2024年10月5日土曜日

始終空

    四十雀(シジュウカラ) は身近にいて、そして可愛い。
 雀(スズメ)ときたら窓の内側のカーテンを開けるだけで蜘蛛の子を散らすように逃げていくのに、シジュウカラは「何ですか」とでもいうように残っている。
 スズメが人に慣れないのはスズメが悪いのでなく、長い歴史追いかけまわした人間(特に稲作民族)のせいだろう。
 実際、東京の霞が関にはよく出かけたことがあるが、日比谷公園の松本楼のテラスでランチをとっているとテーブルにまでスズメがやってきてご飯粒を食べに来る。
 東京のスズメはこの国が瑞穂の国であるとの歴史をすでに失っている。

 寄り道したが今日の主人公はシジュウカラである。
 この稲作民族はスズメのようにはシジュウカラを目の敵にせず、否、害虫を食べてくれる益鳥として遇してきた。
 事実、「四十雀を捕ると飯櫃(めしびつ)が始終空(から)になる」というようなことわざが全国にあるという。

 秋風とともにわが庭にもシジュウカラがやってくるようになった。
 本当は「秋の内は自然の餌を食べなさい」と突き放すべきなのだろうが、ツツピー ツツピーの声が餌をねだっているようなので、夏中はしまっていたバードテーブルを引っ張り出し、ホームセンターでハムスター用のヒマワリの種を買ってきた。

 そして毎日、ネクタイを締めた正装で食事に来るシジュウカラを楽しんでいる。

2024年10月4日金曜日

軍拡より外交

    報道されているとおり、イランがイスラエルへ弾道ミサイルを180発超発射し、
米軍艦艇も含むイスラエル軍が迎撃ミサイルを発射したにもかかわらず、米CNNテレビが実況していたとおり、何発かは確実にイスラエルの地上に到達して爆発した。

 今回のイランのミサイル攻撃はある意味「通告済み」であった。それに対してアメリカとイスラエルはともに軍事超大国であるが、それでも完全には迎撃できないという現実が明白になって私は背筋が冷たくなった。

 何を言いたいかといえば日本のことである。
 日本では莫大な予算を使って「ミサイル迎撃態勢」をつくるといっているが、正直なところ「それは無理」だということが明らかになったと私は考える。完全に迎撃することはできない。あのアメリカとイスラエルにしてもできなかった。
 そこが日本の原発であることを私は想像する。
 原子炉でなくても電源や冷却水が止まればそれは核爆弾だ。

 ならばどうするか。結局、憲法9条を持つ国としての外交以外にはないのではないか。
 「軍拡よりも外交」だ。
 ロシアとウクライナを見ていても、NATOの主要国を横に置いておいて、国内政治にいろいろ問題があっても、トルコのエルドアン大統領の外交は注目されている。
 
 イスラエルではナフタリ・ベネット元首相が「イランの核施設への攻撃」を強く呼びかけている。
 威嚇を超えて、ミスも含めて核爆発の脅威がイランでもイスラエルでも強まっている。
 ほんとうに「軍事同盟による平和」という神話から目を覚まさないと取り返しがつかなくならないか。

2024年10月3日木曜日

思い出は遠く

    久しぶりに天王寺駅に出たので少しだけ近辺をぶらついた。
 四天王寺参道といえば赤松種苗店ではないかと歩いてみた。
 古くから有名社寺の参道には種苗店があり、お参りを兼ねて皆が訪れ、そこで改良が成った種苗や新種のものを購入したり、農耕の新知識なども学んでいた。

 奈良の有名社寺周辺にもあったが今はここのように有名な店は残っていない。
 赤松種苗店はこのように歴史的にも貴重な存在である。
 そのお店が新しいビルの建設中であった。見たところ廃業・転業ではないようなので少し安心した。

 そんなことに驚いているうちに昼時になったので、天王寺~阿部野橋周辺には思い出の店もいくつかあるが、それはさておき、若いころよく立ち寄っていた焼き肉の『平和』の暖簾をくぐり、ハラミと小ライスを注文した。
 阪和線組の馴染みの店だったが、今は広さが半分ほどだった。昼吞みのお客で賑わっていたのは何よりだったが、この店を教えてくれたAさん、この店を教えてあげたBさん、連れ立ってよく行ったCさん、多くの方がアチラに行ってしまって、昔語りの相手が少なくなった。
 食事の後、四天王寺に向かって頭を下げて帰ってきた。
 追伸 : 店員さんはその頃まだ生まれてなかったような青年だった。

2024年10月2日水曜日

彼岸花

    これまでは実感として「彼岸花の開花と気温は関係ない」と言ってきたが、さすがに今年はわが家のヒガンバナの開花が遅く、「猛暑、残暑のせいではないか」と見解を軌道修正しつつある。

 写真は近くの田圃のものだが、その先の佐保山の古い土葬と思われる墓地で彼岸花を見たときは、少しゾゾーっとしたことを思い出す。

 『ごんぎつね』も兵十のおっかあの葬式を知り墓地に先回りをしたが、そこには彼岸花が赤い布のように咲いていて、葬列の後には彼岸花が踏み折られていた。

 見ようによっては活力のみなぎったフラメンコのダンサーたちにも見えるが、何となく不吉なイメージでとらえられているのも可哀そうだ。

 春から夏中全く存在の影もなく、彼岸直前にスルスルスルと茎が出てきたと思うとこんな大層な花を咲かせるのだから、どう考えても不吉な印象は可哀そうだ。

2024年10月1日火曜日

人新世の先のコモン

    話の始めはあまり面白くないが、この地球では中生代の白亜紀と新生代の古第三紀との境界(K-Pg境界)(約6500万年前)に
恐竜が絶滅した。
 その原因は、メキシコ、ユカタン半島への巨大隕石の衝突と、インド、デカン高原での巨大噴火活動で地球が急速に寒冷化したからだといわれている。

 そして産業革命以後の現代は、先のK-Pg境界に匹敵する、「過去への回復が不可能な」地球の環境危機に直面している。この時代を少なくない地質学者達は人新世(ひとしんせい・じんしんせい)と名付けつつある。

 核兵器の使用はその「終末」を急速に早めるだろうが、核以外の戦争も、さらには通常の経済活動も待ったなしだと斎藤幸平氏らは指摘し、鍵は「コモン」だと述べている。

 内田樹氏の言葉を借りれば、「公共財」を英語でコモンという。原義は入会地・共有地で、ヨーロッパでは中世からどの国でもコモンに類するものがあった。代表的なのはフランスのコミューンでカトリックの教区が基本となる行政単位である。ドイツには古代から中世までマルク協同体があった。そこには支配ー被支配という関係は生じなかった。晩年のマルクスが、あるべきコミュニズム(コミューン主義)社会を思い描いた時に、その構想の土台はゲルマンのマルク協同体にあったと斎藤幸平は論じている。(引用おわり)

 みんなが使える公共を豊かにする。それこそが個人も地球も豊かになる道だ。
 ソ連や中国のような国でなく、もちろんアメリカ型市場原理主義でもない、コモンという考えが大切で、宇沢弘文氏の「社会的共通資本」のイメージが判りやすいが、コモンは社会的共通資本のようには専門家任せにはせず、市民が民主的・水平的に共同管理に参加することを重視し、資本主義を超克しようという話だ。
 十分理解できたわけではないが、理論と実践の発展に期待している。

 以上のようなことを考えると、日本共産党が、労働時間の短縮や社会保障の充実の政策を掲げているのは、選挙の時だけの人気取りやバラマキ政策ではない。
 Japanese Communist Party の前進に協力したい。