2025年9月26日金曜日

則ち罔し

    子曰、学而不思則罔、思而不学則殆〈子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)〉との言葉がある。一般に「思わざれば」は「自分自身で考えなければ」の意と解されている。異議はない。
 ただ昨今の情報化社会の中で私のような凡人は、その「考える」の中に、「共感」と言ってしまえば軽くなるが、「感じる」ことがとても大切ではないかと自分自身振り返って感じている。
 例えばガザ。ガザの庶民が地獄の苦しみにあるという情報、それがアメリカの支持するイスラエルのネタニヤフ政権による軍事侵攻の結果であるという事実などについては多くの日本国民は知っているし、イスラエルは侵攻を止めよと考えている。と思う。
 ただその「地獄の苦しみ」を多くの日本国民は、自分の家族や友人と同様程度に≪感じて≫いるだろうかと思ったりしている。
 ウクライナもある、ウイグルもある、アメリカ国内の弾圧もある。そのすべてに「共感」していたら精神が持たないという反論もあるだろう。
 だが現在、少なくない日本国民に欠けているのは学んだ情報の中の理性や正義感に素朴に感じる感情ではないかと思ったりする。どうだろう。

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