そのことでお金が儲かることもないし資格が与えられたり何か進級することもないので、社会的地位やスキルのような承認欲求とも縁遠いが、少しばかり心が豊かになるような気だけはする。
人生の第四コーナーで悔やんでいるわけでもなく、こんなものだと老人顔するのも嫌なので、生きているうちは青春だと思うことにしたい。
今年初めての先日の講座では、冒頭、先生が次の詩を吟じてくださった。
「偶成」 朱熹(朱子)
少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲
少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声
若いうちはまだ先があると思って勉強に必死になれないが、すぐに年月が過ぎて年をとり、何も学べないで終わってしまう、だから・・・。
春に池のほとりに草がゆらぐのを見ながらうつらうつらと夢を見ていたかと思うと、庭先のアオギリはもう秋の気配を帯びている。
(偶成 「たまたまできた」の意)
漢詩にしても俳句や短歌にしても、文章を削ぎ落して訴えるのが肝心とか。先日から政治状況を睨んで原稿を募集したが、言いたいことがいっぱいあるのだろう、大論文みたいな原稿も少なくなかった。新聞編集では「長い記事は短い。短い記事は長い」という鉄則がある。漢詩とまではいわないが、俳句などの短詩に挑戦してトレーニングするのも有効かも。

21日に「みんな真面目」を書いたところ、短いコラムを三つ送ってくれた友人がいた。嬉しい。うつらうつらの季節は終わった。選挙戦、アオギリはもう秋の気配だ。
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