ただし、あの飼いならされた伝書鳩はアヒルやニワトリ同様野鳥とは言わないし、それが駅や公園で野生化したドバトもまた同じ。
ただ、ドバトとよくは似ているが、大集団を組まず電柱などでデデボポーと鳴いているのはキジバトでこれはれっきとした野鳥である。
とはいっても、写真のとおり、ベンチで休んでいる私の足下近くまでやってくるし、スマホで写真を撮ってもなかなか逃げもせず、一向に野鳥らしくない。
そのふてぶてしさが可愛くもあり憎たらしくもある。
キジバトとドバトの違いは首の後ろ目にある青と紺の斑で、キジバトのキジ(雉)というのはここから名付けられたのではないだろうか。
この部分は確かに美しい。
ハトのことを考えると何時も思い出すのは、アグネス・チャンさんがどこかで語っていたのだが、日本に来た当初、公園などにハトがたくさんいて「美味しそう!」と思ったという話。文化の多様性を教えられた。
今でこその「日本料理」だが、魚を生で食べるなんて野蛮人というのが世界の「常識」だった。
亡くなった私の義母はアシナガバチの巣を捕って「蜂の子」をおやつにしていたという。
そういう自由な思考回路が発達すると、キジバトも可愛いと思う前に美味しそうに思えてくる。
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