お正月の間だけ、一瞬、床の間が本来のあるべき姿に戻った。
ああ、これもいいものだ。しみじみ。
普段はというと、凜ちゃんの玩具や衣類等の置き場になっている。凜ちゃんはわが大ファミリーの宝だからそれでいい。
床の間がお正月バージョンになったので、ついでにわが家のお正月を紹介しておこう。歳もいったので相当手を抜いているが、無理のない範囲でしきたりの伝承に努めた次第。
玄関には普通に注連縄を吊るした。これは邪悪な者の侵入を阻止する結界である。
門柱には松を立てた。これは歳神さまの依代。
今年の初仕事は義母のもとに行き、「お正月やで」と起こして朝食介護。
それにしても、めでたいとか寝正月だとか言っている世間から忘れられたように365日施設で働き続ける介護職員には頭が下がる。今年もお世話になります。
帰ってきたら夏ちゃんファミリーがやってきた。
そして第一番の行事は大福茶。梅干しの入った煎茶で気分をシャキンとする。
祝い膳を出すのは省略し、半月に裏白を敷いて、お椀とお皿は家紋入りの塗りの椀を出した。
祝箸、箸紙は手作りのものを名前入りで使用した。
お屠蘇はお酒で、趣味で集めたお猪口の中から七福神などめでたいものを使用した。
年頭のあいさつは息子が行い、私が「正月来たら」を歌った。
お雑煮は大阪船場のお雑煮を大和風にアレンジした。
お節は基本を購入し、若干プラスした。
ただそれだけだが、みんな満足してくれた。よい元日だった。
〽 正月来たら 何うれし
碁石みたいな 餅(あも)食べて
割木みたいな 魚(とと)すえて
お炬燵(こた)に入って ねんねこしょ
告朔の餼羊教えし先輩の顔思いつつ正月過ごす
それにしても、終活年賀状が目につきます。
返信削除ほんとうにしんどくなられたのだろうなあと想像させられる葉書もありますが・・・
義理や形式だけの虚飾の人生から自由とホンネの人生にギアチェンジされたのでしょうか。
それとも、終活年賀状という世論(ブーム)のなせる業でしょうか。
「正月来たら」の歌ですが、多くの文献には「お雪みたいなママ食べて」があり、「お正月ぐらいにしか白米が食べられなかった」的な解説がありますが、わが家では「正月には基本的にはご飯を食べずにお餅を食べる」ので、そのようには歌いません。
返信削除「割木みたいな魚」は一般的には棒鱈だろうと言われていますが、塩鰯との説もあります。私は「睨み鯛」ではないかと思い、長谷川幸延著「大阪歳時記」の「据えて」を採りました。「添えて」というのも多くあります。
もっと単純に「ごまめ」のことで、「魚(とと)食べて」の可能性も高いと思います。実母は生前「魚(とと)食べて」でした。来年は「ごまめ説」に戻そうかな。