奈良・平城京の外京の東南隅・なので京終(きょうばて)ともいうが、その近くに紀寺(きでら)という地名があり、天智朝以前に飛鳥に建立されたという紀氏の氏寺・紀寺が平城京遷都で移ってきた寺・紀寺であるといわれる璉珹寺(れんじょうじ)がある。(歴史的な見解の相違は大いにあるが今回は触れない)
このお寺、1年に5月だけ拝観できるというので散歩がてら足を伸ばした。
庭中たくさんのニオイバンマツリが満開で、お寺は芳香に満ちていた。オオヤマレンゲは蕾が多かったが、上に向かって咲く珍しい種類の花が一部咲いていた。
圧倒的には坐像である阿弥陀如来が立像であるだけでも珍しいが、ここの仏さまは正真正銘の女性の裸形というのがすごい。
仏像というと金箔という常識?に反し、胡粉(ごふん)で白く塗られていたらしい(今ではほとんど落剝しているが)。
仏教は比較的平等思想が浸透していると思うが、人そして思想はどうしても「時代の制約」からは抜け出しにくい。
だから、古い経典に悩んで「女性は瞬間的に男性に変性してから浄土へ行ける」と説いた僧もその時代にあっては善意そのものだったことだろう。
しかし、この阿弥陀如来を見ると、そんな「時代の常識」を突き抜けて、女性が女性のまま浄土に行ける、仏に成れるという思想を具現化したものだろう。この仏像は男女同権の金字塔的仏像だと私は思う。
浅薄ながら、女性らしい観音像や薬師像は少なくないが普通には中性とされている。慈母観音、吉祥天、鬼子母神などはおられるが、失礼ながら「専門職」のイメージだ。
それに対して阿弥陀仏は総合職のトップ、浄土教では最高位の仏像で浄土へ導く「最高神」である。私が『突き抜けた』と感じた所以もそこにある。
別の角度から見ると、鎌倉時代の実力主義が女性差別を乗り越えていた一部分だったかもしれない。
なお、これも珍しいことだが、木像の仏像でありながら実際に袴を着けておられる。裸像だから当然だろう。
その袴は50年に1回取り替えられるが、昔はそれに合わせて50年に1回だけ拝観できるだけだったらしい。(今は1年に31日。5月に拝観)
また脇侍の仏像は修理の際に別の木材を使用したが為に重文であるが、奈良朝後期まで遡る可能性もあり、国宝級の美しさであった(明治期には国宝指定されていた)。
興味をお持ちなら、5月中でないと拝観できない。大きな観光寺院でない良さがいっぱいある。
このコメントを読んで妻が「そんなお寺だったの」と呟いた。お寺では盛んに紀貫之や紀有常の縁を語っていたのでその記憶が大きすぎたようだった。
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