2023年3月16日木曜日

北帰行シロハラ

   北帰行という歌がある。私などは小林旭の歌として知っている。その歌詞は次のとおりである。

1 窓は夜露に濡れて
  都すでに遠のく
  北へ帰る旅人ひとり
  涙流れてやまず
 
2 夢はむなしく消えて
  今日も闇をさすろう
  遠き想いはかなき希望(のぞみ)
  恩愛我を去りぬ
 
3 今は黙して行かん
  なにをまた語るべき
  さらば祖国愛しき人よ
  明日はいずこの町か
  明日はいずこの町か

 この歌の原歌は、旧制旅順高等学校の愛唱歌(広義の寮歌)で、戦後うたごえ運動を通じて全国の歌声喫茶に広まり1961年(昭和36年)に歌謡曲としてヒットした。
 原歌の作詞作曲者は宇田博、旅順高等学校 1回生、1922 - 199589日)。
 1940年(昭和15年)、開校したばかりの旧制旅順高等学校には、入学した宇田が望んだようなバンカラで自由な校風は存在せず、1941年(昭和16年)5月、宇田は女の子とデートして戻ったところを教官に見つかり、"性行不良"で退学処分となった。
 
その際、彼が同校への訣別の歌として友人たちに遺した歌が、この『北帰行』である。
 故に、単なる流浪の歌ではなく、自由への解放を歌い上げたものとされているが、歌謡曲ではそこまで伝わっては来ないが、ちょうど青春真っ只中の私には共鳴するものがあった。
 
 そうして、冬鳥が北へ帰るこの時期になると、毎年この歌を思い出すのだった。
 写真は北帰行間近の大型ツグミ類のシロハラ。
 鳥インフルエンザなどに負けずに来シーズンもやって来いよ!

4 件のコメント:

  1. 北帰行の言葉で想いだしたことがある。「北の国から」で有名すぎる倉本聰氏だ。だいぶん前NHK大河ドラマ「勝海舟」の脚本・演出を手掛けていた。詳細は知らないが、制作の過程でNHK制作部局とトラブった。ドラマ途中であったが、お互いの意見が対立したまま、局を出て、その足で倉本氏は飛行機に乗って新千歳へ向かったと言った。「徹子の部屋」だったか? そのたぐいのトーク番組で、その経過を知った。倉本氏が突然ひらめいたように「負けたら何故北へ向かうんだろう? 敗北と言うじゃないか」と。インターネットの語源由来辞典を調べると、方角ではない、負けたら背中を見せて去っていく・・・背の字の北が語源であるなどとが書いてあったが、私は負けたら肩を落として温かいところではなく寒い北国が似合っていると想う。 孤高岳人

    返信削除
  2.  楽しいコメンとありがとうございます。元々北という字は背中合わせの二人の形ですが、方角の北となったのは「王は南面する」から、王の背中は北ということでしょう。白川静の受け売りです。

    返信削除
  3. 「王は南面する」知りませんでした。一つ賢くなりました。

    返信削除
  4.  天子南面の思想は古代中国の陰陽道からきていると思います。陰陽道では北極星(北辰)が宇宙の中心で天帝です。地上の皇帝=王はその代理ですから南面するわけです。平城宮、難波宮、平安宮などの大極殿もそのように造られています。京都でいえば南面した帝の左。つまり東側が左京区で、一般的な地図の感覚と反対になっているわけです。

    返信削除