2025年9月12日金曜日

島の山古墳の出土品

    9月10日にゴホウラ貝とイモ貝の実物(写真)を掲載したが、その加工品あるいは石で模造したものが、鍬形石(くわがたいし)、車輪石(しゃりんせき)、石釧 (いしくしろ)である。
 釧は腕輪であるから名は体を表しているかもしれないが、鍬や車輪は昔(江戸時代?)の人が「鍬や車輪みたいだ」と付けた名前なので体は表してはいない。
 10日に書いた島の山古墳は、古墳の主体部の後円部ではない前方部の、しかも被葬者の粘土槨の内部ではない上部(外側)に、鍬形石21、車輪石80、石釧31が敷かれたように埋納されていた。発掘前に掘り出されていたこともあり、実際はさらに多かった可能性が大きい。
 これらの石製品の計式年から古墳の築造時期は4世紀後半と考えられている。
 それに比して粘土槨内の副葬品は、鏡が2面、白粉・眉墨・口紅という石製合子計3個、ネックレス等と思われる管玉、丸玉という質素なものであった。
 さて島の山古墳の位置であるが、大豪族葛城氏の墓域と考えられる馬見古墳群の北群の約2キロメートル東端で、馬見古墳群の内か外か微妙な位置にある。
 大きさは全長約200ⅿだから大古墳といえる。
 前方後円墳は約5,200基といわれているが、全長200mを超える大古墳は30数基である。
 後円部には竪穴式石室があるが盗掘されている。造出し等からは形象埴輪が発掘されている。
 以上のことから、前方部の被葬者は生前はあまり地位の高くなかった女性であるが、葬送儀礼(告別式)を執り行った者(喪主)は大実力者であったということになる。
 というところで、被葬者の探求は後日とする。
 写真は、島の山古墳前方部から出土した、鍬形石、車輪石、石釧、そして出土状況。















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