2024年10月27日日曜日

折り鶴は語る

先日、ある懇親会(パーティー)に、胸に被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の『折り鶴バッジ』を着けて参加すると、「そのバッジは何」と何人かから質問された。
 『折り鶴バッジ』は大と小と2種類あるが、そのうちの大の方で、しかも上着の襟だから目立ったということもある。
 パーティーの中での会話だからしれているが、その度にノーベル平和賞や被団協の話が弾み、「私も欲しい。着けたい」という人もいた。
 日頃は帽子に着けていたものを襟に移して出かけた値打ちがあった。
 そして、こんな小さなことでも、ちょっとした「気遣い」でも「連帯」は広がるものだという感を大にした。
 どんなことにも言えることだと思うが、ものの始まりは小さなこと、小さな決意だと思う。その差が大きな結果を生む。
 歳を取ると理屈が先行して手足が伴わないこともあるが、ある意味大切な生き方を再確認させてもらった。

 このバッジのことは先に「堺の友人が被団協からいくつか取り寄せ、余分な数を希望者にあげたい」と申し出ていることを書いたが、何人かにはその労を取らせていただいた。
 平和運動とか民主運動などと大層に構えなくても、こんな小さなことでも連帯は広がる。


1 件のコメント:

  1. Tさんから「欲しい。着けたい」とLINEがあり、Kさんにその旨伝えていたが、Tさんから「到着した」とお礼のLINEがありKさんに取り次いだ。小さなことかもしれないが喜んでもらえてこんなに嬉しいことはない。特に今日はそういうことや、励ましのLINEに癒される。

    返信削除