その種の旧暦の雰囲気を全く投げ捨てたような現代日本だが、例えば時計の文字盤のてっぺんは相変わらず12のままだ。
現職の頃、案内文書を書くのに、昼の12時半は午前12時30分だろうか午後12時30分だろうかと迷ったことがある。これが午後0時30分なら一切の誤解は生じないのに。
ほんとうにてっぺんが0の表示の時計を誰か作らないものか。日本が世界に先駆けて打ち出せばいいのにと思っていたら、新聞等のテレビラジオ欄の深夜放送の番組が24時間をベースにして、25時、27時、・・などと表示されているのがあって、ナルホドこれも解りやすい知恵だと感心した。
ちなみに、明治5年太政官達(たっし)では、午前0時は即午後12時とあるが、午後は0時の規定がなく1時から始まっているようにも見えて、ならば昼の12時半は、午前12時30分とも見える。
このように昼のそれを午前12時30分と呼ぶのは時刻という大切な概念に混乱を与えるが、例えば解散権について、立法趣旨を考えずに「法律に書いてないから首相の特権だ」というのと同じである。
そういうのは、いささか農業従事者を軽蔑する言い方だが、俗に「法律の百姓読み」という。はっきり言えば「詭弁」である。そういう首相を戴くことは法治国家としてよくない。
その人が言う! 「私が信任されたら国論を分つ政治を強行する」と。OH ‼
ナチスの全権委任法だ。
そういうのは年の瀬ではなく、世も末という。

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