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2024年7月28日日曜日

マイナ強要はダメだ

   政府は医療機関や薬局に「マイナ保険証の支援金」をばらまき、国民(病院や薬局)をして国民(患者)に利用を強要させている。

 義姉の場合、長年病院通いをしていて病院の前の薬局で薬を貰ってきているが、今般薬局で、まるでマイナ保険証にしないと今後は保険適用しないかのように強い口調でマイナ保険証を強要されたという。
 患者の立場は弱いから、保険証のためにマイナンバーカードをつくろうかと義姉は語っている。私なら「従来の保険証でなぜダメか」と問いただすが、普通の庶民としてはそんなものである。
 
 個人情報保護の大義に反するマイナ保険証の不当性がそもそもあるが、それを医療機関や薬局をして、相対的に精神的に弱いと感じる患者に強要するというこのやり方は、戦時中に国民同士で監視させ密告させた卑怯で精神的に下劣な策と同じ匂いがして気分が悪い。

 安倍内閣以後、例えば没論理的な言葉の持て遊びで言語などの学問が歪められたように、今の自公政権の下では政治以前の犯してはならない倫理が崩壊しつつないか。
 そもそもマイナンバーカードの取得は個人の自由であるのだから、医療機関や薬局が患者に強要するのは立法趣旨に反して不当である。

 先日、ウインドウズ関連のシステム障害で例えば航空機の運航が全てとまったように、重要な教訓は「リスクは分散せよ」である。リスクや情報の集中は時代遅れで危険なのである。
 万博が実はカジノ政策の露払いであるように、国民総背番号は徴兵制の露払いである。「まさか」と思われる方とは賭けても好いが、賭けはよくないのでしない。
 こういうニュースに、「嫌な世の中になったもんだ」と思わないならそれは政権の撒き散らす毒素のせいだろう。

2024年2月19日月曜日

春咲きコンサート

   奈良県下で一番大きな会館・なら100年会館の大ホール、中ホール、小ホール、エントランス等々、要するにまるまる使用して第24回春咲きコンサートが開かれたので行ってきた。
 こんな大規模なイベントを、主として障がいのある子どもたちと家族たちが手づくりで24回(年)も積み上げてきたことには頭が下がった。もちろん幅広いサポートのお陰でもある。

 そして、コロナのためここ4年ほどは開催がなかったらしいから、コロナそのものと医療崩壊のこの4年は、当該子どもたちにとっては残酷な事態だった。他の分野でも同じようなことはあるだろう。
   さらに、この行事が、とりあえずは今回をもって一旦中止(休止?)となるという厳しい情報もあった。よくは知らないが、担い手がないようだ。
 この行事に限らず、この国では「請われたなら一差し舞う」余裕が消えつつあるということだろうか。詳細は知らないが寂しい話だ。

 孫の凜ちゃんは舞台上でもマイペースだったが、インタビューに脈絡なく「お肉!」と答えたのには吹き出した。
 写真はイメージで、凜ちゃんは写っていない。

2024年1月10日水曜日

ニュースバリュー

   ニュースバリューとは一般に事件の重大性のようにとらえられているが、冷静に眺めていると「大衆受け」という要素が大きいように思う。
 その上にメディアは、安倍派にしてもジャニーズ事務所にしても強い者には忖度してきたから、弱い者、少ない者の声は忘れられることが多い。

   その一つが発達障害の少年などの放課後デイサービスでの虐待や事故で、この秋に代表者らが逮捕された吹田市の施設では、少年を殴ったり床に叩きつけたり、さらには自閉症の中一生の送迎に正しく対応せず川で溺死させたりしていた。

 代表者らが特異であった例外的な事件と信じたいが、全国的には似た事故の件数は少なくない。
 それを「なぜか」と考えると、ひとつには、今の社会にあって「公共」という概念が大きく後退しているのではないかということに辿り着く。
 私設、私営が絶対だめだとは言わないが、根底に金儲けの思想をおいたのでは運営に魂が抜けてしまう。職員の労働条件も悪ければ質もなかなか良くならない。

 老人施設や保育園あるいは障害者施設も同じようなことが言えないか。
 なので、新年の抱負を考える時期になったが、日本に「公共」の精神を復活させる年にしたいと思う。
 100人死んだら大事件だが1人だけが「理不尽に殺され」てもニュースバリューがない。ほんとうにそうなのか。
 当人や家族にとって、事件の規模は関係なく悲しいだろうに。
 というメディアの「非常識」も問うていきたいものだ。

2023年3月24日金曜日

たつみコータロー挑む


   大阪府知事選挙(4月9日投開票)が23日に告示され、たつみコータロー氏が大阪の良心の代表として立った。

 私は「カジノでなく命・くらし・教育の充実」を実現しようとする氏に是非とも当選してほしいと願っている。

 いろんな課題があるが、私は「大阪にパブリック(公共)を立て直したい」という主張に共鳴している。

 かつて、私が勝手に師と仰いでいる故内山昻氏は「小さい政府は高くつく」と喝破されたが、維新による大阪府政は、マスコミを利用しての美辞麗句とは正反対に、大阪府民に高いツケを押しつけてきた。
 例えば、人口100万人あたり新型コロナ死者数累計NHK3月22日によると、
 🔳大阪府 959.8人
 🔳東京都 573.8人
と、大阪府は全国47都道府県中47位。ワースト1、最悪の府政・最悪の知事となっている。

 沖縄の米軍の出入国問題や、北海道の観光客流入問題、あるいは医療機関が不十分な地方の都道府県でなく、それらを超えて、財政規模や医療資源がトップクラスの大阪府を誰がこんな最低の地獄にした。

 保健所など府民のセーフティーネットを支える機関と公務員を大削減し、公的病院を統廃合し、福祉関係の助成金をバッサリ削った結果がこういうことを招いたのだ。
 よく政治の討論では「結果責任」などという言葉を聞くが、まさに維新政治にこそこの責任があることは明らかだ。

 政治によって救える命が救えない維新政治は、いくら「身を切る」などと美辞麗句を並べても、痛い目のツケは府民にツケ回しされるのだ。「小さな政府は高くつく」のだ。あした、そのツケで泣くのは私や私の家族かも知れない。

2022年8月23日火曜日

コロナ疲れと楽観論

   雑談のレベルではあるが、かかりつけ医の言うのには、「患者の様子を見ていると去年とは全く違って重症化していない。もう普通の風邪並の対応でいいのではないか」ということだったが、あくまでもこの医師の半径いくらかの範囲での実感の話。

 そういえば日本医師会や政府なども「人手がとられるから全数把握を止めようか」と言い始めているし、その辺りの影響があるかもしれない。

 私は、そのどちらも何か腑に落ちない。人手がとられるのは体制拡充をしないからだし、日本の新規感染者数は7月下旬から世界最多水準になっている。(まさか、不都合な統計の隠蔽???)
 かかりつけ医の実感を私の実感で返すなら、友人、知人の感染者は確実に増えている。故に、この状況を是とすれば、比較的軽症の壮年層が活発に動き回り、そのあおりを受けて病院や高齢者施設のクラスター発生が止められなくなりはしないか。

 確かに庶民は自粛疲れを感じていると思う。私もそうだ。しかし、もっと奥の方では銭勘定だけで「もう転進しよう」という声がマスコミを動かし始めていないだろうか。そんな疑心を払拭できない。
 感染した人を「自己責任だ」的に非難するのは全くよくないが、21日には岸田首相が感染したとのニュースがあった。その一方で統計も患者対応も縮小するというニュースは、ちょっと意図的な世論誘導だと思う。

 岩田健太郎医師は第6波の収束の場面で「その理由は解っていない」と発言されていたが、こういう言葉が一番正直な気がする。局面局面で一喜一憂せず、実態を正確に把握し、注意事項を発信し続けることが王道だと思うのだが。

 国葬などと寝言を言う暇があったら、医療現場に予算を投入すべきである。

2021年9月10日金曜日

基礎疾患あり

   大阪で10代の方が亡くなったと朝日新聞が報じているが、その袖見出しは「基礎疾患あり」というものだった。

 これは「だから、基礎疾患のある方は注意してください」というご忠告だろうか。
 それよりも思うに「亡くなったのは基礎疾患のせいかも」という印象を受けた読者が多いのではないだろうか。

 この個別事案そのものについては私は全く存じ上げないので、評価というか判断めいたことは言う気がない。
 ただ一般論になるが、「基礎疾患あり」という付記が、どちらかというと新型コロナ肺炎の危険性を誤解させ、死亡や重症患者に「自己責任」という濡れ衣を着させないかと心配する。

 私はかつて過労死の労災認定の仕事をしていたことがあるので、少し意見を述べさせていただきたい。例えば、医師等医療従事者がコロナ肺炎患者と接触する中で自身も感染し、その医師等医療従事者に基礎疾患があった場合の労災認定とイメージしていただくと分かりやすい。
 業務(医療行為)によって感染したものであるから労災か、それとも基礎疾患の増悪若しくは競合によるもので私病(一般的には健保と厚生年金等)かということだ。

 そもそも人間(この場合は医師等医療従事者)が全く健康で一切の基礎疾患と無縁であるのは稀有なことであるが、それでも普通に働いているのが(それこそ)普通である。もし基礎疾患があったことが労災認定の決定的な判断基準であれば、いわゆる過労死事案などはほとんどが門前払いになるだろう。

 こういう場合労災認定では、「発症又は増悪の経緯若しくは病態が、当該基礎疾患又は既存疾病の自然経過や他の原因によるものとは明らかに異なり、基礎疾患又は既存疾病の自然経過を超えて発症し又は著明に増悪したと医学的に認め得る場合には、相当因果関係が認められるものとして、業務上疾病として取り扱われる」とされている。
 こうして、肥満、高血圧、高脂血症などの基礎疾患があっても、多くの場合は労災認定されることがあるのである。

 さて、現下の社会問題としては、特に大阪では行政の怠慢による医療崩壊が続いている。「自宅療養」などという言葉は戦時中の「転戦」同様の言葉で、本質は入院拒絶された患者である。
 よって、「基礎疾患あり」というような見出しやコメントが、そういう大阪の行政責任を薄め、ともすれば感染者を自己責任論に閉じ込めはしないかと心配している。

2020年7月15日水曜日

病院経営危機

 医療崩壊は医療現場の経営危機からも起きている。
 看護師などの夏のボーナスを前年より引き下げた医療機関が、約3割にのぼっているらしい。
 医労連(日本医療労働組合連合会)によると、全国338の医療機関のうち、およそ3割にあたる115の医療機関が、看護師などの、この夏のボーナスを前年夏より引き下げたという。
 新聞テレビでも報じられた東京女子医科大学病院は、全職員の夏のボーナスを全額カットするとしていて、退職を希望している看護師は400人以上にのぼるという。

 私はと言うと、5月の連休直後に予約済みであった人間ドッグがコロナで延期され、昨日ようやく受診してきた。当自治体内では一番大きな総合病院だ。
 しかしそこは、見事にガラガラだった。ええ~ッ!という感じだった。
 想像するに、健診だけでなく多くのオペなどが「間引き」されているようだったし、例えば2週間に1回通院していたケースが1月に1回になったり、患者の方も受診を避けたりしている結果だろう。
 病院の方も、例えば私宛の人間ドッグで「咳のある場合はお断り」と注意が送られてきた。
 ということで、一般庶民の私にも医療機関経営危機がひしひしと感じられた一日だった。

 別件だが、障害のある孫のリハビリテーション(理学療法PT、作業療法OT、言語聴覚療法STなど)の病院も診療が縮小され、孫は他府県の病院へ変わることになった。私事ではあるが結構な大事件だ。
 一番基本の診療を受けていた大学病院は、一時受診停止になっていて、薬も「来院するな」ということで、薬剤は処方箋がファックスで送られてきて薬局で対応している。
 今年の孫は緊急入院のような事態が生じていないのでどうにか推移しているが、ギリギリ綱渡りのような状況だ。

 私も被害者だ被害者だなどと言いたくはないが、テレビで報じられている世間は他人事(ひとごと)ではないということを痛感している。(腹の底ではけっこう泣いて怒っている)

 このように、多くの医療機関が新型コロナウイルスの影響で経営が悪化している。それは医療崩壊前夜の様相を示している。
 それに対して政府は、医療体制は逼迫していないとして、Go Toキャンペーンに1.7兆円、さらにはF35戦闘機105機に2.5兆円費消するという。
 予算の使い道が根本的に間違っている。よくない。よくない。

   大砲よりバターの標語のリアリティ

2019年11月6日水曜日

軍事費を削って福祉に

   療育園の運動会があった。
 幼稚園等の運動会などで〇〇m競争の最後に先生の手助けを受けて走る子を見たことがあると思うが、”全員がそういう子供たちの運動会”を想像できるだろうか。

 職種がどういうものか不案内だが、先生たちの重労働はすさまじい感じがする。
 子ども一人に先生一人でも足らないのではないかと想像するぐらいだ。
 そして不思議なことはこういう施設のほとんどすべてが公立でないということだ。
 公設でも福祉法人等民間に委託されている。
 
 もう少し歳がいくと特別支援学校になるが、通常の小学校等には定められている設置基準が特別支援学校にはない。
 ということは劣悪な水準が放置されているということだ。「基準」というのはセーフティーネットなのに。
 ジャパンアズナンバーワンなどという動物並みの価値基準?を謳歌?してきた国のエピローグがこれなのだろうか。
 さすが文科大臣が「身の丈に合った教育で我慢しろ」と言った国だけのことがある。

 幼稚園等の運動会などで〇〇m競争の最後に先生の手助けを受けて走る子には大きな拍手があるものだが、ここにはそんな甘い拍手はない。みんなが皆五十歩百歩なのである。
 それでも重い子には文句なく暖かい拍手と応援の声が出る。

2019年11月4日月曜日

ワインカップ

   スカーレットとは色の名前の一つで「炎の色」とも称されているから朝ドラのタイトルもそういうことなのだろう。
 朝ドラでは主人公がまだ信楽焼の世界に入っていないが、今後、それまでは「男の世界」とされていた陶芸家に育っていくらしい。朝ドラの世界では珍しくもない女性のサクセスストーリーだが、時間が合えば適当に観ている。

 信楽は、車で行くとわが家からすぐ近くというほどでもないがそう遠くもない。
 結構好きなものでよく遊びに行っていたこともある。
 今までで一番高い信楽焼の買い物はアルグランの『湯浴みするヴィーナス』の信楽焼で、今も玄関の外に建ててある。
 「ここはちょっと変わった家で気を付けよう」という魔除けというか泥棒除けにもなっている。
 そんなもので、信楽に行くとなにがしかの陶器を買って帰るので、妻には信楽にはそうそう行かないようにと釘を刺されている。

 陶器と磁器でいえば磁器の方が軽くて丈夫である。だがしかし、理屈抜きで陶器には魅かれる何かがある。相性の問題でもあるから何とも言えないが私は陶器が好きである。

 東大寺福祉事業団のチャリティー作品展に行ってきた。
 毎年、何人かの陶芸家が提供されていてなにがしかの協力をしているが、今年気に入ったものは安いものだが陶器のワインカップで、夕飯時に早速使用して満足を覚えている。
 陶器はガラスや磁器に比べて熱伝導率が悪いから何時までも冷たくって、これっていいかもしれない。

 チャリティー展は東大寺の回廊であった。チャリティー品のメーンは東大寺の長老その他のお坊さんたちの書画や色紙等だが、気に入ったようなものは10万円を超えるから、年金生活者には手が出ない。ほんとうは購入したかった。
 どういうわけか海外のツアーが興味深そうに入って来た。
 最初はただの展覧会だと思っていたようだが、購入できると知ったら数万円の額入りの色紙をポンと買っていた。
 すばらしい土産になるのは間違いないが、その気っぷの好さに少し驚いた。
 日本が「海外と比べた場合に、異常に物価の安い国」になっているらしいことを実感した。実収入が減り続けている日本人には関係ないが。