場を盛り上げる必要が出たときの予備のツールで、結果使われなくてもいろんな状況に対処するためには「取り越し苦労」も大切だと考えて作った。
イベントは「取り越し苦労」と雑用とダンドリで成功するものだ。
写真のとおり、なにわ老年合唱団も活用してくれた。
歌集の中には島倉千代子『人生いろいろ』を入れておいたが、結局この歌詞は出番がなかった。
歌では出番はなかったが、退職者それぞれの挨拶は『いろいろ』だった。
何人かは定年前の『早期退職』だったし、言外に質的量的な過重労働の辛さが滲んでいた。
また第二の人生では、「もう精神をすり減らす仕事は十分だ」と現場労働に近い選択をしたが、やはりいろんな意味で精神的プレッシャーは降り注いでいるという近況報告もあった。
我が退職者会は現職の労働組合の応援団でもある。何か力になれないものかと考えることも少なくない。
最低限、楽しい行事にお誘いしたりして「充実した人生」とまでは言えないが、ちょっとした休息の場ぐらいの働きはしていきたい。
思い起こすと私が第二の職場を退職してから10年以上が経った。
家族には、多忙を理由に「退職までは待って!」と祈ってきたおかげで、退職してから10日の間に子どもの結婚式を行い、その直後から実母の付きっ切りの本格的な介護が始まった。
電光石火何もかも老々介護バージョンに変更し、実母の介護から義母の介護にバトンタッチして、「趣味で豊かな老後生活」を知らないまま後期高齢者になると、自分の体のパーツが順番に不平不満をいうようになって今日に至っている。
別にその人生を恨んでもいない。老人ホーム家族会などという面白い経験も出来た。時間的に体が動けない分SNSなどもできるようになった。
「あるべき幸せの老後」などというワンパターンはない。「退職いろいろ」こそ真理であろう。
ただ老々介護渦中の人は、「世の中で自分ほど不幸なものはいない」と思い込んで人の話を聴けなくなることも多い。
症状もいろいろ、介護もいろいろ、青い鳥が自分の肩に止まっているのを普通は気付かない。
多くを望まない事こそ真理なのか?いやいや、まだまだ「いろいろ」とやりたいことも、、、空の上のOさん、どう思いますか。
返信削除ひげ親父さん、「まだまだいろいろやりたいことも」・・賛成です。
返信削除歳をとると親や配偶者の介護だとか、自分の病気とかで、時間的にも精神的にも制約が出てきます。その上にこれまではコロナパンデミックでしたから、気力ということでいえば、目の前に二つの道があるとすればともすれば易き道を選択しがちです。
「外的条件がこうだから仕方がない」と自分に言い聞かせれば(言い訳を考えつけば)一見安住でしょう。でも、残り少ない人生をそうしてしまえばそれだけのものでしょうね。
時間的、物理的に制約が増えてもブログは書けます。他のSNSもいろいろあります。文芸の可能性もいっぱいあります。夢は広がります。そして、継続は力です。