2023年12月23日土曜日

他人ごとでないダイハツ

   「人身事故さえ想定される自動車産業のモラルはないのか」というような「正論」と「怒り」はひとまず横において、 
新聞やテレビの情報しか知らないが、私はダイハツの「第三者委員会」に拍手を送りたくなった。
 多くのこの種の報告に漂う「上っ面」だけの報告ではないものを感じたからだ。

 報じられているところでは第三者委は次のような指摘をしている。(私の興味の湧いた部分のみを私流の解釈で記すが)
 1 無茶にタイトな期間で開発された過去の結果だけが、そこで生じていたであろう矛盾を検討されることなく成功体験として、以降の硬直的なスケジュールとなった。
 2 成功体験(の結果)に至らないことは許されず、失敗すれば厳しく叱責される風土になった。
 3 だから「問題」は現場で抱え込み、集団や上司で解決することにはならなかった。
 4 現場は人員不足で余裕がなく「自分や自分の工程さえよければよい」という社風になった。
 5 ということで、「日程」に何が何でも合わせるために認証試験の不正が常態化していった。

 どうだろう、「ダイハツはヒデーナ!」という評論で済ませられるだろうか。これは貴方の職場にはかすりもしない問題だろうか。
 人員不足で普通には「できない」体制、それを「見て見ないふり」をして現場任せにする管理者、そして問題が明るみに出れば現場にむけての叱責と「処分」で「再発防止だ」とする繰り返し。

 ヒヤリハットの法則ではないが、小さな問題は今回のそれ以前に数々起こっていたはずである。それが「法則」だ。
 それを「真面目に」提起した社員は推測だがある意味叱責されていたのだろう。ほんとうはそれを誉めるべきなのだが。

 仕事の現場は人の集まりだし、労働の後ろには人々の人生がある。つまり、経済だけでない、コストだけでない、「コストカットだけが善」ではない。
 働くものが、「わが社のダイハツ問題」を語り合うべきときでないか。 

 なお、「報告」が踏み込んでいない「聖域」は完全親会社のトヨタの責任である。ある意味、完全子会社ダイハツの管理者も犠牲者だったかもしれない。無茶を承知で「日程」や「経費」を押しつけられた結果という側面がなかっただろうか。
 そこにメスを入れないと、次の不正が潜在化するだけでないだろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿