2023年5月29日月曜日

編集結果の反省

   先日は『送る夕べ』参加の先輩から、直近の会報の編集について注意を受けた。

 その問題は編集段階で判ってはいたが、再々再修正を言うのが躊躇われて、私が妥協したもので胸が痛かった。
 そもそも私が6本のコラムを書いたのだが、コラムらしい囲み記事にせず流し記事みたいにしたもので、冒頭にコラムだとは書いてあるが何となく流れが悪いものだった。

 その上に、コマドリのコラムにはコマドリの写真が正しく入ったが、他の流し記事のあちこちに参加者の顔写真を入れたものだから、紙面(ページ)を眺めた場合は読みやすそうなレイアウトだが、顔写真とその周辺の文字(記事)とは関係なく、「写真と記事が一致せずおかしかった」と先輩から感想的注意を受けたのだった。

 しかし私は「ほんとうにしっかり読んでいただいたんだ」と嬉しかった。ほんとうに嬉しかった。
 選挙前の超多忙の中の作業を知っている人からは遠慮をして注意がなかったし、ほんとうは「糠に釘」みたいな無反応の方が注意よりもダメージを受けるものだが、「モノ言えば唇寒し」との深慮かもしれないがこの指摘はないままに来ていた。

 先日、鵜飼敏彦氏の句集『桐一葉』のことを書いたが、帯の言葉を書いておられる小笠原好彦先生からこの本を頂いたので、感想を含んだお礼状をしたためたところ、後日「著者にコピーを渡したら喜んでおられたよ」との言葉をいただいた。
 著者にとってはそういう感想がことのほか嬉しいらしいが、その気持ちは大いにわかる。

 このブログの読者は意外に思われるかもしれないが、私はとびきり付きの筆不精で手紙などが大の苦手である。

 そのことを大いに反省した先輩の注意付きの感想だった。
 こんなチンケなブログでもコメントをいただくと嬉しいものだから、他人の文章にも筆不精を乗り越えて感想をお伝えするよう心を入れ替えようと思う。

1 件のコメント:

  1.  会報の件ですが、やはり常に読み手の身になって点検が必要です。編集側だとコラム記事といくつかの写真が別々のものだということは判っていますからスラスラ読めて気付かないわけです。
     近しい方々にはもっと指摘していただけなければなりません。「編集者は大変だ」というオーラを出し過ぎて「指摘するのはかわいそうだ」と思わせているのでしょう。

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