2012年2月7日火曜日

歌えずじまいの早春賦

   先日まで冬の星座を唄いながら「立春が過ぎたら早春賦の歌詞を持参しよう」「その美しい文語体の口語訳についても教授陣と語り合おう」と思っていたのだが、先月、合唱団を退団、こおつと大学も卒業した。

 妻が「ラジオで武田鉄矢氏が〔賦とは数え歌である〕と熱く語っていたが意味がよく判らない」と言う。確かに、何処の国のどの時代のどういう詩歌の賦の話かによって特徴や性格も大きく異なるものらしい。
 私は白川静先生の説く「賦とは外的に事物を描写することを主とする現実肯定と賛頌の文学である」「わが国で言えば土地誉めの文学である」という解説に共感するが、この早春賦については結構叙情的な感じもする。

 先日、珍しく鶯が枯れ木の枝に姿を曝して笹鳴きをしていたが、例によってそんなチャンスに限ってカメラを持っておらず、幸い周囲に人がいなかったから、鶯に向って早春賦を唄ってやった。

見つけた 春
  春は名のみの 風の寒さや
  谷の鶯 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず
     氷融け去り 葦は角ぐむ
     さては時ぞと 思うあやにく
     今日も昨日も 雪の空
     今日も昨日も 雪の空
        春と聞かねば 知らでありしを
        聞けば急かるる 胸の思いを
        いかにせよとの この頃か
        いかにせよとの この頃か

暦の上では春になったと言うものの
             名のみで風は寒い
谷の鶯も囀りたいと思っているのだろうが
まだその時でないと声も立てない
まだその時でないと声も立てない
   張っていた氷も解けて、葦も芽吹くようで
   さあその時(春)かと思うがあいにく
   今日も昨日も雪が降る空
   今日も昨日も雪が降る空
      春だと聞いていなければ、知らないでいるものの
      聞けば気が急く思い廻らす胸の内を
      どうしろと言うのかと思うこの頃である
      どうしろと言うのかと思うこの頃である    *歌詞と意訳はネットからの丸写し

 以下、孫引きになるが、この歌は大正2年の新作唱歌に掲載されている。作詞の吉丸一昌は安曇野の風景に感動して作ったと言われている。安曇野には「早春賦の碑」があり、毎年4月には「早春賦音楽祭」が開かれている。作曲者中田章の子である中田喜直は季節の歌を色々作ったが、父とこの歌を尊敬して春の名の付く歌を作らなかったという。
 
 この歌の出だしはあまりに有名だが、心の中で『「時にあらずと声も立てず」と書いてはいるがそれはおかしい。囀(さえずり)前の鶯はチャッチャッチャッチャと笹鳴きがうるさくて仕方がないのに』・・・と思うのは、きっとクソリアリズムに捉われたバードウォッチャーの心の狭さなのでしょう。
 詩心のない私などは、・・暦の上では21世紀も相当過ぎたというのに、未だ20世紀の亡霊のうろちょろするのを見る薄ら寒さよ・・というような、政治や社会に対する無機物に似た散文を連想してしまうのが我ながら情けない。
 とまれ早春賦である。言霊(ことだま)をもって春を讃え、土地を誉めよう。

5 件のコメント:

  1. 長谷やんさんの唄を聴いた鶯はきっと合唱団やこおつと大学に飛んでいって長谷やんさんの代わりに鶯声で唱ってくれているでしょう

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  2. !スノウさん コメントありがとうございます。実は、残してきた教授陣のために合唱団やこおつと大学に出かけるほどの勇気も気力もないのですが、私が行かなくなってしょんぼり居眠りされてはいないかと少し心が疼いています。

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  3. 6日の朝に、ギックリ腰になり、三日間寝込んでいました。なんとかパソコンの前に座る事が出来るまでになりました。
    恐るべし、「魔女の一撃」(近所の医者の名言です。)日常生活の何でもない動作でもこんなことになるなんて、歳かな~。

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  4. !ひげ親父さん 最新の学説では椎間板ヘルニアも治癒するそうですから、手術は早まらずに熟慮される方がよいようです。
     私は明日から7日間、抗ピロリ菌薬の服薬を行ないます。
     これは歳とは関係はありません。

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  5. 有難うございます。かなり回復してきたので来週は大丈夫だと思います。
     3年前だったか、胃潰瘍と十二指腸潰瘍が見つかった時、ピロリ菌検査をしてやっつけました。

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