目的もなくうろうろするのは×(バツ)だろうか。
冬を通り抜けた感のある木の芽どきは、用もなく出かけてみたい衝動に駆られる。
厚労相などの相という字には助けるという意味がある・・というのは半藤一利氏の『歴史と人生』(幻冬舎新書)から学んだ。
そして、平凡社の白川静常用字解では・・、盛んに生い茂った木の姿を見ることは樹木の盛んな生命力をそれを見る者に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので「たすける」の意味となる。
助けるというのは樹木の生命力と人の生命力との間に関係が生まれたことであるから「たがいにする。たがいに。あい」の意味となる。
助けるというのは樹木の生命力と人の生命力との間に関係が生まれたことであるから「たがいにする。たがいに。あい」の意味となる。
また「すがた。かたち」の意味にも用いる。
見ることは人の生命力を盛んにするという魂振りの力があると考えられたのである。
(中略) 万葉集にも「見れど飽かぬ」「見れど飽かぬかも」「~見ゆ」という形式の歌が多いが、みな同じ魂振りの観念である。そのような思いで想うことを想という・・とあった。
とまれ、木の芽どきの木々は人間に生命力を与えてくれているのだ。
そんなときに、顔をあげることなく日々を暮らしていると病気になる。
この頃は寄るとしばしば病の話で盛り上がる?
検査値や薬の話題でなく木の芽どきの美しさについて語ろうと思う。
魂振りの観念に酔うのも一興だ。
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