昨年12月6日の『再び大嘗祭について』で私は「日本国憲法は(神話)の側面を持つ天皇制を残しながらも近代国家の諸原則を導入した。なので、そういう矛盾を常識的・理性的に解決する能力がわれわれ現代人に課せられている」と書き、「大嘗祭は国家的行事でなく皇室内の宗教行事として”身の丈に合った規模の行事にしたい”と言った秋篠宮(天皇・皇太子も同意見と推測)の意見を首肯する」と書いた。
そのように書いた以上、『剣璽等承継の儀』についても一言言わなければならないだろう。”神話に基づく行事は皇室内で行うべきだ”と。
儀式そのものは変に禍禍(まがまが)しいものではないだろうが、国家的行事でありながら女性皇族は陪席を認めないというのは如何なものだろう。
皇室典範第1条が男系男子の皇位継承を定めているからというだけで思考停止してよいのだろうか。
男女平等という憲法理念と皇室典範の矛盾を解決しようという常識や理性はないのか。
女性皇族が陪席してどんな問題が起こるという?
それを嫌がるのは明治憲法の復活を企図する人々で、安倍晋三首相はその旗頭といえよう。
つまり”まあ自分には関係ないこと”とこういう問題をスルーするのは、現憲法の民主的条項の改廃を狙う面々をスルーすることと一致するように思う。
代替わりの行事の議論ではよく「伝統を踏まえて」という修飾がつくが、これも”あっそうですか”では済まない気がしている。
その場合の”伝統”というのは主として現憲法以前の明治憲法下の数回の経験である。何が伝統ですか?
そんなことを言えば、女性には参政権すら認められていなかった。明治天皇の時代にも大正天皇の時代にも堂々たる側室制度が皇室には存在していた。
そういう前近代的な諸矛盾も”伝統”という言葉で容認するのですか? それは思考停止だろう。
西本願寺の龍谷ミュージアムの前館長は「歴史といえば代々の天皇家は仏教徒であった」とまことに当然の指摘をされている。
四天王寺や法隆寺は聖徳太子が建立し、東大寺は聖武天皇が建立した。
平安以降は事実上仏教こそが”国教”となり、宮中には「お黒戸」と呼ばれる”仏壇”があり、仏像とともに歴代天皇皇后の位牌が祀られていた。
京の文化は仏教文化そのものである。違いますか?
天皇皇后の墓所も多くは寺に作られた。
明治4年に廃仏毀釈で位牌等それらは泉涌寺に移された。
澄んだ眼で歴史を見れば、明治4年以降、大正、そして昭和前半の時期こそが歴史の中のあだ花であることがわかる。
ほんとうに”伝統”を大切にするというなら、おかしいではないだろうか。
江戸時代の形式に戻せというようなことを言うのではないが、歴史上あだ花の一時期をとって”伝統”なることばで思考停止することは止めよう。
民主憲法と天皇制という矛盾は否が応でも全国民の肩に乗っかっているのである。
おかしいことはおかしいと言いたい。
ソーシャルは短文では解けぬSNS
このブログの後、朝日新聞も社説で同様の趣旨の主張をしている。
返信削除残念ながらわが読者の皆さんには興味がなさそうだ。