ソフトの面から1.17を振り返ると、いろんな場面でやはり”人”だと思うことがある。
消防署員の数とノウハウ、医療従事者の数とノウハウなどである。
さらには食料、飲料、救助物資の配布、罹災証明やボランティアの配置等々、その基幹には地元の公務員があたることになる。
ところが1.17以後、政府は地方自治体を効率という物差しで大合併させ、自治体を住民から遠ざけ、人と福祉予算を削ってきた。
その後の全国の災害で神戸市の救援隊の活躍が目覚ましいのは、最新機器であるかどうかということとは別に、経験、ノウハウの蓄積、反省や教訓があるからだと言われている。
反語的にいうと全国の自治体のその面での体力は低下している。
同じようなことは企業の労働災害防止施策でも言われることだが、リストラなどでイの一番にこういう部門が減らされると、マニュアルにはない経験やある意味では”感”のような”文化”が途絶えるということがある。
有名な大企業での初歩的なミスによる大事故(死亡災害)などを見ているとそういう指摘が大いに肯ける。
いろんな事件や事故が起こるとテレビでは「自治体は何をしていた」と正義面して説教をする。
しかし、「身を切る改革」などというインチキ極まりない標語を肯定し、自治体職員の数を減らせ、予算を減らせ、官から民へなどという動きを先頭に立って囃し立ててきたのはマスコミではなかったのか。
来年は1.17以後四半世紀となる。
マスコミも頭を冷やして行政や地方自治を語るべきではないか。
灘区六甲道で有名だった「洋食の店もなみ」は阪神淡路大震災で全壊し、「もうやめよう」と思ったオーナーに対し常連客らが後押しして大阪の空堀(からほり)どおりで再開し今も行列が出来ています。
返信削除朝一番11時に入ったときたまたま空いていてオーナーと世間話をしたとき、「神戸も綺麗になった」と私が言うとオーナーは「私には莫大な借金(ローン)の山に見える」としんみりとされました。
上っ面だけ見て「もう復興した」なんて思ったらいけませんね。反省です。
母と姉が、震災の2年位前まで 灘区の六甲道駅の近くの八幡宮のそばに住んで居たので 何度も遊びに行きました。テレビドラマ?で 六甲道を見て、楽しかった事、八幡宮にお詣りした事、美味しかったお好み焼き屋さんの事、可愛い子供服店の事等を思い出し 懐かしいけど寂しい気持ちになり 本当に月日の早さと 震災の怖さを 感じました。今年は 平穏な年であります様に。
返信削除八幡宮ではなく 六甲八幡神社の間違いと思います。
返信削除ミリオンさん、震災の2年ぐらい前までとは・・・、反対に”移り住んですぐに”という方々もおられたことでしょう。運命というか世の不条理を思うことがあります。正しい行いをしていた人が必ずしも災難に遭わないということはないのだと。
返信削除それでもやけっぱちにならずに真面目に生きるしかないと自分に言い聞かせています。
コメントありがとうございました。
先日は大阪湾に危険な活断層が見つかったと報じられていました。東南海地震と併せて大阪湾の津波対策は重要です。
返信削除私たちの小学校や中学校は東北大震災でいえば海沿いにありました。よくもその時代に津波がなかったものです。
思い起こすと私の家も庭を掘ったら下の方は砂地でした。