2024年10月6日日曜日

大阪の街

    先日、天王寺で焼き肉を食べたその店が、私が知っていた頃からすると半分ぐらいの広さになっていたことを書いたが、そのとき「街というものも生き物みたいだ」という印象を深くした。

 近くは天王寺公園の「天芝」の整備があった。その前にはハルカスができたし、もっと遡れば阿倍野再開発事業があった。
 もう少し目を市内全体に広げると、JR難波・湊町再開発があったし、弁天町の開発もあった。そういえば長堀もあった。もっと昔は上六もあった。
 それらが現在、「キタ」の一人勝ちのように見えるが、そこもよく見ると駅前第1~第4ビルは取り残されている。

 結局、庶民の懐、それは賃金であり年金が原資なのだが、そこが潤わないまま、天王寺や、ミナミやキタやと順番に「同じ人の懐」を取り合いをしただけで、新しい開発が脚光を浴びるのに反比例して他の地域が没落していってないかと大阪市を心配している。
 テレビやラジオは新しい話題、新しい話題ばかりを追いかけるので、ニュースの限りでは絶え間なく街が発展しているかのように見えるが、過去を検証しながら都市政策を考える必要が重要になっている。もっと言えば一人一人の生活水準の向上なくして都市政策もない。

 資本は野放しにしておけば「最適解」を出すという新自由主義は明らかに破綻しているが、大阪の街はどこへ向かっていくのだろう。話題になっているキタの外では屍累々のような気がしている。

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