落語「菜刀息子(ながたんむすこ)」別題「弱法師(よろぼし)」の舞台である四天王寺西門は、説教節やお能の「弱法師」、人形浄瑠璃や歌舞伎「摂州合邦辻」、小説「身毒丸」、寺山修司や蜷川幸雄の舞台でも有名な俊徳丸で有名で、それを土台にした落語が菜刀息子である。
■ 紙を切る庖丁を買う用を言いつかった商家の息子が、間違えて菜刀(ながたん)を買ってきてしまう。
父親に「出ていけ」と強く叱られた気の弱い息子は家出。
一人息子を失った老夫婦は悲しみにくれた一年が過ぎ、春の彼岸の天王寺にお参りする。
彼岸の中日、真西に沈む夕日を拝む、四天王寺の西門は極楽浄土の東門と向かいあっているので、落日を拝む(日想観(じっそうかん))ことで極楽浄土に行けると信じられていた。
また息子は「盲目となっていた。
この日の四天王寺は日想観を行う人で賑わっていた。
夫婦は何かの功徳にと、群集する乞食に金を恵むが、その中の一人、要領の悪い乞食がもらい損ねている。よく見ると家出した息子ではないか。駆け寄りたい母親、それを止める父親、父親は、ただ遣るのではなく何か芸の代として金を渡せという。それが乞食なりの自負だという。
母親は、みたらし団子と餅を包ませ先程の乞食の下(もと)に。「イイですか。他のお薦(こも)さんと同じように大きな声であの旦那様に聞こえるように、何か言いなさい」、
「へぇ、ながたん誂え(あつらえ)まして(長々患いまして)難渋しております」■
手をかけたい母親と、甘やかすだけでは両親の亡きあと一人で暮らせないと諭す父親。
結果として乞食になった息子。屈託のない調子で言うサゲ(地口落ち)。
笑うところはどこもない、苦い落語だ。
五代目桂米團治が、この噺に入れ込み、「弱法師(よろぼし)」としてガリ版の台本を出版しているという。
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