2012年1月29日日曜日

続こおつと大学

   一昨日のブログに書いたように、こおつとという言葉を義母は「使っていた」と言うのだが、その子である妻は「知らなかった」と言う。
 そして、胸に手を当てて考えてみると、それは決して義母(親)と妻(私たち)の世代間だけの問題ではなく、こういうような最新技術や生産性と何の関係もない言葉や言い伝えのようなもので私が知っていることでも、「きっと子どもたちは知らないだろうなあ」(つまり私が子どもたちに話していない)ということもいっぱいあるなあということに思い至った。
 「いただきます」に「よろしゅうおあがり」
 「ごちそうさまでした」に「おそまつさまでした」・・ぐらいは言ってきたかも知れないが・・・。
 「偉そうな口を利く」ことを「ほげたを叩く」と言ったり、何かの縁起直しに「つるかめ つるかめ」と唱えることや、元墓場の土地の上に家を建てると商売が繁盛するとか本の紙の端が折れ込んだまま裁断されたのを「戎紙」といって縁起が良いという言い伝えなどは語ってきていないだろうから、このブログを読んでも、子どもたちはきっと古典落語の世界と思うことだろう。
 しかし、まあここまでに書いた言葉の消滅には実害はあまりない。

 ところが、これが老人施設となると・・・話はリアルな実際問題であることを近頃発見した。
 以前のブログに、「私が施設の所長ならスタッフの採用試験に“お富さん”の独唱を出題する」と書いたが、それに加えて「消えゆく関西弁」も必須課目にしなければならないことを実感した。
 なぜなら、一昨日のブログに“高野山”を書いたが、この高野山を多くの入所者は「ご不浄」とか「はばかり」と言うのである。そしてほとんどのスタッフは「そんな言葉を最初は知らなかった」と言う。・・・入所者が「はばかりに連れて行って」と言うのにその意味が「判らなかった」・・・ということもほんとうにあったらしい。
 こうなると、戎紙の言い伝えを知らないというレベルとはチョット質が違う。実害が生じている。

 入所者の言っていることが判らない。きっと認知症が深まったのだとスタッフは思っている。しかし実は「消えゆく関西弁」を知らなかっただけ。・・ということも実際には各処であったのではなかろうか。とも想像する。

 例えば、入所者が「川の縁を歩くときはがたろに気をつけたもんや」と思い出を語っても、がたろが河童であると知らないスタッフには「認知症が進んでわけのわからないことを言っている」と思ってしまうようなこともあったのでは・・・・・。

 だから、私の受講している「こおつと大学」は私にとっては趣味の領域であるが、実はその聴講生であるスタッフには極めて為になる実学になっているようだ。
 ここ(老人」施設)では私は柳田國男風の通訳もやっていることになる。

2 件のコメント:

  1. こおつと  なつかしい 忘れていた言葉です。私は使ったことがありませんが、おばあちゃんがよく言っていました。 明治21年生まれの 香川県多度津出身です。  次の行為をする時に言っていたと思います。  実家のそのシーンを思い出しました。勿論 おばあちゃんもです。  言葉は不思議な力を持っていること実感しました。

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  2. !堺愛好者さん コメントありがとうございます。
     こういう言葉は絶滅危惧種ですね。
     残そうと思って我々世代が使っても何か「とってつけた」感じになってしまいます。
     ただ、下品な言葉こそが大阪弁、関西弁のような風潮に抗い、こういう言葉はあえて子どもたちに伝えておきたいと強く思っています。
     問題は、教授陣が急速に減りつつあることです。
     どうしてもっと早くに気がつかなかったのかと悔やんでいます。

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