2019年1月19日土曜日

善き思い、善き言葉、善き行い

 18日に映画ボヘミアンラプソディーを観たことを書いたが、私がこの映画の中で刺激を受けたのは、ロックのことでもクイーンのことでもLGBTのことでもなく、ゾロアスター教のことだった。
 フレディの父はその教えに基づき「善き思い、善き言葉、善き行い」を子に諭すのだが、・・・そしてクイーンがチャリティ大イベントに出場する最終場面で父子は和解する。

敦煌莫高窟の祆教の女神像
   「へ~、ゾロアスター教は歴史的遺産ではなく現代イギリス(といっても彼らはある種移民だが)に生きている宗教だったのだ」と少し驚いた。
 ゾロアスター教というと高校時代の先生がその神アラアラマツダ(アフラ・マズダ)について熱く語っていたのを鮮明に覚えている。「火の神、光の神アラアラマツダに由来してマツダ電球というのだ」などなどなど。

 そしてそのず~っと後、飛鳥の古代史に興味を持ったとき、松本清張が謎の諸石造物は拝火教(ゾロアスター教)の遺物であるという論を小説等の形を借りながら主張したことを知った。
 実際、驚くほど多くの渡来人によって古代文化が形成されたことはいうまでもないし、その文化の中に(中国の)中原まで来ていた西方の文化(祆教もその一つ)が含まれていなかったと考える方が不自然であるから、結論は別にして、松本清張の問題提起は今も輝きを失っていないと私は思っている。 

   横道にそれるが、ゾロアスター教の開祖ザラスシュトラ(紀元前1110世紀)の英語読みがゾロアスターでドイツ語読みはツァラトゥストラである。
 有名なニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』はキリスト教以前の素直な宗教心というか哲学で17世紀以後の歴史を見つめ直し19世紀の諸問題を分析し未来の心の在り方を問うたものだと思うが、「素直な哲学」をどうしてツァラトゥストラという名の人物に語らせたのだろうか。

 迷い道に入り込みそうな怖さがあるが、維新政治を強力に批判している適菜収氏の『ニーチェの警鐘』を書架から引っ張り出して読み直している。
 はた迷惑な映画だったが、こんな風に連想ゲームのように本を読んだり考えをめぐらすのは非常に楽しい。
 適菜収訳ニーチェ『アンチクリスト』の現代語訳も併行して読み直している。

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