2012年1月15日日曜日

プチ小正月

   1月1日が、お月様が新月である「朔(さく)の正月」なら、15日は初めての満月である「望(もち)の正月」である。
 そして、その「望の正月」が小正月であり、主として宮中よりも庶民レベルでは朔旦正月よりも古くから豊かに祝われてきたというものらしい。・・・と言っても、この「望月」(満月)の話が通じる太陰太陽暦を捨て去りグレゴリオ暦を用いている現代では満月でもなんでもないし、その上に農家でもなかった私の家ではこれといった小正月の行事はしてこなかった。
 母は「小正月は小豆(あずき)のお雑煮やった」と言うのだが、小豆粥のことか、善哉のことか、それとも甘くない小豆雑煮というものがあったのかはハッキリしない。

 しかし、そうだからと言って全く何もしないのは寂しいので、先ず早朝に「とんど」をしめやかに挙行した。
 早朝におこなったのは「清浄な空気に包まれて」と言いたいところだが、隣近所の洗濯物に灰が飛んでいかないようにという、いたって現代的な理由である。
 ご近所に迷惑をかけないよう注意を払っての、チムニー使用の「とんど」だったが、正月飾り関係の諸々をゴミに出したりせずに済んで気持ちがよかった。
 チムニーの上で餅と魚を焼いて朝食をつくると、なにかほんとうの小正月をしているような気になった。

 実母の施設には「小正月ですから」と言って「福笑い」を持参した。
 「目をつぶって置いていってください」と言って開始したのだが、入所者に話が十分通じず、多くの方が目を開けたまま進行していった。
 しかし、指先が思うように動かせない方々には目を開けたままでも思ったところに目や鼻のパーツを置いていくのは困難で、結局「目を開けたままの福笑い」で結構大笑いの飛びかう遊びになった。

 「目をつぶって」でないと成立たないなどと、何ごとも教条的に思い込んだらあかんということだろう。

 帰宅してから、三省堂の年中行事事典の小正月の行事の中に「成木責め(なりきぜめ)」というのがあるのを知った。
 私の無茶苦茶な剪定のために不作だった柿の木に「成るか成らぬか」「成らねば伐るぞ」と唱えて幹を叩いた。そうするものらしい。来年当たりは孫と一緒に叩きたい。

 最後に、道祖神にお酒をちょっぴりかけて、昼食に赤飯と御酒を戴いて、穏やかな1年を念じつつ、つつましい新興住宅街での小正月を終了した。

2 件のコメント:

  1. 初めてお邪魔します。
    生活が違いすぎて、今回はコメントなしです。
    またお邪魔します。

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  2. !wagababaさん コメントありがとうございます。
     言っておきますが、四六時中こんな生活をしているのではありませんゾ。
     圧倒的には、平凡すぎる市民生活に追われて暮らしています。
     しかし、歳とともにダンダン浮世離れしつつあります。
     これからも気楽にコメントをお願いします。

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