義母の実家は生駒山の中腹に今もある。
365日田畑の手伝いに追われていた義母にはお祭りの記憶もないという。
唯一思い出したお祭りは、生駒谷を下り矢田丘陵を登ったところにある松尾寺と矢田寺(いずれも大和郡山市)詣りであった。
そんな思い出を聞いていた時、私が「矢田寺には味噌なめ地蔵がありますね」と尋ねたら、「それは知らんかったなあ。水呑み地蔵は家の上にあったけど・・・」と懐かしそうに語りだした。
それは、聞くほどに、単なる路傍の地蔵のことではなく、ちょっとした地蔵堂らしいことが判ったが、遠い記憶ゆえ詳しいことは判らない。
妻もそんな話は聞き初めらしい。
こんな時ネット社会は便利なもので、パソコンの地図で辺りを探してみると十三峠(じゅうさんとうげ)の大阪・八尾側にはっきりと書かれている。
ということで、冬晴れの日に親戚(義母の実家)を訪問がてら車で走ってみた。
車のナビは大阪側から行けとうるさいが、ここは義母の思い出を辿らなければ意味がないから、実家からの細い道を北を向いたり南を向いたり見事にくねくねと登っていった。
以前に暗がり峠をちょっとだけ書いたが、この十三峠も大阪と奈良を結ぶ歴史ある幹線道路で、名前の由来は、峠近くにある国の重要有形民俗文化財「十三塚」にある。
また、お能の世阿弥の代表作の一つ「井筒」で有名というか、その元となった伊勢物語(筒井筒)で有名な、つまり、在原業平が河内高安の娘のもとへ「河内通い」をした業平道である。
たどり着いた水呑み地蔵は河内平野一望の絶景で、弘法大師の霊験によるといわれる清水がこんこんと湧いていて、なるほど「水呑みさん」である。
「みんなで順番に」という説明書きの書き振りでは土日などに水汲みにやってくる人々が多いらしい。
素朴で、それでいて思ったよりも立派なお堂であった。
遠くない地にこんな再発見があるから、義母に弟子入りをして「こおつと大学」を再開しよう。
こおっと?教えてください。
返信削除八尾の我が家へ上る道には碑-確か「をとこえ(古い字)のみち」だったかな?あります。車に当てられかなり削られていますが何とか読めます。伊勢物語にある「筒井筒」に出てくる業平が通った道のようです。
!「をとこゑのみち」ですか。勉強不足で意味が解りません。
返信削除行き先なら、いせ、はせ、なら、たつた、まつお、・・が思い浮かびますが、かすりません。
業平=昔男なら河内側から「〇〇こゑ」というのも変ですし。
しんとくみち(俊徳丸)の関係する文字とも重ならないし。
天理教の中山みきさん、おじば、等とも結びつかないし・・・
で、結局解りません。
ほんとうに何んと刻まれているのでしょう。