もう去年のことになってしまったが、12月31日の朝日新聞「天声人語」は作家津村記久子氏のエッセーについてであった。
要約すれば、津村氏曰く「大晦日は(楽しい)。(正月は)たかが新しい年になるだけだが、それでも、待つことそのものを味わうのだ」という。
ピッタシではないが、わかるわかる!と何となく気持ちが共鳴する。
もっと言えば、ダンドリ君の気分とも微かに触れ合う気がする。
この頃私は、大イベントの当日よりも、ダンドリしているときの方が楽しんでいる気味がある。
みんな楽しんでくれるだろうか! スベッテしまって白い目で見られないだろうか! 等々と悩みながらダンドリする。
人はそれぞれ嗜好も異なるから、万人が喜んでくれることは少ない。いや、まったくない。
だからといって、誰もが挑戦をせず先例どおりのイベント進行では魂が籠もらないと思う。
1月2日の朝「よし、今日は花園に行くか」と一念発起して検索したら高校ラグビーは休養日のようだった。でテレビで大学ラグビー(天理対帝京)を見るかと思っていたら、息子が写真の本を持ってきた。
単なるハウツーものではない。天理には敗れたが、監督の問題提起には大いに共感する。
民主運動も体育会的とは言わないけれど、正しいことを正しいのだと語るだけでは勝てる組織(強い組織)にはならない。
そのためには、まずリーダーが変わらなければ・・と言う思いで読んでいった。
リーダーは演出家で「おもしろおかしく」というのもいい。
年寄の立居振舞は難しい。
さて、2019年、どのようにダンドリし立居振舞うか。
挑戦には終わりはない。…と思うのだが・・・・・・
楽しみは晦日にありと津村女史
自分だけが歳をとったように思うが、息子も中間管理職的な悩みにぶつかっているのだろうか。
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