2019年1月6日日曜日

昭和は遠く

   降る雪や昭和は遠くなりにけり…5日付け朝日新聞の「サザエさんをさがして」である。
 そもそもこの企画はサザエさんに描かれた時代や世相を振り返る企画だから、著者大村美香氏が冒頭「お恥ずかしながらこの作品を最初に見た時、4コマ目の意味が分からなかった。ちんもち?」と書きだしたことに何の問題もない。なにしろ1957年暮れの作品である。

 ただ、話を続けてよりにもよって明治30年ごろの「東京風俗志」を引いて「中には4,5人でせいろ、きね、臼など一切の道具を担いで町を回り、、家の前で餅をつく商売もあったのだという」となると、それを知っている私などはオイオイ明治男か!と浦島太郎的気分になる。

 何回かこのブログで書いてきたが、私が餅つきを実際にし始めたのは結婚してからである。妻の実家にその風習があり道具もあったからである。その道具一式は今はわが家が引き継いだ。
 それまでは、どちらかというと町中(まちなか)の人であったわが家(長谷やん)にはもう道具も風習もなかった。餅は餅屋で買うものだった。
 それでも『賃つき』は知っていた。近所で賃つきをする家は羨ましかった。(最小限の餅を買って済ますよりは物入りだった)
 中学生のときはガタイのいいやんちゃ坊主は賃つきのアルバイトをしていた。それも自分に比べて大人やなあと小さなショックを受けていた。
 大村美香さん、明治の話でなく、1960年代の堺の街の中心部でも賃つきはあったのです。

 記事にある昨年4月の既婚女性千人の調査結果によると、鏡餅を飾った人は、20,30代では20%未満らしい。
 そして、床の間どころか畳のない家も増えている。テレビも薄型になり…と文章が続いて、…そういえば、テレビの上がこういう行事の床の間代わりの時代があったなと一人肯いた。すべて昭和の匂いのする話題である。

 かくいう私も、鏡餅はプラスチック製である。その中から個装された小餅が出てくるこいつは優れモノだと思っている。
 ホンマモノの昭和人からは叱られそうだが、都会ではそんなことを言う人ももういないだろう。
 それでも鏡餅は飾っている。

   底あけて鏡開きは始まりぬ

2 件のコメント:

  1. 我家は岡山の農家の人から分けて貰った餅米を28日に餅つき機で作っています。鏡餅は床の間(正月だけの、普段は物置き場)と仏壇、(子供が居た時は小さい鏡餅を勉強机に置いていましたが)4日には切り分けています。それでも餅が硬くなり切り分けは大変苦労しています。孫たちの一番の人気は小豆入りの小餅です。

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  2.  遠くない神社には氏子からの鏡餅が幾つも供えられています。鏡餅の原型を見るようです。
     スノウさん家の鏡餅も本格的なように思われ「さすがに」と感服しています。
     現代社会の中で年中行事や行事食にどれだけの意味があるねん?と聞かれれば「それを言っちゃあお終いよ!」としか言いようがありません。
     が、ハロウィンだとかボジョレーヌーボーだとかクリスマスケーキだとかいう前に、鏡餅ぐらい飾ればいいじゃあないでしょうか。20%未満は哀しいですね。

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