2023年3月27日月曜日

廊下の奥に立ってゐた

   全く誉められたことではないが、私自身はこの町、京都府精華町の端っこに住い、どちらかというと生活圏も奈良県というような、まるで「はぐれ者」みたいな感覚で暮らしてきたが、それでは急に済まなくなってきた。

 昭和14年、庶民には未だ日中戦争も対岸の火事のように感じられていた頃、俳人渡辺白泉が【戦争が廊下の奥に立ってゐた】と詠んで翌年検挙された頃もかくや・・という不快感を感じている。

 理由は、京都府精華町には祝園(ほうその)弾薬庫があるが、岸田自公政権はここに『敵基地先制攻撃用長射程ミサイルを保管する』と言い出したからである。
 来年度予算で、陸自祝園分屯地(この弾薬庫の基地)、陸自大分分屯地(大分市)、海自大湊地方総監部(青森県むつ市)、海自地方総監部(呉市)で基地の地下化などの調査開始となった。

 余談ながら、このことについて先日『赤旗』が地図を付けて解説したが、祝園弾薬庫が京都府の北の方に印しされていたので即メールで意見を述べたところ、それも即「直ぐに訂正したい」と返事があった。・・ここは余談。
 
 プーチンの暴挙を見て岸田内閣は火事場泥棒的に「脅威だ」「敵基地先制攻撃能力だ」などと言い出したが、その言葉を裏返せば、わが街が相手側からの脅威となり先制攻撃目標になるということだから、弾薬庫から1.5キロほどしか離れていないわが家も他人ごとではなくなったわけである。

 軍事に関しては秘密主義が大手を振っているから判らないことだらけなのだが、いろんな傍証からは戦前の毒ガスが今もここの地中に埋設されている可能性も指摘されている。ということは、経年劣化で地下水汚染もないことはない。
 それに、1945年~1960年は、米軍管理下で極東米軍の「核兵器処理能力のある基地」と位置付けられていた事実もある。

 そもそもは、戦前、枚方・禁野火薬庫の大爆発事故の代替地として、当時の「田舎」のここに弾薬庫が造られたのだが、その「田舎」が今や学術研究都市になり、そういう都市のど真ん中に弾薬庫が鎮座している。

 私自身はゆっくりと古代史あたりを考えながら暮らしたいと思っているが、実に野暮な現代史も覆いかぶさってきた。ああ。

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