しかもこの祭り、保延2年(1136)からというから歴史も古く、各地の祭の原型とも言われていて、田楽や猿楽をはじめ古都に伝わる芸能を次から次へと神に捧げ、神に喜んでもらうというものである。
その猿楽から洗練されていったのが能で、世阿弥は風姿花伝で「花鳥風月を表現するのが芸能だ」と述べたという(浅学のためよくは知らないが)。
一般的には花鳥風月とは自然界の美しい景物のこと、風流のこと、雅のこと、それらを愛でる精神‥などといわれたりする。
若い頃は「花鳥風月を言い始めると人間も終わりだ」などとそういう御仁を冷やかしたものだが、この歳になると金儲けだ、支出だ、誰それはけしからん・・・なんだかんだと言う話は実に詰まらなくなる。
「長谷やんももう終わりだ」と言われようが、ゆっくりと花鳥風月に心を遊ばせたいものだ。
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