごしてきたが、この業態もこの会社も全く知らなかった。何十万という事業場なのだから当然だろう。
さて、今は「通学」しなくなった「こおつと大学」だが、私は時々ボンボンを持って行って「ボンボンOK」の皆さんに配っていた。
ボンボンと判った上で口にする方は約半分。
後の半数は、口の中でウィスキーが溶け出してびっくりされるがその後、なんとも嬉しそうな顔をされていた。
ボンボンは老人施設にひと時の幸せを呼ぶ魔法の薬だった。
もちろん実母も大好きだったので、過日の『旅行』のお供にウィスキーボンボンを入れておいた。
明日はチョコレート業界の日。それもよし。聖ヴァレンティヌスよ許されよ。
2012年2月10日金曜日
寒い日は吉野葛
皮肉を言えば・・、冬は近所の駅の躑躅(つつじ)の植込みが立派である。
フェンスで遮られた道路から一段下がって、排水路としか言えないような小川の向こうにそれは見事である。
それが「なぜ冬か?」と言うと・・・、五月の連休の躑躅の花の季節には、この植込み全体を葛(くず)の葉が傍若無人に覆ってしまうからで、毎年春から秋まではホームに立ちながら「近鉄の社員はこの現状を何も感じないのだろうか」と心の中で怒っている。
秋の葛は、躑躅の代わりに藤に似た綺麗な花を咲かすのだが、少し濃すぎるというかキツすぎるので、躑躅を覆った罪を償ったとも思えない。 と言うか・・葛を花として鑑賞している乗降客はほとんどいないのではないかと想像する。
そして私は・・植込みの手入れを私に任せてくれたなら・・・躑躅は咲き誇り・・・そしてそして、見事な葛の根をこっそり手に入れることが出来るのに・・・と一人夢見ている。
先日、大宇陀の創業1615年(元和元年)吉野本葛「黒川本家」の社長の話を聴く機会があった。
他の人々は、本葛と他の澱粉の違いや、本葛の和菓子や料理について、さらには本葛のイソフラボンについて等色々質問していたが、私は、根を掘る季節は何時か、どういう風に掘るのか、他人の土地の葛を掘るのに問題は生じないのか、水に晒す回数と方法は等々を質問して、周囲から怪しい視線を一斉に浴びてしまった。
夏の葛餅もよいけれど、冬の葛湯や葛切りも非常によい。曰く云い難い味わいがある。
先月まで、実母の入所中は「とろみ食」として随分とお世話になった。(ただし、それは片栗粉)
上の写真は、黒川本家のものではなく家にあった井上天極堂のもの。
下の写真は、黒川本家の葛湯。
黒川本家社長の話を聞いて判ったこと・・・・
葛湯は水に溶いてから温めること。お湯で溶いてダマにならないのは本葛でない。
人工林では日光が不足して葛が採れず、奈良県下全域の雑木林で吉野葛?の根を採っている。
掘り出した葛根は新鮮なうちに処理をしないと質が落ちる。
水で何回も晒すのだが、一部の安物には漂白剤を使用したものがある。
通常は10回程度晒すのだが黒川本家では香りを大事にして5~6回にしている。そのため、晒す回数の度に不純物を削り取って捨てている。
1kgの葛根から80gほどの葛粉ができる。
工場見学は品質管理の観点からしていない。
高級和菓子店を一番のお客とする卸売店だが、アンテナの意味もこめて若干のレストランを出店した。
・・・ということだった。
カタクリから作ったほんとうの片栗粉はほゞ消滅し、その名はじゃがいも澱粉の総称になった。もう誰も詐称だと訴えない。
本蕨(わらび)粉を使った蕨餅は限られた高級和菓子店でないと手に入らない。
葛粉も先の話のとおり微妙な変化をとげつつある。
『効率一辺倒』できた社会が壁にぶちあたっている今日、体を温めつつ頭を冷やしてホンモノを見つめなおしたい。もとい、ホンモノを食したい。
フェンスで遮られた道路から一段下がって、排水路としか言えないような小川の向こうにそれは見事である。
それが「なぜ冬か?」と言うと・・・、五月の連休の躑躅の花の季節には、この植込み全体を葛(くず)の葉が傍若無人に覆ってしまうからで、毎年春から秋まではホームに立ちながら「近鉄の社員はこの現状を何も感じないのだろうか」と心の中で怒っている。
秋の葛は、躑躅の代わりに藤に似た綺麗な花を咲かすのだが、少し濃すぎるというかキツすぎるので、躑躅を覆った罪を償ったとも思えない。 と言うか・・葛を花として鑑賞している乗降客はほとんどいないのではないかと想像する。
そして私は・・植込みの手入れを私に任せてくれたなら・・・躑躅は咲き誇り・・・そしてそして、見事な葛の根をこっそり手に入れることが出来るのに・・・と一人夢見ている。
先日、大宇陀の創業1615年(元和元年)吉野本葛「黒川本家」の社長の話を聴く機会があった。
他の人々は、本葛と他の澱粉の違いや、本葛の和菓子や料理について、さらには本葛のイソフラボンについて等色々質問していたが、私は、根を掘る季節は何時か、どういう風に掘るのか、他人の土地の葛を掘るのに問題は生じないのか、水に晒す回数と方法は等々を質問して、周囲から怪しい視線を一斉に浴びてしまった。
夏の葛餅もよいけれど、冬の葛湯や葛切りも非常によい。曰く云い難い味わいがある。
先月まで、実母の入所中は「とろみ食」として随分とお世話になった。(ただし、それは片栗粉)
上の写真は、黒川本家のものではなく家にあった井上天極堂のもの。
下の写真は、黒川本家の葛湯。
黒川本家社長の話を聞いて判ったこと・・・・
葛湯は水に溶いてから温めること。お湯で溶いてダマにならないのは本葛でない。
人工林では日光が不足して葛が採れず、奈良県下全域の雑木林で吉野葛?の根を採っている。
掘り出した葛根は新鮮なうちに処理をしないと質が落ちる。
水で何回も晒すのだが、一部の安物には漂白剤を使用したものがある。
通常は10回程度晒すのだが黒川本家では香りを大事にして5~6回にしている。そのため、晒す回数の度に不純物を削り取って捨てている。
1kgの葛根から80gほどの葛粉ができる。
工場見学は品質管理の観点からしていない。
高級和菓子店を一番のお客とする卸売店だが、アンテナの意味もこめて若干のレストランを出店した。
・・・ということだった。
カタクリから作ったほんとうの片栗粉はほゞ消滅し、その名はじゃがいも澱粉の総称になった。もう誰も詐称だと訴えない。
本蕨(わらび)粉を使った蕨餅は限られた高級和菓子店でないと手に入らない。
葛粉も先の話のとおり微妙な変化をとげつつある。
『効率一辺倒』できた社会が壁にぶちあたっている今日、体を温めつつ頭を冷やしてホンモノを見つめなおしたい。もとい、ホンモノを食したい。
2012年2月7日火曜日
歌えずじまいの早春賦
先日まで冬の星座を唄いながら「立春が過ぎたら早春賦の歌詞を持参しよう」「その美しい文語体の口語訳についても教授陣と語り合おう」と思っていたのだが、先月、合唱団を退団、こおつと大学も卒業した。
妻が「ラジオで武田鉄矢氏が〔賦とは数え歌である〕と熱く語っていたが意味がよく判らない」と言う。確かに、何処の国のどの時代のどういう詩歌の賦の話かによって特徴や性格も大きく異なるものらしい。
私は白川静先生の説く「賦とは外的に事物を描写することを主とする現実肯定と賛頌の文学である」「わが国で言えば土地誉めの文学である」という解説に共感するが、この早春賦については結構叙情的な感じもする。
先日、珍しく鶯が枯れ木の枝に姿を曝して笹鳴きをしていたが、例によってそんなチャンスに限ってカメラを持っておらず、幸い周囲に人がいなかったから、鶯に向って早春賦を唄ってやった。
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
氷融け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
暦の上では春になったと言うものの
名のみで風は寒い
谷の鶯も囀りたいと思っているのだろうが
まだその時でないと声も立てない
まだその時でないと声も立てない
張っていた氷も解けて、葦も芽吹くようで
さあその時(春)かと思うがあいにく
妻が「ラジオで武田鉄矢氏が〔賦とは数え歌である〕と熱く語っていたが意味がよく判らない」と言う。確かに、何処の国のどの時代のどういう詩歌の賦の話かによって特徴や性格も大きく異なるものらしい。
私は白川静先生の説く「賦とは外的に事物を描写することを主とする現実肯定と賛頌の文学である」「わが国で言えば土地誉めの文学である」という解説に共感するが、この早春賦については結構叙情的な感じもする。
先日、珍しく鶯が枯れ木の枝に姿を曝して笹鳴きをしていたが、例によってそんなチャンスに限ってカメラを持っておらず、幸い周囲に人がいなかったから、鶯に向って早春賦を唄ってやった。
| 見つけた 春 |
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
氷融け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
暦の上では春になったと言うものの
名のみで風は寒い
谷の鶯も囀りたいと思っているのだろうが
まだその時でないと声も立てない
まだその時でないと声も立てない
張っていた氷も解けて、葦も芽吹くようで
さあその時(春)かと思うがあいにく
今日も昨日も雪が降る空
今日も昨日も雪が降る空
春だと聞いていなければ、知らないでいるものの
聞けば気が急く思い廻らす胸の内を
どうしろと言うのかと思うこの頃である
どうしろと言うのかと思うこの頃である *歌詞と意訳はネットからの丸写し
以下、孫引きになるが、この歌は大正2年の新作唱歌に掲載されている。作詞の吉丸一昌は安曇野の風景に感動して作ったと言われている。安曇野には「早春賦の碑」があり、毎年4月には「早春賦音楽祭」が開かれている。作曲者中田章の子である中田喜直は季節の歌を色々作ったが、父とこの歌を尊敬して春の名の付く歌を作らなかったという。
この歌の出だしはあまりに有名だが、心の中で『「時にあらずと声も立てず」と書いてはいるがそれはおかしい。囀(さえずり)前の鶯はチャッチャッチャッチャと笹鳴きがうるさくて仕方がないのに』・・・と思うのは、きっとクソリアリズムに捉われたバードウォッチャーの心の狭さなのでしょう。
詩心のない私などは、・・暦の上では21世紀も相当過ぎたというのに、未だ20世紀の亡霊のうろちょろするのを見る薄ら寒さよ・・というような、政治や社会に対する無機物に似た散文を連想してしまうのが我ながら情けない。
とまれ早春賦である。言霊(ことだま)をもって春を讃え、土地を誉めよう。
以下、孫引きになるが、この歌は大正2年の新作唱歌に掲載されている。作詞の吉丸一昌は安曇野の風景に感動して作ったと言われている。安曇野には「早春賦の碑」があり、毎年4月には「早春賦音楽祭」が開かれている。作曲者中田章の子である中田喜直は季節の歌を色々作ったが、父とこの歌を尊敬して春の名の付く歌を作らなかったという。
この歌の出だしはあまりに有名だが、心の中で『「時にあらずと声も立てず」と書いてはいるがそれはおかしい。囀(さえずり)前の鶯はチャッチャッチャッチャと笹鳴きがうるさくて仕方がないのに』・・・と思うのは、きっとクソリアリズムに捉われたバードウォッチャーの心の狭さなのでしょう。
詩心のない私などは、・・暦の上では21世紀も相当過ぎたというのに、未だ20世紀の亡霊のうろちょろするのを見る薄ら寒さよ・・というような、政治や社会に対する無機物に似た散文を連想してしまうのが我ながら情けない。
とまれ早春賦である。言霊(ことだま)をもって春を讃え、土地を誉めよう。
2012年2月3日金曜日
善哉此汁(よきかなこのしる)
節分の朝(まだ夜中だが)に、とりとめもない思い出話を書く。
今は昔、節分に、職場では厄年(前厄、本厄、後厄)の職員がお金を出し合って善哉を炊いて、他の職員はおろか来訪者にまでふるまっていた。
「厄落とし」とか「厄払い」と言っていた。
「成果主義」などという言葉のなかった時代のことで、誰もがチームワークを心がけていた「今は昔」のことである。(こんな精神が「今は昔」になって良いことはないのだが・・・)
さらにその昔の堺では、この善哉のふるまいが町中で行なわれ、知り合いはもちろん、行きずりの人々にもふるまえばふるまうほど厄が落ちる(小さくなる)と言われていた。
だから反対に、親は、「善哉のふるまいは他人(ふるまう人)の厄を引き受けてしまうから誘われても食べないように」と子供に注意するのだった。
つまり、厄年側は出来るだけ多くの人々に食べさせようとし、非厄年側は出来るだけ食べないように逃げるわけであるから極めてデリケートな高等?行事であった。
子供の頃、小学校の同級生の父親が本厄だったらしく、同級生の多くが誘われてその家で「食べさせられた」ことがある。
子供自身にとっては美味しいお八つで文句もないのだが、後でそれを聞いた親たちは微妙に嫌がった。
そして、その家は漁師の網元であったから、その善哉のふるまいは非常に大規模なイベントで、大人用には善哉のほかに御酒とアテ(肴)もたっぷり用意されていて、子供たちにもアテ(肴)がいっぱい配られたのだが、そのアテ(肴)の中の一つは小型の河豚(ふぐ)の煮付けだった。
小学生といえども「河豚は中(あた)る」ことは知っていたのでびっくりしたが、本職の漁師たちがわんさか食べているのだから「これは食べてみる価値がある」と私が挑戦したのはいうまでもない。
思えば、私の各種食材へのあくなき挑戦の起源はここにあったのかも知れない。
挑戦といえば、その後十分大人になってから、別府で河豚の肝をたっぷり食する機会があった。
大分県では、肝の提供が条例で禁止されていない。
私の持論だが、肝と白子に不味いものはない。
これはほんとうにおいしかった。
ただし、ブログの読者は禁止されている都道府県では食されないよう。食したければ別府温泉へ。
また、佐渡の蔵元の親父が個人で造った河豚の真子(まこ)の粕漬けも戴いたことがある。(佐渡以外では石川県の限られた地区だけに糠漬けがある。真子(卵巣)は肝に倍する猛毒である。)
これは、彼の小泉武夫先生が「この地球上で最も珍奇な食べもの」と断定されている。
『猛毒の卵巣を四~五年かけて言い伝えられてきた発酵技術で無毒化した』もので、世界に類を見ない執念の所産である。解毒の正確なメカニズムは今現在でも不明らしい。
近所の人が、「こんなのを戴いたのだがウチではよう食べん。長谷やんさんなら食べてくれるやろ。」と言って持ってきた。
正直に言うと、このときの味はさすがに全身に力が入ってほとんど覚えていないが、相当な大きさであったものを結局完食した。
・・・節分から脱線しつくしたブログになった。
今夜は相当以前に注文済だった「恵方巻」の丸かぶりをする。
もちろん大きな声で「福は内 鬼も内 戌亥の角にどっさりこ」と唱えて豆を撒く。
今は昔、節分に、職場では厄年(前厄、本厄、後厄)の職員がお金を出し合って善哉を炊いて、他の職員はおろか来訪者にまでふるまっていた。
「厄落とし」とか「厄払い」と言っていた。
「成果主義」などという言葉のなかった時代のことで、誰もがチームワークを心がけていた「今は昔」のことである。(こんな精神が「今は昔」になって良いことはないのだが・・・)
さらにその昔の堺では、この善哉のふるまいが町中で行なわれ、知り合いはもちろん、行きずりの人々にもふるまえばふるまうほど厄が落ちる(小さくなる)と言われていた。
だから反対に、親は、「善哉のふるまいは他人(ふるまう人)の厄を引き受けてしまうから誘われても食べないように」と子供に注意するのだった。
つまり、厄年側は出来るだけ多くの人々に食べさせようとし、非厄年側は出来るだけ食べないように逃げるわけであるから極めてデリケートな高等?行事であった。
子供の頃、小学校の同級生の父親が本厄だったらしく、同級生の多くが誘われてその家で「食べさせられた」ことがある。
子供自身にとっては美味しいお八つで文句もないのだが、後でそれを聞いた親たちは微妙に嫌がった。
そして、その家は漁師の網元であったから、その善哉のふるまいは非常に大規模なイベントで、大人用には善哉のほかに御酒とアテ(肴)もたっぷり用意されていて、子供たちにもアテ(肴)がいっぱい配られたのだが、そのアテ(肴)の中の一つは小型の河豚(ふぐ)の煮付けだった。
小学生といえども「河豚は中(あた)る」ことは知っていたのでびっくりしたが、本職の漁師たちがわんさか食べているのだから「これは食べてみる価値がある」と私が挑戦したのはいうまでもない。
思えば、私の各種食材へのあくなき挑戦の起源はここにあったのかも知れない。
挑戦といえば、その後十分大人になってから、別府で河豚の肝をたっぷり食する機会があった。
大分県では、肝の提供が条例で禁止されていない。
私の持論だが、肝と白子に不味いものはない。
これはほんとうにおいしかった。
ただし、ブログの読者は禁止されている都道府県では食されないよう。食したければ別府温泉へ。
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| ネットから |
これは、彼の小泉武夫先生が「この地球上で最も珍奇な食べもの」と断定されている。
『猛毒の卵巣を四~五年かけて言い伝えられてきた発酵技術で無毒化した』もので、世界に類を見ない執念の所産である。解毒の正確なメカニズムは今現在でも不明らしい。
近所の人が、「こんなのを戴いたのだがウチではよう食べん。長谷やんさんなら食べてくれるやろ。」と言って持ってきた。
正直に言うと、このときの味はさすがに全身に力が入ってほとんど覚えていないが、相当な大きさであったものを結局完食した。
・・・節分から脱線しつくしたブログになった。
今夜は相当以前に注文済だった「恵方巻」の丸かぶりをする。
もちろん大きな声で「福は内 鬼も内 戌亥の角にどっさりこ」と唱えて豆を撒く。
明日は立春、元気を出そう。
2月4日立春
右の写真を追加
2012年1月29日日曜日
続こおつと大学
一昨日のブログに書いたように、こおつとという言葉を義母は「使っていた」と言うのだが、その子である妻は「知らなかった」と言う。
そして、胸に手を当てて考えてみると、それは決して義母(親)と妻(私たち)の世代間だけの問題ではなく、こういうような最新技術や生産性と何の関係もない言葉や言い伝えのようなもので私が知っていることでも、「きっと子どもたちは知らないだろうなあ」(つまり私が子どもたちに話していない)ということもいっぱいあるなあということに思い至った。
「いただきます」に「よろしゅうおあがり」
「ごちそうさまでした」に「おそまつさまでした」・・ぐらいは言ってきたかも知れないが・・・。
「偉そうな口を利く」ことを「ほげたを叩く」と言ったり、何かの縁起直しに「つるかめ つるかめ」と唱えることや、元墓場の土地の上に家を建てると商売が繁盛するとか本の紙の端が折れ込んだまま裁断されたのを「戎紙」といって縁起が良いという言い伝えなどは語ってきていないだろうから、このブログを読んでも、子どもたちはきっと古典落語の世界と思うことだろう。
しかし、まあここまでに書いた言葉の消滅には実害はあまりない。
ところが、これが老人施設となると・・・話はリアルな実際問題であることを近頃発見した。
以前のブログに、「私が施設の所長ならスタッフの採用試験に“お富さん”の独唱を出題する」と書いたが、それに加えて「消えゆく関西弁」も必須課目にしなければならないことを実感した。
なぜなら、一昨日のブログに“高野山”を書いたが、この高野山を多くの入所者は「ご不浄」とか「はばかり」と言うのである。そしてほとんどのスタッフは「そんな言葉を最初は知らなかった」と言う。・・・入所者が「はばかりに連れて行って」と言うのにその意味が「判らなかった」・・・ということもほんとうにあったらしい。
こうなると、戎紙の言い伝えを知らないというレベルとはチョット質が違う。実害が生じている。
入所者の言っていることが判らない。きっと認知症が深まったのだとスタッフは思っている。しかし実は「消えゆく関西弁」を知らなかっただけ。・・ということも実際には各処であったのではなかろうか。とも想像する。
例えば、入所者が「川の縁を歩くときはがたろに気をつけたもんや」と思い出を語っても、がたろが河童であると知らないスタッフには「認知症が進んでわけのわからないことを言っている」と思ってしまうようなこともあったのでは・・・・・。
だから、私の受講している「こおつと大学」は私にとっては趣味の領域であるが、実はその聴講生であるスタッフには極めて為になる実学になっているようだ。
ここ(老人」施設)では私は柳田國男風の通訳もやっていることになる。
そして、胸に手を当てて考えてみると、それは決して義母(親)と妻(私たち)の世代間だけの問題ではなく、こういうような最新技術や生産性と何の関係もない言葉や言い伝えのようなもので私が知っていることでも、「きっと子どもたちは知らないだろうなあ」(つまり私が子どもたちに話していない)ということもいっぱいあるなあということに思い至った。
「いただきます」に「よろしゅうおあがり」
「ごちそうさまでした」に「おそまつさまでした」・・ぐらいは言ってきたかも知れないが・・・。
「偉そうな口を利く」ことを「ほげたを叩く」と言ったり、何かの縁起直しに「つるかめ つるかめ」と唱えることや、元墓場の土地の上に家を建てると商売が繁盛するとか本の紙の端が折れ込んだまま裁断されたのを「戎紙」といって縁起が良いという言い伝えなどは語ってきていないだろうから、このブログを読んでも、子どもたちはきっと古典落語の世界と思うことだろう。
しかし、まあここまでに書いた言葉の消滅には実害はあまりない。
ところが、これが老人施設となると・・・話はリアルな実際問題であることを近頃発見した。
以前のブログに、「私が施設の所長ならスタッフの採用試験に“お富さん”の独唱を出題する」と書いたが、それに加えて「消えゆく関西弁」も必須課目にしなければならないことを実感した。
なぜなら、一昨日のブログに“高野山”を書いたが、この高野山を多くの入所者は「ご不浄」とか「はばかり」と言うのである。そしてほとんどのスタッフは「そんな言葉を最初は知らなかった」と言う。・・・入所者が「はばかりに連れて行って」と言うのにその意味が「判らなかった」・・・ということもほんとうにあったらしい。
こうなると、戎紙の言い伝えを知らないというレベルとはチョット質が違う。実害が生じている。
入所者の言っていることが判らない。きっと認知症が深まったのだとスタッフは思っている。しかし実は「消えゆく関西弁」を知らなかっただけ。・・ということも実際には各処であったのではなかろうか。とも想像する。
例えば、入所者が「川の縁を歩くときはがたろに気をつけたもんや」と思い出を語っても、がたろが河童であると知らないスタッフには「認知症が進んでわけのわからないことを言っている」と思ってしまうようなこともあったのでは・・・・・。
だから、私の受講している「こおつと大学」は私にとっては趣味の領域であるが、実はその聴講生であるスタッフには極めて為になる実学になっているようだ。
ここ(老人」施設)では私は柳田國男風の通訳もやっていることになる。
2012年1月27日金曜日
こおつと大学
私はほゞ毎日大学に通っている。
研究テーマは「消えゆく関西弁」である。
この研究テーマを思いついたきっかけ(消えゆく関西弁では、ここは「吉書」(きっしょ)と使いたい)は・・、小春日和が続いた後の、朝からどんよりとした雨の日に、妻が「雨の日は何故か心もうっとうしいね」と妻の母に言ったとき、母が「ようずみたいやなあ」と答えたからである。
このようずという言葉、『春に吹く、なまぬるくて、雨を連れてくるような風(かぜ)である。それに吹かれていると頭が重くなるような感じもする。近畿、中国、四国地方で用いられているようだ。(小澤實)』という新日本大歳時記の解説が一番的確なような気がする。
そして私は「何処かで読んだような気がするが・・」という程度で、この言葉が即座には解らなかった。
だからそれから、これら“一次史料中の一次史料”である“教授陣”の(生きて)おられるうちに、直接(ナマの発音で)教えてもらえることはなんと素晴らしいことだと考えることにし、義母の外泊の時はその折に、そして実母の施設では教授陣の体調のよいときに、「消えゆく関西弁」を少しずつ教えてもらうことにした。
授業の内容はというと、
・ こおつと~ お礼を言うときは、おおきに はばかりさん やったなあ。これは目上の人には言わなんだ。
・ こおつと~ 何処かへ行くときは いて参じます って言うてたなあ。此の頃は言わへんなあ。
・ こおつと~ わるさ のことは普通は てんご って言うてた。
・ こおつと~ 度々は せんど で今でも一寸は言う。
・ こおつと~ 今日みたいな雨の日は 道がしるい て言いました。
・ こおつと~ トイレは 何でか知らんが 高野山 やった。 かわや が こうや になったんか。髪(紙)を落とすさかいやったんか知らんけど。そうやった。そうやった。
と言う具合に脈絡なしに進んでいく。
そして、そもそも、この こおつと とは、ここにあるように、「え~っと とか、はて、どうやったかな」と、一寸迷ったり考える時の感動詞であり、教授陣はもちろん全員解って使っているのだが、横で聞いていた施設のスタッフは見事に全員「そんな言葉は知らない」と言う。
無理もない。妻も「ナマの言葉として聞いたことはなかった」(妻の母は「使っていた」と言うのだが)と言うぐらいの1級品の消えゆく関西弁だろう。
研究対象は大きいが、研究期間は極めて限られている??スミマセン。といっても・・・それほど大層なものではなく、私が書き留めなくても、これらのことは既にしっかりとした何冊もの本になっている。
しかし、この授業を私が受けると、何故か、いつも居眠りの多い教授陣の顔が見違えるように輝くので通学が止められない。
1月28日追記
ミリオンさん写真とコメントありがとうございます。
私は去年6月25日のブログのとおり、本家筋ながらこじんまりとした菅原天満宮の神事で全くかすりもしませんでしたが・・、
道明寺天満宮の桁違いに大々的な神事で『木』が当ったので・・・見事に大きいのですね。
この大鷽なら同窓生一同にも好いことがありそうな気もしてきます。
でも、原発利権に手を組む方々の大嘘はうそかえさせてはなりません。
前期高齢者って誰のこと!
研究テーマは「消えゆく関西弁」である。
この研究テーマを思いついたきっかけ(消えゆく関西弁では、ここは「吉書」(きっしょ)と使いたい)は・・、小春日和が続いた後の、朝からどんよりとした雨の日に、妻が「雨の日は何故か心もうっとうしいね」と妻の母に言ったとき、母が「ようずみたいやなあ」と答えたからである。
このようずという言葉、『春に吹く、なまぬるくて、雨を連れてくるような風(かぜ)である。それに吹かれていると頭が重くなるような感じもする。近畿、中国、四国地方で用いられているようだ。(小澤實)』という新日本大歳時記の解説が一番的確なような気がする。
そして私は「何処かで読んだような気がするが・・」という程度で、この言葉が即座には解らなかった。
だからそれから、これら“一次史料中の一次史料”である“教授陣”の(生きて)おられるうちに、直接(ナマの発音で)教えてもらえることはなんと素晴らしいことだと考えることにし、義母の外泊の時はその折に、そして実母の施設では教授陣の体調のよいときに、「消えゆく関西弁」を少しずつ教えてもらうことにした。
授業の内容はというと、
・ こおつと~ お礼を言うときは、おおきに はばかりさん やったなあ。これは目上の人には言わなんだ。
・ こおつと~ 何処かへ行くときは いて参じます って言うてたなあ。此の頃は言わへんなあ。
・ こおつと~ わるさ のことは普通は てんご って言うてた。
・ こおつと~ 度々は せんど で今でも一寸は言う。
・ こおつと~ 今日みたいな雨の日は 道がしるい て言いました。
・ こおつと~ トイレは 何でか知らんが 高野山 やった。 かわや が こうや になったんか。髪(紙)を落とすさかいやったんか知らんけど。そうやった。そうやった。
と言う具合に脈絡なしに進んでいく。
そして、そもそも、この こおつと とは、ここにあるように、「え~っと とか、はて、どうやったかな」と、一寸迷ったり考える時の感動詞であり、教授陣はもちろん全員解って使っているのだが、横で聞いていた施設のスタッフは見事に全員「そんな言葉は知らない」と言う。
無理もない。妻も「ナマの言葉として聞いたことはなかった」(妻の母は「使っていた」と言うのだが)と言うぐらいの1級品の消えゆく関西弁だろう。
研究対象は大きいが、研究期間は極めて限られている??スミマセン。といっても・・・それほど大層なものではなく、私が書き留めなくても、これらのことは既にしっかりとした何冊もの本になっている。
しかし、この授業を私が受けると、何故か、いつも居眠りの多い教授陣の顔が見違えるように輝くので通学が止められない。
1月28日追記
ミリオンさん写真とコメントありがとうございます。
私は去年6月25日のブログのとおり、本家筋ながらこじんまりとした菅原天満宮の神事で全くかすりもしませんでしたが・・、
道明寺天満宮の桁違いに大々的な神事で『木』が当ったので・・・見事に大きいのですね。
この大鷽なら同窓生一同にも好いことがありそうな気もしてきます。
でも、原発利権に手を組む方々の大嘘はうそかえさせてはなりません。
前期高齢者って誰のこと!
2012年1月25日水曜日
ばばあ の お客様
冬の寒い夜は深海魚の鍋料理がいい。
クエ、アラ、オコゼもいいがチョット高い。
で、しいて言えば、鮟鱇(あんこう)一匹を捌いてもらうのがいい。
鮟鱇はほんとうに捨てる部位が一つもないし、『鮟鱇の七つ道具』など普通のパックの中では売られていない部位がいっぱいあって、一匹買いは非常にお買得である。
ただ夫婦二人だけで一匹丸々は多すぎるので、そのときは通常の『鮟鱇鍋用パック』のほかに別に肝だけを更に加えるといっぺんに鮟鱇鍋らしくなる。出来合の1パックだけでは絶対に物足りないと思っている。
昔の職場の同僚に、「鮟鱇なんかどこが美味いのん? パックには骨ばっかりで、食べられる身が入っていない」と怒っていた人がいたが、骨の周囲の身(ゼラチンのような身)をせせらなければ鮟鱇鍋の意味が全くない。
「せせる」のを知らないと料理の幅が狭くなるが、ゴマンとある食傷気味のグルメ番組でも「せせる」話はほとんどない。不思議なものである。
せせる深海魚といえば近くの店に山陰・境港からたまに美味しそうな「ばばあ」が入ってくるときがある。
夫婦で買い物に行ったとき、これを「鍋用に捌いておいて」と頼んで他のコーナーを廻っていくのだが、鮮魚コーナーは威勢よく、「鯛のお客様あ~」とか「鰤のお客様あ~」とか調理の出来たものから呼んでいく。
そして「ばばあのお客様あ~」と呼ぶものだから、妻は嫌がって私に受け取りに行けという。
「それは気にしすぎやろう」と言うのだが、「嫌だ」と言う。いやはや。
クエ、アラ、オコゼもいいがチョット高い。
で、しいて言えば、鮟鱇(あんこう)一匹を捌いてもらうのがいい。
鮟鱇はほんとうに捨てる部位が一つもないし、『鮟鱇の七つ道具』など普通のパックの中では売られていない部位がいっぱいあって、一匹買いは非常にお買得である。
ただ夫婦二人だけで一匹丸々は多すぎるので、そのときは通常の『鮟鱇鍋用パック』のほかに別に肝だけを更に加えるといっぺんに鮟鱇鍋らしくなる。出来合の1パックだけでは絶対に物足りないと思っている。
昔の職場の同僚に、「鮟鱇なんかどこが美味いのん? パックには骨ばっかりで、食べられる身が入っていない」と怒っていた人がいたが、骨の周囲の身(ゼラチンのような身)をせせらなければ鮟鱇鍋の意味が全くない。
「せせる」のを知らないと料理の幅が狭くなるが、ゴマンとある食傷気味のグルメ番組でも「せせる」話はほとんどない。不思議なものである。
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| ネットから |
夫婦で買い物に行ったとき、これを「鍋用に捌いておいて」と頼んで他のコーナーを廻っていくのだが、鮮魚コーナーは威勢よく、「鯛のお客様あ~」とか「鰤のお客様あ~」とか調理の出来たものから呼んでいく。
そして「ばばあのお客様あ~」と呼ぶものだから、妻は嫌がって私に受け取りに行けという。
「それは気にしすぎやろう」と言うのだが、「嫌だ」と言う。いやはや。
2012年1月23日月曜日
これも道標
大和路には天皇陵や寺社が多いせいか、ふとした道端に味のある道標がよく目につく。
それは単なる石や書が味わい深いだけではなく、「へ~、こんなところに〇〇天皇陵があったのか」と気付かせてくれるという利便性を今現在も持っている。
だから、そういう現実的利便性を考えると「普通の道の辻々にも道標が欲しいなあ」と思うことがしばしばある。
なぜなら、より直接的には、UR(旧住都公団)も府県も市町村も、クルマの運転者向けには幹線道路の交差点にそれなりの表示を掲げたりするのだが、歩道には全く感心がなさそうだから・・・である。
我が家は、駅から歩道を歩いてくるのだが、ところどころに微妙な角度の交差路があり、「これこれのとおり歩いてきて欲しい」と知人に伝えても迷われてしまうことが何回もあった。
だから、「歩道網(の枝ごと)に名前をつけて道標(表示板)をつけて欲しい」と願っているのだが、辛いことに我が家の直前まで他所の二つの自治体であるので、靴の上から足を掻いている。
しかも、我が家の家の角から当自治体になるのだが、これも歩道には全く関心を示していない。
そんなうつうつと溜まった思いから、我が家の角に自分で小さな道標を建ててみた。
多くの人々が覗いていかれるし何となく納得されているような顔も時々目にする。
また、「従是」(これより)という読み方について庭先で会話が進むときもあるので、「建ててよかった」と心の中で自画自賛している。
ただ、これを建てた後に白川静先生の本を読んで、『ここは旧字形の「從」で行くべきだった』なあと、常用漢字を採用したことを歯噛みしている。
先生は「(金文(きんぶん)では)从であるからしたがうの意味があるのだ」と述べておられる。
ということは、この字形は、変更してはならない箇所を変更して作った新字体失敗作のひとつと言えよう。ああ己が浅学が情けない。
まあ、長い職業人生を、法制度に従って仕事をしてきた故の選択だったと開き直ることにしよう。
それは単なる石や書が味わい深いだけではなく、「へ~、こんなところに〇〇天皇陵があったのか」と気付かせてくれるという利便性を今現在も持っている。
だから、そういう現実的利便性を考えると「普通の道の辻々にも道標が欲しいなあ」と思うことがしばしばある。
なぜなら、より直接的には、UR(旧住都公団)も府県も市町村も、クルマの運転者向けには幹線道路の交差点にそれなりの表示を掲げたりするのだが、歩道には全く感心がなさそうだから・・・である。
我が家は、駅から歩道を歩いてくるのだが、ところどころに微妙な角度の交差路があり、「これこれのとおり歩いてきて欲しい」と知人に伝えても迷われてしまうことが何回もあった。
だから、「歩道網(の枝ごと)に名前をつけて道標(表示板)をつけて欲しい」と願っているのだが、辛いことに我が家の直前まで他所の二つの自治体であるので、靴の上から足を掻いている。
しかも、我が家の家の角から当自治体になるのだが、これも歩道には全く関心を示していない。
そんなうつうつと溜まった思いから、我が家の角に自分で小さな道標を建ててみた。
多くの人々が覗いていかれるし何となく納得されているような顔も時々目にする。
また、「従是」(これより)という読み方について庭先で会話が進むときもあるので、「建ててよかった」と心の中で自画自賛している。
ただ、これを建てた後に白川静先生の本を読んで、『ここは旧字形の「從」で行くべきだった』なあと、常用漢字を採用したことを歯噛みしている。
先生は「(金文(きんぶん)では)从であるからしたがうの意味があるのだ」と述べておられる。
ということは、この字形は、変更してはならない箇所を変更して作った新字体失敗作のひとつと言えよう。ああ己が浅学が情けない。
まあ、長い職業人生を、法制度に従って仕事をしてきた故の選択だったと開き直ることにしよう。
2012年1月21日土曜日
ミコアイサ 再会
カモ科アイサ属の冬鳥ミコアイサと再会した。。
名前の『秋沙(アイサ)』は元はアキサで「秋が去った頃に来る鴨」という意味と書いてある本があったが???
だいたい、ほとんどの鴨はそうなの(冬鳥)だから、私の頭の中では、この語源に関する説は半信半疑のままである。
それよりもこの衣装!
この衣装をお神楽を舞う巫女の衣装(千早(ちはや)というらしい)と重ね合わせて『巫女秋沙(ミコアイサ)』とは、誰が言ったか知らないが先人のセンスはいつもながらお見事。
だが、「言葉も世につれ」だから、池の周りに来た人は「あのパンダみたいな鳥は何ですか?」と尋ねている。
そしてその言い方は、「あの巫女さんみたいな・・・」よりも桁違いに正確に意思が伝達できている。
これでは遠くない将来、「パンダかも(鴨)」と改名されているかも知れない。
さて、私の狭~い生活圏だけの印象だが、今年の冬鳥は非常に少なく感じている。去年のブログの多くのお馴染さんとも会えていない。
一網打尽にされて強盛大国の将軍様たちのテーブルに盛られているのでは・・というようなジョークで済めばいいが、フクシマ周辺の魚を食べて・・・となると、ジョークでは済まなくなる。杞憂であればよいが。
名にしおば、巫女秋沙には、脱原発と被災者の鎮魂、彼の地の復興のために、その見事な衣装でお神楽を舞うように泳いで欲しい。
| ミコアイサ雄 |
名前の『秋沙(アイサ)』は元はアキサで「秋が去った頃に来る鴨」という意味と書いてある本があったが???
だいたい、ほとんどの鴨はそうなの(冬鳥)だから、私の頭の中では、この語源に関する説は半信半疑のままである。
それよりもこの衣装!
この衣装をお神楽を舞う巫女の衣装(千早(ちはや)というらしい)と重ね合わせて『巫女秋沙(ミコアイサ)』とは、誰が言ったか知らないが先人のセンスはいつもながらお見事。
| ミコアイサ雌 |
だが、「言葉も世につれ」だから、池の周りに来た人は「あのパンダみたいな鳥は何ですか?」と尋ねている。
そしてその言い方は、「あの巫女さんみたいな・・・」よりも桁違いに正確に意思が伝達できている。
これでは遠くない将来、「パンダかも(鴨)」と改名されているかも知れない。
さて、私の狭~い生活圏だけの印象だが、今年の冬鳥は非常に少なく感じている。去年のブログの多くのお馴染さんとも会えていない。
一網打尽にされて強盛大国の将軍様たちのテーブルに盛られているのでは・・というようなジョークで済めばいいが、フクシマ周辺の魚を食べて・・・となると、ジョークでは済まなくなる。杞憂であればよいが。
名にしおば、巫女秋沙には、脱原発と被災者の鎮魂、彼の地の復興のために、その見事な衣装でお神楽を舞うように泳いで欲しい。
2012年1月18日水曜日
ハクキンカイロが出てきた
日頃使うことの少ない引き出しの奥の方からハクキンカイロが出てきた。
妻が「捨てるでえ」というので「ちょっと待った」と記録写真を撮ってみた。
妻はよく憶えていて、その記憶では40年近く前に関東の某市の何処そこの薬局で購入したというが先週にでも買ったもののようにピカピカである。
入っていた箱のほうはハクキンカイロ用ベンジンアンプル25ml×5の箱で、外側に250円の値札が付いている。
このごろ流行りのキャッチコピーで言えば「昭和の暮らし展」を見るようで訳もなく嬉しくなってくる。ノスタルジーなのだろうか。
正確に言うとこれはハクキンカイロ㈱製のハクキンカイロではなく、松下電器産業㈱製の『ナショナル黄金カイロ』である。
ハクキンカイロよりもスマートすぎるのが惜しいが、白金触媒式懐炉という意味では同じである。ナショナルカイロは1993(平成5)年4月に全モデルとも販売終了らしい。
この方式のカイロは一時は使い捨てカイロに押されて絶滅寸前だったが、アラジンやコールマンが製造を続けている上にジッポーが参入したりして、マニア等には「かっこよくてゴミを出さないカイロ」として見直されているらしい。
このブログを書くので調べてみて驚いたことは・・・、昔のハクキンカイロは始めにマッチで火を点けていたから(このナショナルカイロも電池式点火器があったから)、てっきり細々とベンジンが燃えて温かいのだと思い込んでいたが、全くそうではなく、プラチナの触媒作用でベンジンを二酸化炭素と水に分解させるときの反応熱ということだった。(スタート時に130℃以上の加熱が必要でそのためにだけ着火していたらしい。)・・・知らなかった。
そして、これは日本人の発明品で1923(大正12)年に世界で初めて発売されたとある。
ベンジンの紙容器の説明書きのレトロさにも味があるから、もう一度引き出しの奥に仕舞いこんでおけば「お宝」にならないだろうかと皮算用をしている。
しかし、「お宝」になるにはこの黄金カイロはちょっとスマートすぎるなあ。
という不純な思惑で・・・縦型の少し四角っぽいハクキンカイロもあったような気がして家中探しているが未だ見つかっていない。
妻が「捨てるでえ」というので「ちょっと待った」と記録写真を撮ってみた。
妻はよく憶えていて、その記憶では40年近く前に関東の某市の何処そこの薬局で購入したというが先週にでも買ったもののようにピカピカである。
入っていた箱のほうはハクキンカイロ用ベンジンアンプル25ml×5の箱で、外側に250円の値札が付いている。
このごろ流行りのキャッチコピーで言えば「昭和の暮らし展」を見るようで訳もなく嬉しくなってくる。ノスタルジーなのだろうか。
正確に言うとこれはハクキンカイロ㈱製のハクキンカイロではなく、松下電器産業㈱製の『ナショナル黄金カイロ』である。
ハクキンカイロよりもスマートすぎるのが惜しいが、白金触媒式懐炉という意味では同じである。ナショナルカイロは1993(平成5)年4月に全モデルとも販売終了らしい。
この方式のカイロは一時は使い捨てカイロに押されて絶滅寸前だったが、アラジンやコールマンが製造を続けている上にジッポーが参入したりして、マニア等には「かっこよくてゴミを出さないカイロ」として見直されているらしい。
このブログを書くので調べてみて驚いたことは・・・、昔のハクキンカイロは始めにマッチで火を点けていたから(このナショナルカイロも電池式点火器があったから)、てっきり細々とベンジンが燃えて温かいのだと思い込んでいたが、全くそうではなく、プラチナの触媒作用でベンジンを二酸化炭素と水に分解させるときの反応熱ということだった。(スタート時に130℃以上の加熱が必要でそのためにだけ着火していたらしい。)・・・知らなかった。
そして、これは日本人の発明品で1923(大正12)年に世界で初めて発売されたとある。
ベンジンの紙容器の説明書きのレトロさにも味があるから、もう一度引き出しの奥に仕舞いこんでおけば「お宝」にならないだろうかと皮算用をしている。
しかし、「お宝」になるにはこの黄金カイロはちょっとスマートすぎるなあ。
という不純な思惑で・・・縦型の少し四角っぽいハクキンカイロもあったような気がして家中探しているが未だ見つかっていない。
2012年1月15日日曜日
プチ小正月
1月1日が、お月様が新月である「朔(さく)の正月」なら、15日は初めての満月である「望(もち)の正月」である。
そして、その「望の正月」が小正月であり、主として宮中よりも庶民レベルでは朔旦正月よりも古くから豊かに祝われてきたというものらしい。・・・と言っても、この「望月」(満月)の話が通じる太陰太陽暦を捨て去りグレゴリオ暦を用いている現代では満月でもなんでもないし、その上に農家でもなかった私の家ではこれといった小正月の行事はしてこなかった。
母は「小正月は小豆(あずき)のお雑煮やった」と言うのだが、小豆粥のことか、善哉のことか、それとも甘くない小豆雑煮というものがあったのかはハッキリしない。
しかし、そうだからと言って全く何もしないのは寂しいので、先ず早朝に「とんど」をしめやかに挙行した。
早朝におこなったのは「清浄な空気に包まれて」と言いたいところだが、隣近所の洗濯物に灰が飛んでいかないようにという、いたって現代的な理由である。
ご近所に迷惑をかけないよう注意を払っての、チムニー使用の「とんど」だったが、正月飾り関係の諸々をゴミに出したりせずに済んで気持ちがよかった。
チムニーの上で餅と魚を焼いて朝食をつくると、なにかほんとうの小正月をしているような気になった。
実母の施設には「小正月ですから」と言って「福笑い」を持参した。
「目をつぶって置いていってください」と言って開始したのだが、入所者に話が十分通じず、多くの方が目を開けたまま進行していった。
しかし、指先が思うように動かせない方々には目を開けたままでも思ったところに目や鼻のパーツを置いていくのは困難で、結局「目を開けたままの福笑い」で結構大笑いの飛びかう遊びになった。
「目をつぶって」でないと成立たないなどと、何ごとも教条的に思い込んだらあかんということだろう。
帰宅してから、三省堂の年中行事事典の小正月の行事の中に「成木責め(なりきぜめ)」というのがあるのを知った。
最後に、道祖神にお酒をちょっぴりかけて、昼食に赤飯と御酒を戴いて、穏やかな1年を念じつつ、つつましい新興住宅街での小正月を終了した。
そして、その「望の正月」が小正月であり、主として宮中よりも庶民レベルでは朔旦正月よりも古くから豊かに祝われてきたというものらしい。・・・と言っても、この「望月」(満月)の話が通じる太陰太陽暦を捨て去りグレゴリオ暦を用いている現代では満月でもなんでもないし、その上に農家でもなかった私の家ではこれといった小正月の行事はしてこなかった。
母は「小正月は小豆(あずき)のお雑煮やった」と言うのだが、小豆粥のことか、善哉のことか、それとも甘くない小豆雑煮というものがあったのかはハッキリしない。
しかし、そうだからと言って全く何もしないのは寂しいので、先ず早朝に「とんど」をしめやかに挙行した。
早朝におこなったのは「清浄な空気に包まれて」と言いたいところだが、隣近所の洗濯物に灰が飛んでいかないようにという、いたって現代的な理由である。
ご近所に迷惑をかけないよう注意を払っての、チムニー使用の「とんど」だったが、正月飾り関係の諸々をゴミに出したりせずに済んで気持ちがよかった。
チムニーの上で餅と魚を焼いて朝食をつくると、なにかほんとうの小正月をしているような気になった。
実母の施設には「小正月ですから」と言って「福笑い」を持参した。
「目をつぶって置いていってください」と言って開始したのだが、入所者に話が十分通じず、多くの方が目を開けたまま進行していった。
しかし、指先が思うように動かせない方々には目を開けたままでも思ったところに目や鼻のパーツを置いていくのは困難で、結局「目を開けたままの福笑い」で結構大笑いの飛びかう遊びになった。
「目をつぶって」でないと成立たないなどと、何ごとも教条的に思い込んだらあかんということだろう。
帰宅してから、三省堂の年中行事事典の小正月の行事の中に「成木責め(なりきぜめ)」というのがあるのを知った。
2012年1月13日金曜日
空飛ぶ宝石箱
翡翠(ひすい)と書いて翡翠(かわせみ)と読ませるのは「出来すぎ」だが、ツーっと一直線に飛んできて、狙いを定めてホバリングもし、ダイビングもし、小魚の頭を木に打ち付けてからおもむろに食べるなど、ほんとうに絵になる野鳥だと感心する。
その上に、3頭身とでも言おうか、体に比して頭の大きな動物は幼児との連想で「万人が可愛いと思う」と言われているが文句なく同意する。
だが、腕が悪い上に、真冬に使い古しの安物のアルカリ乾電池で出向いたものだから、「やった」というシャッターチャンスに電池切れでことごとく失敗し、ガックリとして帰って来たが、主役の美しさはそれを補って余りある。
今年の「花鳥風月」第1号としては「もひとつ」だったが、飛んでいるところが撮影できたので掲載した。
今年中にはヤマセミを撮影したいと思っている。
2012年1月11日水曜日
十日ゑびす 一寸見
お正月といえば、初詣よりも「えべっさん」の方が心が騒ぎ、初詣には行かなくても「えべっさん」に行かないとその年は何か出だしが悪いような気がするのは関西人の血なのだろうか。
と言って、強固な信仰のようなものではないので今宮戎には悪いが今年は初めて『京都ゑびす』の宵戎を一寸(ちょっと)見に行って来た。
京都ゑびすは四条の花街・宮川町に隣接した由緒ある神社。
「今宮や西宮ほどには混んでなくてええわあ。これからは京都ゑびすにしようか」とは妻の感想(今宮ほどにはチョー混んでいないと言うだけで結構な賑わい・・念の為)。
福笹は御祓いを受けた基本の吉兆が付いて〇〇円。
これについては、私は今宮戎の方式が一番好きである。
今宮戎は、何も付いていない笹を参拝者に無料で配る。
だから、ある年、妻は立派な笹を得意げに貰って来たが「もっと小さいのんにせんと、笹に応じた吉兆を付けたらえらい事になる」と私が言うのにキョトンとしたことがある。
今宮戎はこの「素の笹」を持って「商売繁盛で笹持って来い」という福娘たちに吉兆を付けてもらうのである。(ここからは有料)
残念ながら、西宮も奈良南市も、そして京都もそういう方式ではなかった。(スタートが無料ではないという意味で・・・。)西宮に至っては人工の笹だった。
重ねて言うが、私は素の笹を掲げて、「商売繁昌で笹持って来い」の喧騒の中を、福を持っていそうな福娘に付けてもらいに行く今宮方式が好きである。
正面からのお参りのあと福笹を持って次に進んだのは社殿の横。
えべっさんは耳が遠いから正面から参っただけではダメ。裏に廻ってドンドンドンと裏口を叩いて「〇〇の〇〇だっせ。頼のんまっせ」と大声をあげなければ参った意味がない・・というのが常識。それが京都ゑびすは社殿の横にあった。なお、この習わしは今宮はもちろん、奈良南市にもあったが西宮にはなかったのでがっかりしたことがある。西宮には何の恨みもないが正直な感想。
帰りに、吉兆のひとつと言ってもいいのだろう、参道に「人気大よせ(にんきおおよせ)」という、「住吉踊り」(住吉大社の無形文化財住吉踊りの祭事の際の「住吉踊り」という飾り物)のような縁起物があった。傘の中に人形がぶら下がっているのだが、手内職のような素朴な味があるので、『危険な時代への予兆を憂う「人気」(ひとけの意)が「大寄せ」になるように』と、小さいのをひとつ付けてもらった。
客商売の方だろう、直径1㍍はある大傘を隣で求められていた。何処に飾るのだろう・・余計な心配。
本来は清荒神の布袋さんのように毎年1ランクずつ大きくしていくらしいが、こういう説は不採用にしないと大変なことになる。
帰りの京都の車内を見渡したら、笹を持って帰る人があまり目立たない。大阪周辺の電車はこんなものではないのに・・、やはり、えべっさんは大阪的な商売人の神さんなのだろうか。だが、歳をいくと今宮戎の大混雑には疲れてくる。
少し歩いて先斗町(ぽんとちょう)に出られる京都ゑびすは結構気に入った。
えべっさんに因んで、先斗町で美味しい海の幸をいただいた。ふっふっふ
追伸 翌朝、昨日の土産の甘酒をつくって二人の母の施設に持参した。義母は妻の携帯の「ドンドン叩いて参っている」ムービーを見ながら「美味しいなあ」とたっぷり呑んで喜んだ。実母の施設ではスタッフが部屋の全員に振舞った。福笹を振り回して大声で「商売繁盛で笹持って来い」の合唱が始まり、神社以外でいえば日本中で此処が一番盛り上がった十日戎(戎祭)だったのではないだろうか。???
と言って、強固な信仰のようなものではないので今宮戎には悪いが今年は初めて『京都ゑびす』の宵戎を一寸(ちょっと)見に行って来た。
京都ゑびすは四条の花街・宮川町に隣接した由緒ある神社。
「今宮や西宮ほどには混んでなくてええわあ。これからは京都ゑびすにしようか」とは妻の感想(今宮ほどにはチョー混んでいないと言うだけで結構な賑わい・・念の為)。
福笹は御祓いを受けた基本の吉兆が付いて〇〇円。
これについては、私は今宮戎の方式が一番好きである。
今宮戎は、何も付いていない笹を参拝者に無料で配る。
だから、ある年、妻は立派な笹を得意げに貰って来たが「もっと小さいのんにせんと、笹に応じた吉兆を付けたらえらい事になる」と私が言うのにキョトンとしたことがある。
今宮戎はこの「素の笹」を持って「商売繁盛で笹持って来い」という福娘たちに吉兆を付けてもらうのである。(ここからは有料)
残念ながら、西宮も奈良南市も、そして京都もそういう方式ではなかった。(スタートが無料ではないという意味で・・・。)西宮に至っては人工の笹だった。
重ねて言うが、私は素の笹を掲げて、「商売繁昌で笹持って来い」の喧騒の中を、福を持っていそうな福娘に付けてもらいに行く今宮方式が好きである。
正面からのお参りのあと福笹を持って次に進んだのは社殿の横。
えべっさんは耳が遠いから正面から参っただけではダメ。裏に廻ってドンドンドンと裏口を叩いて「〇〇の〇〇だっせ。頼のんまっせ」と大声をあげなければ参った意味がない・・というのが常識。それが京都ゑびすは社殿の横にあった。なお、この習わしは今宮はもちろん、奈良南市にもあったが西宮にはなかったのでがっかりしたことがある。西宮には何の恨みもないが正直な感想。
帰りに、吉兆のひとつと言ってもいいのだろう、参道に「人気大よせ(にんきおおよせ)」という、「住吉踊り」(住吉大社の無形文化財住吉踊りの祭事の際の「住吉踊り」という飾り物)のような縁起物があった。傘の中に人形がぶら下がっているのだが、手内職のような素朴な味があるので、『危険な時代への予兆を憂う「人気」(ひとけの意)が「大寄せ」になるように』と、小さいのをひとつ付けてもらった。
客商売の方だろう、直径1㍍はある大傘を隣で求められていた。何処に飾るのだろう・・余計な心配。
本来は清荒神の布袋さんのように毎年1ランクずつ大きくしていくらしいが、こういう説は不採用にしないと大変なことになる。
帰りの京都の車内を見渡したら、笹を持って帰る人があまり目立たない。大阪周辺の電車はこんなものではないのに・・、やはり、えべっさんは大阪的な商売人の神さんなのだろうか。だが、歳をいくと今宮戎の大混雑には疲れてくる。
少し歩いて先斗町(ぽんとちょう)に出られる京都ゑびすは結構気に入った。
えべっさんに因んで、先斗町で美味しい海の幸をいただいた。ふっふっふ
追伸 翌朝、昨日の土産の甘酒をつくって二人の母の施設に持参した。義母は妻の携帯の「ドンドン叩いて参っている」ムービーを見ながら「美味しいなあ」とたっぷり呑んで喜んだ。実母の施設ではスタッフが部屋の全員に振舞った。福笹を振り回して大声で「商売繁盛で笹持って来い」の合唱が始まり、神社以外でいえば日本中で此処が一番盛り上がった十日戎(戎祭)だったのではないだろうか。???
2012年1月9日月曜日
よしの よく見よ
元日に子供たちとその伴侶たちを前にして年頭の「訓示」?をしたのはよかったが、「お父さんの今年の抱負は何ですか?」と逆に聞かれて言葉に詰まったのは我ながら情けない。
だから・・・というのではなく昨年から予定していたことだが、日常雑務に埋没しないよう、7日に上野誠先生の初講義を夫婦で受講してきた。
「こんな正月早々、しかも3連休の初日に勉強しに来るとは変わり者ですね」というような先生独特のジョークから始まった「よしの よく見よ」と題した吉野と万葉集に関わる講義であったが、内容は『いわゆる「天子即神思想」を疑う』というサブタイトルの、非常に内容の深いものだった。
その要約は書かないが(書けるほどの理解と整理が出来ていないが)、先生が師と仰ぐ折口信夫は、「大君は 神にしませば」を、万葉学者の99.9%が述べているような「天皇は神であられるので」ではなく「天皇は神のような人であるので」(神が神のような仕事をしても歌にはならないの意)としていることや、昭和17年頃、文学報国会事務局長久米正雄が満州国皇帝溥儀を新聞にアラヒトガミと書いたことが「不敬」(アラヒトガミとは昭和天皇ただ一人の意)として糾弾され万事休したときに、折口が、その当時の時代の『経典』的な扱いをされていた万葉集を引いて「住吉の神もアラヒトガミとされている例がある」と反駁し久米の窮地を救った話を熱く語られたのには感激した。
総じて浮世離れをした勉強(万葉学)ではあるが、世の中に、なにやら戦前の「不敬」問題に似た、内橋克人氏流にいえば「頂点同調主義、熱狂的等質化現象」(うっぷん晴らし政治)や、グローバリゼーションに打ち勝つためにと社会の管理・統制をヒステリカルに指向する主張の台頭を見るとき、折口学には、なかなかに時代に噛み合った教示があるようにも感じいった半日だった。
ちょっと澄ましたブログになったが、古文も折口学もほとんど知らずに知ったような感想を書いて恥ずかしい。
だから・・・というのではなく昨年から予定していたことだが、日常雑務に埋没しないよう、7日に上野誠先生の初講義を夫婦で受講してきた。
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| 同じ教室の講義風景 ネットから |
その要約は書かないが(書けるほどの理解と整理が出来ていないが)、先生が師と仰ぐ折口信夫は、「大君は 神にしませば」を、万葉学者の99.9%が述べているような「天皇は神であられるので」ではなく「天皇は神のような人であるので」(神が神のような仕事をしても歌にはならないの意)としていることや、昭和17年頃、文学報国会事務局長久米正雄が満州国皇帝溥儀を新聞にアラヒトガミと書いたことが「不敬」(アラヒトガミとは昭和天皇ただ一人の意)として糾弾され万事休したときに、折口が、その当時の時代の『経典』的な扱いをされていた万葉集を引いて「住吉の神もアラヒトガミとされている例がある」と反駁し久米の窮地を救った話を熱く語られたのには感激した。
総じて浮世離れをした勉強(万葉学)ではあるが、世の中に、なにやら戦前の「不敬」問題に似た、内橋克人氏流にいえば「頂点同調主義、熱狂的等質化現象」(うっぷん晴らし政治)や、グローバリゼーションに打ち勝つためにと社会の管理・統制をヒステリカルに指向する主張の台頭を見るとき、折口学には、なかなかに時代に噛み合った教示があるようにも感じいった半日だった。
ちょっと澄ましたブログになったが、古文も折口学もほとんど知らずに知ったような感想を書いて恥ずかしい。
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