10日の朝ドラ再放送『チョッちゃんが行くわよ』では黒柳徹子さんの父親がシベリア抑留から引き揚げて帰国して、知り合いみんなが『リンゴの唄』の下で楽しく歓迎のお祝いをしていたが、どうしてか、すぐに私は以前に読んだ『なかにし礼』さんの自伝を思い浮かべた。
リンゴの歌は一般に、戦争が終わって日本が新しい希望の時代に向かう底抜けに明るい曲調と評されていたりするが、満州で父を亡くし、生きるか死ぬかの旅の末の引き上げ船の中で、船員が歌うこの歌を聴いた当時8歳だったなかにし礼さんは、幼いながらに、私たちがまだ着の身着のままで苦しんでいる最中だというのに、なぜ平気でこんな明るい歌が歌えるのだろうと悲しくなり、「リンゴの唄」を歌いながら泣いたという。
そのときの私の読後感だが、「戦後ニッポンという国は、結局、この種の棄民、戦死、戦争関連死、そして侵略先の死者、犠牲者に“見て見ぬふり”をして、明るくリンゴの唄を歌い続けてきたのだな」ともやもやとした気分を感じた。
かつて、自民党の政治家だって、戦争を知っている世代は戦争の現実についてその記憶と反省があったようだが、先だっての選挙で目立ったヘイトスピーチに同調する現代の人々は、さっそく、スパイ防止法だ、いよいよ憲法改正だと声をあげている。
朝ドラから連想して、リンゴの唄を「残酷な歌だった」と記したなかにし礼さんの気分などを振り返るべき時が来ていると感じた次第。
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