要するに、何か探し物のような目的があって読んでいるわけでもなく、一種の時間つぶしみたいなものなのだが、そんな中に「ナルホドそうだったのか」というものを見つけると嬉しくなる。
そんな一つが、(丸括弧)には「。」をどこにつけるべきか・・という箇所で、私の場合は「鍵括弧」だったが、少しばかりモヤモヤが解消した。
私のモヤモヤを先に言うと、新聞の編集ではだいたい1段を9字か11字で割り付けるのだが、こんな少ない文字数の中で話し言葉の終了ということで 。 を付けた上で、直接話法の終了ということで 」 を付けたり、さらにその小節の終わりで 。 を付けたりすると非常に間延びする。
そんなことで、 」 の前の 。 は原則として省いてきているのだが、これはいったい正しいのかどうかという疑問が常にあった。
その疑問の根拠は約70年前に示された「公用文作成の要領」が頭の底にあったからであるが、今回知ったのは、令和4年に「公用文作成の考え方(建議)」が建議され、そこでは、主として丸括弧のことではあるが、【文末に括弧がある場合、それが部分的な注釈であれば閉じた括弧の後に句点を打つ。二つ以上の文、又は、文章全体の注釈であれば、最後の文と括弧の間に句点を打つ。】とあることだった。
さらには、【なお、一般の社会生活においては、括弧内の句点を省略することが多い。】ともあった。
2月11日の『日本語の一側面』でも書いたが、日本語には例外が多いというか「原則」なるものに固執すると、返って伝え辛くなる。
この歳になって、こんな小学生みたいな「日本語の書き方について」悩んでいるが、ほんの少しだけ理解が進んだ。
ラジオでは年寄りが「何を言うか。日本語には日本語のルールというものがあるのじゃ!」と叫んでいた。
で、私はというと、全面的ではないが若い者の新しい感性を認める派である。
文章の基本が文語体であった時代から、日本語も多くが横書きになった時代、文章を紙以外にデジタル機器で読む時代、・・日本語は成長?変化してきたし変化しつつあるのである。
私のこのブログ記事にしても、パソコンやスマホで読む場合、A4横書き40字で「べた書き」すると何となく読み辛いという印象を受けた。
なので、これまでの日本語の「原則」にはない、『一行空け』をけっこう頻繁に使用している。
何年か後には、「公用文は。で終わること。私的な文章は絵文字でもって区切るのが相応しい」となるかどうか。
もう曾孫と話すことはないだろうが、「ひい祖父ちゃんは、こんな読みにくい文章を書いてたん!」と驚かれる時代が来るかもね。
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