2012年1月23日月曜日

これも道標

   大和路には天皇陵や寺社が多いせいか、ふとした道端に味のある道標がよく目につく。
 それは単なる石や書が味わい深いだけではなく、「へ~、こんなところに〇〇天皇陵があったのか」と気付かせてくれるという利便性を今現在も持っている。
 だから、そういう現実的利便性を考えると「普通の道の辻々にも道標が欲しいなあ」と思うことがしばしばある。
 なぜなら、より直接的には、UR(旧住都公団)も府県も市町村も、クルマの運転者向けには幹線道路の交差点にそれなりの表示を掲げたりするのだが、歩道には全く感心がなさそうだから・・・である。
 我が家は、駅から歩道を歩いてくるのだが、ところどころに微妙な角度の交差路があり、「これこれのとおり歩いてきて欲しい」と知人に伝えても迷われてしまうことが何回もあった。
 だから、「歩道網(の枝ごと)に名前をつけて道標(表示板)をつけて欲しい」と願っているのだが、辛いことに我が家の直前まで他所の二つの自治体であるので、靴の上から足を掻いている。
 しかも、我が家の家の角から当自治体になるのだが、これも歩道には全く関心を示していない。

 そんなうつうつと溜まった思いから、我が家の角に自分で小さな道標を建ててみた。
 多くの人々が覗いていかれるし何となく納得されているような顔も時々目にする。
 また、「是」(これより)という読み方について庭先で会話が進むときもあるので、「建ててよかった」と心の中で自画自賛している。

 ただ、これを建てた後に白川静先生の本を読んで、『ここは旧字形の「」で行くべきだった』なあと、常用漢字を採用したことを歯噛みしている。
 先生は「(金文(きんぶん)では)であるからしたがうの意味があるのだ」と述べておられる。
 ということは、この字形は、変更してはならない箇所を変更して作った新字体失敗作のひとつと言えよう。ああ己が浅学が情けない。
 まあ、長い職業人生を、法制度にって仕事をしてきた故の選択だったと開き直ることにしよう。

5 件のコメント:

  1. 長谷やんらしい思考に感動しました。
    外向きの暖かい眼差しを、しかも「自費」で実践されて居られることに深い敬意を表します。

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  2. !スノウさん これを石材屋に注文に行ったとき「自費でそんなのを建てるのなんか止めときなはれ」と取り合ってもらえませんでした。(ほんとうに商売する気はゼロでした)
     自分ではそんなにおかしなこととは思っていなかったのですが専門家には非常識だったのでしょうか。
     妻にはナイショで注文したのですが「言語道断の無駄遣い」と仕分けされてしまいました。

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  3. 柏田 敏迪2012年1月24日 15:56

    ここに、大論文を書けばいいのでしょうか?
    長谷やんと言ったら失礼ですが、文化性の違いに敬服。俺もしたいことあるのですが、未だ単身赴任で働いています。
    歳よりも若く感じられるとかおだてられ、息咳き切って頑張ることも限界です。
    心豊かに老けこみたい。願望です。
    ここでよければ、また発信します。かっさん

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  4. 柏田さん!懐かしいお名前をお目にして
    吃驚と、感慨と、感謝と、数十年前の青春の熱いエネルギーをそのままに「俺」にエールをお送りいたします。
    「俺」こそ柏田さんにぴったりです。
    長谷やんさん「ブログ」有難う御座います。

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  5. !かっさん 嬉しいコメントありがとうございます。
     老朗介護のせいにするのは卑怯ですが、ともすれば鬱になりがちな日常に、かっさんのコメントで元気がもらえます。
     このブログは四畳半的な瑣末な日記ですから、たまに一杯呑んで鼻歌を唄いながらチャチャを入れてください。そんなもんです。
     名前/URLの名前は かっさん でOKです。今日は嬉しいです。

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